ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

処理水海洋放出の果て

2021-04-14 07:50:06 | 日記・エッセイ・コラム
福島原発事故による大量の処理水、すなわち放射性物質を含む水から除ける放射性物質を除去し、除去できなかった放射性物質トリチウムを含む水のことだが、これを海洋放出することになった。増え続ける処理水を貯蔵し続けることができなくなってきたからだ。

増え続ける主な要因は、事故現場に流入する地下水が汚染されるためだと言われる。事故現場周辺の地下の土を凍らせ凍土壁をつくり、城壁のように張り巡らせることで地下水が流れ込まないようにするとされていた。しかし、凍土壁は失敗した。

成功するかどうか分からない凍土壁になぜ頼ったのか。
従来の土木技術で壁をめぐらせば、10年もかけずに地下水流入を防げたのではないか。
なぜそれができなかったのか、私には分からない。

いずれにせよ、今のところトリチウムを水から取り除く技術はない。

薄めて放出するという。
しかし、薄めても物質がなくなるわけではない。
どこかで濃縮される可能性は高い。
福島周辺の海域での濃縮の可能性が最も高いだろう。

これは風評被害と言うものではない。実質的な被害だ。
「Under control」だと?どこが?

放出してよいわけがない。
放出による被害については予測がつかない。
発がん性やその他の身体への影響は、おそらく長い年月の後に現れるだろうし、
そのころにはこの放出との因果関係を証明することが難しくなっている。
それゆえに、被害は何もなかったことにされる。

一方、処理水の貯蔵は限度。

原発事故ということはそういうことだ。
人間のコントロールが効かないということを思い知るべきだ。

こういうものをつくり、その利便性を享受してきたのは人間だ。
しかし、被害が及ぶのは人間だけではない。
誰が責任を負うのか。
こういう状態を許してきた私たちだが、
実際にこれを推進し維持してきた人にはもっと責任を問いたい。
そうでなければ、このような重大なことを目先の利益優先で決めてしまう社会を変えられない。

現代のこのでたらめが未来に大きな禍根を残す。
原発を核兵器を即時に止め、
核廃棄物の処理について真剣に対策すべき。
そのことを通して社会のあり方を見直す。

今はそういう時期だ。
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