徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

続 「2007年問題」を考える

2007年01月10日 08時36分20秒 | 独り言・社会・ニュース

昨日、定年退職者が企業の根幹業務を支えてきて、その技能を持つ人が少なくなり業務が滞って経済に重大な悪影響が出るのではないかという懸念が出ていることを述べました。

その内容として、マニュアル化しづらい現場固有の技術の継承が困難になる恐れのみならずそれによって企業活動自体が停滞する恐れがあると認識されるようになったようです。
特に製造業では、職人的作業や機械化が困難な作業の多い企業において危機感が強いようです。

しかし、考えようによっては有用な人材を嘱託などの現役より低い処遇で使え、しかも雇用の継続の実質的な選択肢は企業側が握ることが出来企業にとってもチャンスでもあるのです。

                            

この「2007年問題」のマイナス面として
1、労働力人口の減少
2、技術・技能の継承への断絶
3、退職金の負担増、企業の収益の低下
4、家計貯蓄率の低下
5、社会保障関係費の増大
6、経済成長率の低下
などが上げられます。  

一方プラス面として不確実ではありますが、
1、雇用過剰感の解消
2、人件費の減少
3、個人消費の活性化
4、退職金によって消費市場の拡大化
5、団魂世代を対象とした各種製品の開発、売り込みが活性化される

等が上げられますが、企業もそれらに対して対策を講じていかなくてはなりません。
その代表的なものとして
① 人件費の圧縮のため定年延長よりも再雇用で臨む。
② 他企業等の退職者の獲得。
③ 会社内部での技能伝承の制度化。
④ 新卒採用の拡大。

さて、これからこの「2007年問題」がどのように展開してゆくのか、社会にどのように組み込まれられるのか、一つの転機となることには間違いがないようです。


「2007年問題」を考える

2007年01月09日 08時21分07秒 | 独り言・社会・ニュース

今、2007年問題が大きく取り上げられています。
この「2007年問題」とは、今年における団魂の世代の一斉退職に伴い発生が予想される問題の総称です。

退職者の増加以外の問題として、

その1・・・ 2007年に人口が増加から減少に転じるという問題ですが、予測では2007年であったものが実際は2006年から減少しています。

その2・・・2007年から始まる大学全入学時代の到来。
大学生募集人数総数が入学希望者総数を上回り、より好みをしなければ必ず大学に入れる状態となるという問題。

その3・・・2007年に新築ビルが相次いで完成することにより、オフイスが大量に市場に供給される問題。
と同時に外資系高級ホテル間の競争による問題。

                        

それでは、以上の問題以上に2007年が注目される理由は、定年を60歳とすれば1947年(昭和22年)生まれの退職者が最も多く発生しますが、なぜそれが問題となるのでしょうか。

戦後の日本の繁栄は、定年退職者と予想される人々が企業の根幹業務を支えてきたことにあるのですが、その技能を持つ人が企業には少なくなり、業務が滞って経済に重大なる悪影響が出るのではないかという懸念から、2007年問題が注目されている理由なのです。

そこで、なぜこの世代が退職することによって経済に悪影響がでるのでしょうか?
そして、そのプラス面とマイナス面について明日に述べます。


"平成”の始まった日

2007年01月08日 09時39分48秒 | 今日は、何の日

1983年1月8日は、今上天皇の践祖により「平成」が決まった日です。
同年1月7日 午前6時33分、昭和天皇が崩御し、同日午前10時01分に三種神器の承継の儀が今上天皇によって行なわれました。

普通でも数日、もめると数年かかったりすることがありましたが、
近年は「皇位は1日も空しくすべからず」とされ、事前に決まられた皇太子が践祖する習慣となっています。
つまり、今上天皇は、喪章を付けたまま儀式を執り行いました。

  

新年号は、1月7日14時過ぎに決定し、14時36分に小渕官房長官より発表され、8日に施行されました。
「平成」は史記の「内平かに、外成る」、また書径大萬説の「地平かに、天成る」から引用されたものだそうです。
この「平成」は、最初の年号「大化」より数えて247番目で、政令によって定められた最初の年号です。

余談ながら、今日はまた、1月8日は、勝負事の日だそうです。
「いち」か「ばちか」の1,8の語呂合わせです。

今年は、一か八かの勝負を賭けようかな・・・・


”春の七草”

2007年01月07日 09時21分22秒 | 日本人のDNA

百人一首に
君がため 春の野に出て若菜摘む わが衣手に ゆきはふりつつ” (光孝天皇)
がありますが、この若菜とは、七草のことだそうです。

一月七日の朝に七草かゆを食べる風習があります。
元々中国の風習であったのですが、平安時代から日本独自の習慣として根強く残ってきました。
平安時代、清少納言の「枕草子」には”七日の若菜・・・”という一節があります。

   この写真の中に七草があります

家族で食べると万病を払うとされ、正月のご馳走で弱った胃を休めるという知恵から始まったという説もあります。
この七草には、薬効成分やビタミン類が豊富で、薬膳料理として有効です。

せり・・・・・・・・田の畦や湿地に生えています。 消化に良いそうです。
なずな・・・・・・俗に云うぺんぺん草です。 視力に良い。
ごぎょう・・・・・吐き気や解熱に効くそうです。
はこべら・・・・排尿に効きます。
ほとけのざ・・歯痛に効きます。
すずな・・・・・・カブのことで消化促進。
すずしろ・・・・大根のこと、胃健、吐き止め。

効用を確かめてみてください。


”亥年”を考える・・・・

2007年01月06日 11時45分34秒 | 独り言・社会・ニュース

今年は、12年に一度巡ってくる亥年ですが、この年を”亥年現象”という言葉で表されています。
この12年に一度巡ってくる参議院議員選挙統一地方選挙が同時に行われますが、亥年に自由民主党が苦戦する現象を”亥年現象”と言うそうです。

 
   今日の絵は、”京都・疎水にて” F8号

1947年に両選挙が行なわれて以来、統一地方選挙は、4年に一度参議院選挙は3年に一度行なわれます。
そのため4と3の最小公倍数である12年に一度が、この両選挙が行なわれ、それが亥年に当たるということになります。

今年は、安部政権最初の国政選挙ですが、支持率も低下している中、どのような結果になるのか、この半年が大きな意味合いがあるようです。

さて、この亥年という年は又、波乱の年とも言われています。
60年前の1947年(昭和22年)は、日本国憲法が施行され、戦後の新生日本のスタートの年となりました。
この憲法を巡って、60年後の今年に改憲の気運があり、今後の議論が注目されます。
1959年(昭和34年)は、当時の皇太子と美智子さんの結婚式があったのですが、伊勢湾台風という大きな不幸がありました。

1971年(昭和46年)には、アポロ14号が月面着陸というニュースがあった反面自衛隊機と全日空ボーイングが空中衝突で162名が亡くなるという事件東亜国内航空のYS-11が函館の横津岳に激突し乗員68名全員が死亡するという事件が続きました。

1983年(昭和58年)は、東京デズニーランドが開園した年です。
しかし、大韓航空機撃墜事件、三宅島大噴火、ロッキード事件、日本海中部地震と激動の年でした。

12年前の1995年(平成7年)は、第二次世界大戦終戦50年という節目の年にあたりましたが、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件とまだ記憶に新しい嫌な思い出がありました。

今年は、このような不幸な年にならないように祈るばかりですが、はてさて、どうなることになるのでしょうか?


昆陽寺と西国街道

2007年01月05日 10時21分46秒 | 独り言・社会・ニュース

昨日は、旧西国街道沿いにある昆陽寺西天神神社東天神神社に参拝してきました。
昆陽寺(本当は、”こんようじ”と言うらしいのですが、地元の地名である”こや”をとって”こやでら”と呼んでいます)は、45代聖武天皇の勅願所として733年に行基上人(行基菩薩)によって建立されました。
建立当時は、万葉集に稲無野笹原(現在の稲野)と詠まれる荒地だったそうです。
昆陽池を初めとして150町歩の土地を昆陽の庄として開墾し、その中心に七堂伽藍に本尊の薬師如来を建立しました。

  昆陽寺 山門

現在の国道171号線は、旧来の西国街道で大きな意味では、九州から京都に上る街道で、狭義では大阪から京都へ通じる主要街道です。 
その国道171号線は、神戸市中央区の三宮東から京都まで、一部国道2号線と重複しています。

昆陽寺は、天平7年(1580年)に織田信長が伊丹城主の荒木村重を攻略した時に兵火により焼失しましたが、その後、地元の信者によって再建されますが、阪神淡路大震災で再び崩壊しました。
本堂は再建、山門や観音堂は解体修理を行い、平成10年に完成され、現在に至っています。

  
   西天神神社                東天神神社

この昆陽寺を国道171線沿いを東に行くと、西天神神社があり、そこを又東に行くと東天神神社があります。 この神社2社のいわれは、分かりませんが、東天神神社の方は、境内も広く、本殿もかなり古いようです。

  

東天神神社を南に行くと、国道171号線から反れて旧西国街道が残っており、道幅も3mから4m程で、道の両端には、旧家や田んぼが広がっています。
この辺りは、国道の喧騒を離れ、昔の面影が残っており、古くから多くの人が行きかっていたに違いありません。
足利尊氏や源義経、大石内蔵助や遠くは九州の諸大名の大名行列もこの道を通ったことでしょう。


門戸厄神さん

2007年01月04日 10時29分50秒 | 独り言・社会・ニュース

例年の恒例となっています新年の初詣は、元旦の広田神社に続いて、3日は門戸厄神にお参りして来ました。

  賑わう門戸厄神さんの境内

門戸厄神さんの通り名の方がこの辺りでは一般的ですが、本来は「松泰山 東光寺」といいます。
厄除けの祈願寺として有名ですが、この寺は嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が開祖したと伝えられています。
嵯峨天皇が41歳の厄年の時、夢での厄神明王の感得に、大師自ら「愛染明王」「不動明王」が一体となった明王像を三対刻み、それぞれ高野山の麓にある「天野明神」、山城の「石清水八幡宮」、そしてここ「東光寺」に祀ったとされており、現存するのは東光寺の厄神明王のみとなっているそうです。

   
 表門の下には42段の男厄坂が・・・  中楼門の下には33段の女厄坂が・・・                             

東光寺の表門は、阪神淡路大震災で全壊しましたが、再建されています。
この辺りの阪急電車の今津線を渡る国道171号線の橋梁や近くの山陽新幹線の橋梁も地震で落下し、地震の凄さがうかがえます。

この門戸厄神さんのお参りでの不思議は、表門より南門からの参拝者が圧倒的に多いということです。 これは、阪急門戸厄神駅から近いということで、出店もこの駅から南門に沿って多く軒を連ねています。


初詣は、広田神社に・・・・

2007年01月03日 10時48分25秒 | 独り言・社会・ニュース

毎年、初詣は広田神社にお参りします。
阪神タイガースの優勝祈願で有名ですが、この神社は最古の国史書「日本書紀」に記載されている兵庫県第一の古寺です。

広田神社は、神功皇后の摂政の時代(201年)、国難打破の道を皇子(後の応神天皇)の御懐妊を告げ、安産を守り、軍船の先鋒となり、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた天照大神の魂の”お告げ”により、凱旋の帰途、神功皇后により、広田の地に創建されたとされています。

     広田神社

勅祭22社の1社で、勅祭とは、祭礼の際に天皇の勅使を迎える神社のことです。
源頼朝は、1184年に平家討伐を祈願して広田壮園を寄進し、豊臣秀頼は1604年に大規模な改築を行い、徳川吉宗も改修を行っています。

明治4年(1871年)には、兵庫県内で唯一、最高位である官幣大社に列せられ、平成13年(2001年)には御鎮座1800年の喜節を迎え、天皇陛下より御幣を奉って祝祭を斉行し、日本全国の十万神社を代表する神社の一つだそうです。

    

御神体は、天照大御神で八百万の神々の中でも最高至貴とされる大御神で、生活の基である衣食住を整えられた国民生活の祖神です。
特に荒御魂である広田神社は、勝運合格、開運隆盛、子授安産、厄災削除など列挙すればまだまだ多くの御神徳が、古事記などにも記載されているそうです。

広田神社は、京の都から西方にある特別な神社として、「西宮」と別称し、広田神社の壮園を広田神郷(神戸市東部から尼崎西部、有馬、猪名川に及ぶ)と称して、現在は地名として西宮の名称が受け継がれています。

 


「姫初め」

2007年01月02日 13時06分00秒 | 独り言・社会・ニュース

1月2日は、「姫初め」です。
元旦の外出は、初詣ぐらいで家で静かに過ごすのが基本のようです。
最近は、海外や温泉地で過ごす方が多いようですが、やはり正月は、自宅で過ごすのが良いようです。

        

2日には色々な仕事を初めますので、○○初めとか初○○という言葉が多数あります。
初荷、初売り、鍬初め、船初め、初彫り、掃き初め、書初め、生け始め、弾き始め、打ち初め、初釜、発句会、等など・・・・・
初がつかなくても、寒稽古などもあります。

書初めは仕事初めだったはずですが、現代では稽古初めとしての要素が強くなりました。
ふだん筆を持っていない人でも、お正月のすがすがしい気分のなかで墨をすり、半紙に筆で何かの言葉を書くというのも又よいものです。
書の神様の菅原道真公を祭っている天満宮では、恒例となっていますが、我が家でするのも、年の初めにはふさわしいことです。

さて、「姫初め」には、古来より諸説があります。
もっともらしい説としては「姫飯(ひめいい)初め」で、姫飯とは柔らかいご飯のことで、反対語としては「強飯(こわいい)」といい、つまり「御飯(おこわ)」です。
一般には節句には”おこわ”(=赤飯)を食べますが、お正月の場合だけは餅から御飯に戻すことになります。

その他にも
飛馬(ひめ)はじめだという説・・・つまり乗馬初めをする日という説。
火水(ひめ)はじめだという説・・・つまり火や水を使い始める日だという説。
というのもあります。
通説としては、秘事(ひめごと)初めが一般的ですが・・・・俗説ですが・・・