一冊をぬきたるのみにあなあやふなだれおつるを書物といへり 真中朋久
「返信はお気遣いなく」と書きゆえ気遣いされず来ない返信 俵 万智
包丁の光(くわう)を掲げて梨を剥けば辺りはぼんやり未来のごとし 池田はるみ
香り立つ皿の焼鮎一瞬に骨引き抜かれる姿のままに 来嶋靖生
もう、秋なのだ。それも晩秋なのだ。すっかり、季節の移ろいを表出できずに歌を忘れたカナリアという
態でさっぱり、言葉が浮かばなくなったので、近くの本屋で『歌壇』( 2012.12、本阿弥書店)を買って
手にするも、ぺらぺらと、目についた歌を読むも棒読み状態。これは相当疲れているねと、自己診断して
いる自分がいる。これは当面ダメだ。自然体で待つしかないと、途中で放り出してしまう。その時書き留
めた四首。
それと風邪引きも手伝い日曜の行楽の雲行きが怪し、しかし彼女は風邪薬、栄養ドリンク、レモン飲料水、
浅田飴を買ってくる。これは断れないというサインということかということで、それじゃ、明日早くでて
昨年いけなかった瑠璃光院を散策しようと僕の方から約束させられてしまった。彼女は遠足前の女子高生
みたにテンションをあげている。ところがである、カーナビに入れた駐車場が見つからず岩倉を暫く迷う
い、近くのコンビニの店長に実相院も有名ですよと誘われ、そのまま、元天台宗寺門跡寺院の1つといわ
れる実相院に予定変更する。車の乗り込みは考えないと思いつつも、現地は30分に限り無料駐車できるの
でこれは大助かり。
鎌倉時代の寛喜元年(1229年)、静基僧正により開基され、当初は京都市北区紫野にあったが、応仁の乱
を逃れ現在地に移転したという。室町時代末期までに多くの伽藍等が戦火で焼失し、江戸時代初期に足利
義昭の孫義尋が入寺。母古市胤子が後陽成天皇の後宮となった関係で皇室と将軍徳川家光より援助を受け
実相院を再建した。本堂は東山天皇の中宮、承秋門院の女院御所を移築したものであり、四脚門・車寄せ
も御所より移築され、老朽化が進み主な建物は多数のつっかい棒が施されてようやく倒壊を免れているの
が現状であり、修理のための資金集めに奔走しているという。幕末には岩倉具視も一時居住し、当時の密
談の記録などが残されている。庭園は池泉回遊式庭園と枯山水の石庭の2つがある。前者の池にはモリア
オガエルが生息している。新緑、紅葉の頃とも見所となっており、特に部屋の黒い床に木々が反射する光
景は「床緑」「床紅葉」と呼ばれ知られている。
京都は車の出入りも多くなるので、実相院は午前中で参観をすませ、京都南インターから北上し、北白川から大原
三千院、途中を通り琵琶湖西岸を北上、藤樹の里、道の駅で昼食をとり帰宅。天気は上々、西岸から見える絶景は
日本一なりと感嘆する。