美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)
下水分神社とも和爾社とも呼ばれるようです。
南河内の平野からよく見えるシンボル的なPL教団の塔の北東あたりにありますが、これまで全く知らない神社でした。
出かける前にネット検索で知りえた情報からの想像とはずいぶん違ってました。
自然と共に生きる、神と共に生きる日本人の本来の心のあり方「神ながらの道」みたいなものを感じました。
こんな立派な神社なのに、あまりに知られていないことも驚きでした。
駐車スペースに車を停めて最初の鳥居
鳥居のうちに入り外を見ると二上山が見えます。
案内図
神人和楽(しんじんわらく)の石碑が目に留まります
階段を少し上がって下拝殿、右横よりさらに上に上がる階段
途中に鳥居があり、また階段をあがると上拝殿
右手から本殿の囲い内側をのぞいてみると、
その横に小さな鳥居があり、呼ばれたような気がした。

小さな祠から光が差して、どなたかがおられるかのような不思議な感じ。
何の祠なんだろうと、石碑を撮影

白雲宮でずいぶん検索したけれど、私同様不思議な感じがしたというブログ2件がヒットしただけで、よくわからなかった。
本殿背後の旭山(真名井ヶ原)には宮裏山古墳群もあり、古来神奈備山とよばれる神体山です。
大和川の支流である石川と羽曳野丘陵のあいだにひろがる一帯の社の周辺は、古くは支子の茅原と呼ぶ草原でした。
崇神天皇の十年に巨蛇が多く出没したので、天皇は幣帛を捧げ支子の茅原に登り、妖蛇の霊窟を探して
「これ大国主命荒魂のすさぶ所なり宜しく祀るべし」と、ここに於いて初めて当社が勧請されたという。
やがて支子は喜志となり、藤原道長の荘園でもあった時期もありました。