<金曜は本の紹介>
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この本はジャズシンガーである綾戸智絵さんが書いた自伝です。
綾戸智絵さんは、最近は大阪弁で元気に「まいど~」などと有名で、テレビ番組やCMでも活躍していますね。
簡単な略歴は次の通りで、1957年9月10日大阪府生まれで、両親の影響でジャズとハリウッド映画に囲まれて育ち、3歳でクラシックピアノを始めます。
中学に通いながら夜はジャズクラブで歌い、17歳で単身渡米します。その後、ニューヨークで結婚し、一時をもうけますが離婚します。
1991年に帰国後は大阪のジャズクラブで歌い、自主制作アルバムを3枚リリースします。
1998年に40歳にしてアルバム「For All We Know」でメジャープロデビューします。
ジャズが大好きで、そして出会いを大切にし、そしてガンも克服し、そしてその前向きで笑いが溢れるトークが成功を引き寄せているのだと思います!
この本もとても面白い内容となっています!勇気づけられます!とてもオススメです!
以下は、その中で特に印象深かった内容です。
・18歳未満の若者がパスポートを取るのには、親のサインがいります。スイスイとはいかなかったけど、結局、母はサインしてくれました。母は餞別として滞在費を10万円くれました。さらに、「これだけは守ってな、チエちゃん」と、アメリカ行きの四箇条が戒めとして言い渡されました。
1、レイプされそうになったらさせなさい。
2、強盗に遭ったら出しなさい。
3、お腹がすいたら、そこらにあるもん盗んででも食べなさい。
4、居直り強盗が来たら、寝たふりか、目が見えないふりをしなさい。
「病院行ったり、刑務所行ったり、裸になることで済むんやったら、あとからなんとでもできるけど、死んだらあかん。絶対に死んだらあかんで、守ってや」
しっかり守りました、母上。
・おっさんは、容赦なく私にまたがり、当然のようにズボンを下ろします。思い出した母の戒め四箇条のその1、「レイプされそうになったらさせなさい」。でも、私にだって最初の男ぐらいは選ぶ権利があるわ。どうしよー!咄嗟にまたあの瞬間芸が。へへっと薄笑い。そして、ヴォープと一発臭いやつ、あとはジョー・・・・・汚い話だけど、失禁です。おっさんは驚いたのか「シット、シット」。そこでそのとき、人影が・・・・・助かった。
ニューヨークでもありましたわ。地下鉄内。人はほとんど乗っていませんでした。私の目の前に変なやつ。手ぶらで、いやにポケットだけがふくらんでいます。なんだか私を脅しているみたい。そこでまた、あの瞬間芸。人差し指でハナクソをほじり、よだれを出しながら「アレホレヒレハレ」。おっさんは「オーノー、オーノー」小銭でもカツアゲしようと思っていたんでしょう。でも私は助かった。
・ウェイトレスをしてみても、これぞ私の転職や!とすぐに思い込む性格!どないかならないかいな。まず、一度受けたリクエストは覚えておくのが基本です。
「うなどん、それとも天丼?」
「えぇっ?なんで知ってるの?」
「何でも知ってるわよ~」
そして、うな丼を運ぶときには耳元でささやきます。
「ちょっと多めにタレ、いれときましたで」
なんて、こんな調子でチップ、ガッパガッパー。
「おー、ありがとう、チエ!」
はい、いっちょ上がり。
このときに勉強したんじゃないかな。どうすれば人が気持ちよくなってくれるか、ということを。気持ちよくなってくれたらチップも増える。どんどんチップがもらえることが嬉しかったように思うね。
・母に聞いたことがあります。「子供は、小さく産んで大きく育つ、こういうのがええ子や」私の子は・・・・・。先が思いやられますね。11パウンド10オンス、つまり4000グラム以上あるのです。なんと下の歯も2本はえていて、手を開いたり握ったり。夫も部屋に入り、まず「Oh God,Oh God,Big」。やはり私と同じ感想でした。大きく産んでおおらかに育てる。大きいことはいいことです。
・「小さい声、それを”ウィスパリン”って言うねんけど、声の大きい小さいは、テレビでいうたらヴォリュームや。こんなんはマイクで調節できる。テレビがやかましかったら小さくするやろ。それより、小さい声は、それに似合う匂いとか、ムードがあるんや。ヘレン・メリルやフランスの歌手のようにささやくような歌い方してみ。あんたによく似合うんとちゃうか?歌う人の声が大きいから、声量あるからってええわけでもないよ。量より自分の持って生まれたカラーを大切にしてみ。人からもらった言葉は、上手に聞かんとあかんわ。もしかしたら欠点は後の特長、長所にもなるで!」
・1995年1月17日、阪神・淡路大震災でした。あの日息子のイサが言った「ぺっちゃんこに血だらけ」、今考えても不思議でたまりません。あの日、泊まるはずだった社長の家は、私たちがいつも泊る部屋だけが崩壊。数ヵ月後、その残骸を見たとき、身も震える思いがしました。社長も、イサのあのときの言葉が耳から離れないそうです。とにかくよかった。家族が揃ってあの時間をやり過ごすことができたんだから。
・私のプラスの噂「ガンも良うなって歌てるらしいでぇ」より、マイナスの噂「声が出えへん。もうあかんらしいでぇ」という、この噂の蔓延するのの早いこと早いこと。これには驚きました。数々の有名なお医者さんにも紹介してもらって診察を受けました。でも、どこも答えは一緒。もう、歌を休むか、やめるしかない、と覚悟を決めました。こうして、私の人生の中で唯一、寡黙に過ごす日々が続きました。しかし、ある時、冗談のような本当の話。いつものように家事に追われるアヤドママ。そんなとき、アイロンをしまうように頼んだのです。「はーい」と返事バッチリで立ち上がったイサでしたが、座布団に足をとられて私のすねのあたりにガツン!イサが「ごめんなさい」というのと同時に、「アホ!」と言う私のゴジラのような声。2人で目を見合わせました。声が・・・・・・出た・・・・・。この時から、ニ小節ともたないけれど、それでも声が出るようになっていったんです。
・1998年6月、とうとう1枚目の「For All We Know」ができたわけです。40歳のアヤド、デビューの瞬間でした。2枚目の「Your Songs」も異例の数万枚の売れ行き。それでも実感はまだなく、ただただ歌い続けていました。少しずつ周りが変わっていくのは感じてたけど、この頃もまだ新幹線を使わないで、よく夜行バスで上京していましたわ。
<目次>
はじめに
一匹の蚊が、一人のオバハンの人生を狂わせた
アヤドもオバハンになる前は若かった
いざ、アメリカへ
思いもしなかった病
結婚、出産、そして日本へ逃げる
ジャズレッスン
偶然が必然に。デビュー前夜
数えきれない障害を越えて
なんやかんやで二十一世紀
あとがき
面白かった本まとめ(2007年)
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)
<今日の独り言>
ザリガニ釣りをしました。優しい若いおじさんに仕掛け(割り箸とひもとエサ付き)をもらって、まだ小さい透明なザリガニですが、釣れる釣れる!4歳0ヶ月の息子も大喜びでした!
![](http://images-jp.amazon.com/images/P/4344001907.09.TZZZZZZZ.jpg)
この本はジャズシンガーである綾戸智絵さんが書いた自伝です。
綾戸智絵さんは、最近は大阪弁で元気に「まいど~」などと有名で、テレビ番組やCMでも活躍していますね。
簡単な略歴は次の通りで、1957年9月10日大阪府生まれで、両親の影響でジャズとハリウッド映画に囲まれて育ち、3歳でクラシックピアノを始めます。
中学に通いながら夜はジャズクラブで歌い、17歳で単身渡米します。その後、ニューヨークで結婚し、一時をもうけますが離婚します。
1991年に帰国後は大阪のジャズクラブで歌い、自主制作アルバムを3枚リリースします。
1998年に40歳にしてアルバム「For All We Know」でメジャープロデビューします。
ジャズが大好きで、そして出会いを大切にし、そしてガンも克服し、そしてその前向きで笑いが溢れるトークが成功を引き寄せているのだと思います!
この本もとても面白い内容となっています!勇気づけられます!とてもオススメです!
以下は、その中で特に印象深かった内容です。
・18歳未満の若者がパスポートを取るのには、親のサインがいります。スイスイとはいかなかったけど、結局、母はサインしてくれました。母は餞別として滞在費を10万円くれました。さらに、「これだけは守ってな、チエちゃん」と、アメリカ行きの四箇条が戒めとして言い渡されました。
1、レイプされそうになったらさせなさい。
2、強盗に遭ったら出しなさい。
3、お腹がすいたら、そこらにあるもん盗んででも食べなさい。
4、居直り強盗が来たら、寝たふりか、目が見えないふりをしなさい。
「病院行ったり、刑務所行ったり、裸になることで済むんやったら、あとからなんとでもできるけど、死んだらあかん。絶対に死んだらあかんで、守ってや」
しっかり守りました、母上。
・おっさんは、容赦なく私にまたがり、当然のようにズボンを下ろします。思い出した母の戒め四箇条のその1、「レイプされそうになったらさせなさい」。でも、私にだって最初の男ぐらいは選ぶ権利があるわ。どうしよー!咄嗟にまたあの瞬間芸が。へへっと薄笑い。そして、ヴォープと一発臭いやつ、あとはジョー・・・・・汚い話だけど、失禁です。おっさんは驚いたのか「シット、シット」。そこでそのとき、人影が・・・・・助かった。
ニューヨークでもありましたわ。地下鉄内。人はほとんど乗っていませんでした。私の目の前に変なやつ。手ぶらで、いやにポケットだけがふくらんでいます。なんだか私を脅しているみたい。そこでまた、あの瞬間芸。人差し指でハナクソをほじり、よだれを出しながら「アレホレヒレハレ」。おっさんは「オーノー、オーノー」小銭でもカツアゲしようと思っていたんでしょう。でも私は助かった。
・ウェイトレスをしてみても、これぞ私の転職や!とすぐに思い込む性格!どないかならないかいな。まず、一度受けたリクエストは覚えておくのが基本です。
「うなどん、それとも天丼?」
「えぇっ?なんで知ってるの?」
「何でも知ってるわよ~」
そして、うな丼を運ぶときには耳元でささやきます。
「ちょっと多めにタレ、いれときましたで」
なんて、こんな調子でチップ、ガッパガッパー。
「おー、ありがとう、チエ!」
はい、いっちょ上がり。
このときに勉強したんじゃないかな。どうすれば人が気持ちよくなってくれるか、ということを。気持ちよくなってくれたらチップも増える。どんどんチップがもらえることが嬉しかったように思うね。
・母に聞いたことがあります。「子供は、小さく産んで大きく育つ、こういうのがええ子や」私の子は・・・・・。先が思いやられますね。11パウンド10オンス、つまり4000グラム以上あるのです。なんと下の歯も2本はえていて、手を開いたり握ったり。夫も部屋に入り、まず「Oh God,Oh God,Big」。やはり私と同じ感想でした。大きく産んでおおらかに育てる。大きいことはいいことです。
・「小さい声、それを”ウィスパリン”って言うねんけど、声の大きい小さいは、テレビでいうたらヴォリュームや。こんなんはマイクで調節できる。テレビがやかましかったら小さくするやろ。それより、小さい声は、それに似合う匂いとか、ムードがあるんや。ヘレン・メリルやフランスの歌手のようにささやくような歌い方してみ。あんたによく似合うんとちゃうか?歌う人の声が大きいから、声量あるからってええわけでもないよ。量より自分の持って生まれたカラーを大切にしてみ。人からもらった言葉は、上手に聞かんとあかんわ。もしかしたら欠点は後の特長、長所にもなるで!」
・1995年1月17日、阪神・淡路大震災でした。あの日息子のイサが言った「ぺっちゃんこに血だらけ」、今考えても不思議でたまりません。あの日、泊まるはずだった社長の家は、私たちがいつも泊る部屋だけが崩壊。数ヵ月後、その残骸を見たとき、身も震える思いがしました。社長も、イサのあのときの言葉が耳から離れないそうです。とにかくよかった。家族が揃ってあの時間をやり過ごすことができたんだから。
・私のプラスの噂「ガンも良うなって歌てるらしいでぇ」より、マイナスの噂「声が出えへん。もうあかんらしいでぇ」という、この噂の蔓延するのの早いこと早いこと。これには驚きました。数々の有名なお医者さんにも紹介してもらって診察を受けました。でも、どこも答えは一緒。もう、歌を休むか、やめるしかない、と覚悟を決めました。こうして、私の人生の中で唯一、寡黙に過ごす日々が続きました。しかし、ある時、冗談のような本当の話。いつものように家事に追われるアヤドママ。そんなとき、アイロンをしまうように頼んだのです。「はーい」と返事バッチリで立ち上がったイサでしたが、座布団に足をとられて私のすねのあたりにガツン!イサが「ごめんなさい」というのと同時に、「アホ!」と言う私のゴジラのような声。2人で目を見合わせました。声が・・・・・・出た・・・・・。この時から、ニ小節ともたないけれど、それでも声が出るようになっていったんです。
・1998年6月、とうとう1枚目の「For All We Know」ができたわけです。40歳のアヤド、デビューの瞬間でした。2枚目の「Your Songs」も異例の数万枚の売れ行き。それでも実感はまだなく、ただただ歌い続けていました。少しずつ周りが変わっていくのは感じてたけど、この頃もまだ新幹線を使わないで、よく夜行バスで上京していましたわ。
<目次>
はじめに
一匹の蚊が、一人のオバハンの人生を狂わせた
アヤドもオバハンになる前は若かった
いざ、アメリカへ
思いもしなかった病
結婚、出産、そして日本へ逃げる
ジャズレッスン
偶然が必然に。デビュー前夜
数えきれない障害を越えて
なんやかんやで二十一世紀
あとがき
面白かった本まとめ(2007年)
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)
<今日の独り言>
ザリガニ釣りをしました。優しい若いおじさんに仕掛け(割り箸とひもとエサ付き)をもらって、まだ小さい透明なザリガニですが、釣れる釣れる!4歳0ヶ月の息子も大喜びでした!