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相場師一代(是川銀蔵)

2010年02月12日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 この本は、最後の相場師と称せられる是川銀蔵さんの自伝です。1897年に生まれ、高等小学校卒業後、その経緯は以下の通りで波乱万丈です。

・神戸の貿易商に奉公→倒産
・16歳の時に青島に渡って青島守備軍の御用商人→倒産
・一厘銭商売→倒産
・貝ボタン製造工場を経営→兄に経営を譲る
・鉄のブローカー→大阪伸鉄亜鉛メッキ株式会社を経営→関東大震災で大儲け→大恐慌でまたもや倒産
・貧窮の中で3年間図書館通いで経済を猛勉強
・株の世界に入って是川経済研究所設立
・是川興業・是川製鉄・北鮮開拓興業経営→敗戦により財産没収・逮捕
・敗戦後、米の二期作実践
・株売買を開始
・是川奨学財団設立
・1992年に95歳で死去


成功者の共通点のようですが、この方も現場主義ですね。また、正々堂々とスジを通して、邪道な道を進んでいないところが偉いと思います。とても感銘を受けました。

それから、筆者は株で成功することは不可能に近いという事実を伝える使命があると思い、筆をとったとのことです。

以下はこの本のポイント等です。

・確かに株を利用して一定の利殖をするということはまったく不可能というわけではない。それは至極真面目に株というものをとり扱い、着実な方法で利殖の材料にすればできないことはないということだ。しかし、株により巨万の富を得、大金持ちになって豊かな生活がしたい、という目的でやったら必ず失敗する。これまで証券界百年を越える歴史の中で大相場師、大勝負師といわれる人はたくさん出てきた。ところが一人の例外もなく、せいぜい続いて4年か5年、株の世界をパッと賑わしただけで消え去ってしまっている。これが株式投資の世界における勝負師の運命なのである。

・私の株式投資の原点は、昭和2年の金融恐慌の影響を受け、3度目の倒産を経験した後、図書館に3年間通い、独学で日本をはじめとする世界経済とそれをとりまく諸問題を徹底的に勉強したことだ。その結果を元に経済を分析、科学的に相場の変動を読みとってきたのである。昭和52年の日本セメントの大勝負では30億円を稼いだものの、54年の同和鉱業では引き際の判断を誤り一敗、地に塗れた。さらに、57年の住友金属鉱山では200億円の利益を上げたことから、翌年の長者番付でははからずも一位にされてしまった。ところが、一旦は巨万の富を得たかに思えた状態も、儲けた分だけすっかり税金で取られてしまったことに気づくのである。日本の税制は株で儲けても巨万の富が築けるような仕組みにはなっていない。儲けたら儲けた分だけ税金で取り上げられてしまう仕組みになっているのである。

・神戸の高等小学校を卒業するとすぐに、私は14歳で神戸の貿易商、好本商会に少年店員の奉公に出た。私は7人兄弟の末っ子だったが、上の兄弟はいずれも尋常小学校を卒業と同時に、家族の生活を助けるため小僧奉公に出ていた。私も当然、上の兄達と同じ道を辿った。

・「いまは下働きの小僧だが、いつか必ず天下に大号令を出してやる」休みなしで働きながらも、いつも私はこう胸に秘めていた。私は当時、朝日新聞の朝刊に連載されていた新聞小説「豊臣秀吉」を仕事が終わった後に読むのが唯一の楽しみであった。

・ひたすら仕事と勉強に明け暮れる毎日だったが、大正3(1914)年の春、突然、好本商会が多額の負債を抱え倒産してしまった。他人の会社ながら初めての倒産を味わったのだが、主人は毎日金策に追われ、債権者は朝から晩まで傍若無人に借金の取立てにやって来る。小僧の身ながら、倒産の惨めさをいやというほど感じさせられた。

・憲兵隊を釈放される間際、取調べの責任者だった岡村中尉から、「小山、お前のことを調べたら、実にこれまで努力してやってきことがわかる。せっかくの才能があるんだ、お前の頭を正道に使え。決して邪道を歩むな。お前ほどの才能があって努力すれば必ず出世するはずだ。以後、邪道によって金儲けしようとか、出世しようというようなことは考えるな。正道を歩け」諄々とさとされた時、私は涙が止まらんほどの良心の呵責を受けた。岡村中尉に感謝しながら、今後、いっさい邪道で金儲けはやるまい、と心に決めた。私は裸一貫から再出発するつもりで、店や預金、その他一切の財産を番頭に譲り、3日後の船便で日本に帰ったのである。

・倒産したからといって私には両親を残して自殺することはできなかった。しかし、債権者に追われ頭を下げる様子は、私の幼少時代の記憶にある父、母の姿とダブった。するとどうしても地ベタに手をついて債権者に謝ることはできない。が、また、ポケットのブローニングの引金を引くこともできなかったのである。ひと晩中、青島の街を彷徨し、夜が明け始めた東の空を見て、ハッと気づいた。もう一度、やり直そう。人生は七転び八起きだ。山があれば谷もある。今度は、努力してこの谷を昇るんだ、と決意した。翌日開いた債権者会議で私は、全財産を投げ出し、頭を下げた。私が徴兵検査前の19歳だったことがわかり、債権者達は驚き、私の将来を励ましてもくれた。予想以上に温かい対応であった。1916年12月31日、私は再び、裸一貫になり、両親を連れて青島から内地へ引き揚げたのである。その日のことは瞼に焼き付きいまでも忘れられない。過去を振り返れば、みんな楽しい思い出になってくる。人間というのはつらい、苦しいことは日が経つとともにその苦しみはやわらげられ、楽しい思い出として残るようになるようだ。

・「人間の生命は自然の法則に従って生活していれば百年以上生きられる構造になっている。それが、60年、70年、80年生きただけで長生きしている、といわれるようになったのは人間が自然の法則に反する生活をするようになったからだ」と結論づけている。なぜ自然の法則を破り始めたのか。それは人間の生活が向上し、贅沢をするようになったため、人間の生命は本来の生命力だけで生きられないようになってしまったのだ。その最大の弊害がアルコール、その次が梅毒。この2つにさえおかされず自然のままで生きておれば特別の健康法を用いなくても百年以上必ず生きられる、と説いている。私はそこで初めて人間の生命の本性を知ったような気がした。自然の法則に従う生活とは、自然に供給されたものを食べることだ。すなわち野菜、果物、穀類を主食とし肉類はなるべく摂取しない食事をとることである。それまで、私は肉が好きで野菜はほとんどとらず肉類ばかり食べていた。それ以来、肉食はやめ菜食に切り替えた。果物はもちろん野菜は火を通さず塩水で洗うだけで食べるようにした。もちろん、最大の弊害であるアルコールは元々飲めないところへもってきてちょうどいい機会だと、以来プッツリとやめた。梅毒の方はまったく心配なかった。若い時から事業を経営していたからやる気ならいくらでも女道楽はできたが、いっさいその道には走らずにいた。おかげで梅毒にならずにすんだ。今後も女道楽はしちゃいかんと強く自分を律した。こういった自然に従う生活を始めて1週間ぐらいで、午後2時から3時になると必ず38度の熱が出ていたのがだんだん低くなり、3週間目ぐらいに平熱に戻って体の調子も非常によくなった。

・関東大震災の明くる日、私が予想したとおり、前日60銭で買ったトタン板は1枚5円と、10倍近くにまで大暴騰したのである。私は人から決して後ろ指をさされることをしたわけではない。人より1歩先を読んで行動した。いわゆる商売の鉄則を守っただけである。この大儲けでそれまでの借金はすべて払い終えた。商売とはいえ人の不幸で金儲けできたわけで、少しは社会に還元したいと思い、儲けの半分を大阪府に寄付した。

・京都の嵐山に住んだのは、知人を頼ってのことであった。土地の人々の気風はおだやかであった。間借りした借家の家賃は3年間払わなかったし、米屋の主人はうちの家内に、「奥さん、うちの方はなんの心配もいりません。それより、旦那はんは必ず世の中に出てくるお人や」2年半もの間、米代の請求もせず逆に励ましてくれたのである。そして4人の子どもを持ち、家族5人を抱え、家賃は払わず、米代も払えない貧窮生活の中で3年間、毎日のように嵐山から大阪の図書館へ通いつづけ、経済関係の本や資料をあさりつくした。

・この間、収入はひとつもないわけだから、売り食いの生活は惨憺たるものだった。カネに換えられるものはみんな売り、知人や親類など、カネの借りられるところからはカネを借りまくっていた。女房、子どもはこういった生活に何もいわずについてきてくれた。妻は、会社が倒産して家財に差押えの封印がはられている最中に、長唄を唄い、三味線を弾いていたほどの本当に肝の据わった女だった。私を信じ切ってくれていた。

・想像を絶する貧困生活の中で、私は将来の自分の生きる道を見つけるために、必死で勉強を続けた。図書館から帰った後も毎晩、家で12時、1時過ぎまでノートを整理し、自分だけの資料を作っていった。こういった生活を夢中で3年間続ける間、10kgもやせてしまったが、徐々に見えてきたのである。マルクス、レーニンの理論は、経済の実態を把握せず理論的にすべり過ぎていることがわかったのだ。資本主義の経済変動に時代を超えた原理的なひとつの一定の大きなリズムがある。私がのみ込まれた金融パニックもこの経済変動のひとつの波にすぎないという結論に至った。その結果、「資本主義は崩壊せず」という確信を得、同時に、マルクス、レーニンの説く共産主義には絶対に行かないということをつかんだ。経済の実態は学問で説かれるような、きまりきった変動はない。ひとつとして同じ形の経済変動はない、というのが経済の実態だ。というひとつの法則を私は発見したのである。

・終戦後、京城の家の中には朝鮮人が入り込み、家財道具をはじめカネになるものは全て没収していった。この戦争に対して私は徹底的に軍事力の増強に協力した。朝鮮人に対しても少しでも多く鉄を生産しよう、と協力要請の演説をぶって各事業所を回っていたから、朝鮮人から見れば、戦争に積極的な急先鋒の軍国主義者と思われていたはずだ。だから、敗戦と同時に銃殺か絞首刑かどっちかで殺されると思っていた。実際、朝鮮の臨時政府の警察に踏み込まれて財産を没収され、逮捕されて刑務所にぶち込まれた時は、すでにその覚悟はできていた。ところが、私が収監されたのを知った会社の朝鮮人社員の中から、助命運動が起きたのである。数百人の署名を持って朝鮮人幹部が司法当局へ行き、私を絞首刑にしたら朝鮮新政府の名折れになると説いてくれたのだ。

・ところが、私の会社では、優秀な朝鮮人社員は課長にもしたし、給与も日本人と同額を与えた。もちろん、政府からは日本人優先の待遇に改めろと何度も文句をいわれたが、私は自分の主義を曲げることはなかった。また、日本人の係長や主任の中には朝鮮人の課長の下で働くのはイヤだと文句をいうヤツもいたが、そんな日本人にはどんどん辞表を出させ辞めさせた。こんな時は朝鮮人社員から歓声が上がったものだ。さらに、日本人と同じに戦争に協力するならば、学校教育も同等のはずだ。小学校の義務教育水準の教育を受けさせるために製鉄所や鉱山で働く社員のために学校も作った。もちろん学用品はすべて会社から支給した。こういった朝鮮人に対する私の平等の姿勢に対し、「朝鮮人を理解してくれる日本人は是川一人だ」ありがたいことに、戦時中から日本人として異例の評判だったのだ。

・高知の中でも、年に2回米が穫れるところは、香長平野だけに限られていた。なぜここの地域だけが年に2回穫れ、他の地域は1回しか穫れないのか、原因は気象条件だと考えたのである。農業試験場で過去10年間の気象状況のデータを出してもらい、さらに、より正確なデータを知るために気象台からもデータを出してもらった。そして、高知の香長平野と全国各地の農業生産地の気象情報との資料を記録し、比較対照の調査をした。2ヶ月に及ぶ調査の結果、とうとう関東地方以西なら米は2回穫れると確信したのである。原因は分かった。香長平野は暖かい黒潮が湾曲する土佐湾の中でも太平洋側に面しているため、とくにその地域だけ気象条件が違うのである。冬は非常に暖かく春は早く来る。稲は摂氏15度になったところで発芽してくる。いくら早く種を蒔いても15度にならなければ発芽し、育たないのである。

・すでに苗床にビニールのトンネルを作って苗を早作りする技術も全国に普及し、米の単位当たりの収穫もぐんと安定して増えてきた。二期作の基礎研究は十分成功したと考えた。マッカーサーが食糧事情から日本は4000万人以下の人口が適正といった占領政策に対抗し、一億人が自給自足できる体制の基礎を作ったところで、私の任務は達成できたと思った。

・絶対に失敗するわけにはいかなかった。気力、体力、知力を最高に張り詰め、慎重の上にも慎重に、株式投資の基本である”カメ三則”に従って、じりじりと元金を増やしていった。「カメ三則」とは、
 ①銘柄は水面下にある優良なものを選んでじっと待つこと
 ②経済、相場の動きからは常に目を離さず自分で勉強する
 ③過大な思惑はせず、手持ち資金の中で行動する

・私が坪当たり300円で買収した土地は、またたく間に急上昇し、坪当たり1500円にまでハネ上がった。40年暮れに数万坪の土地すべてを売り渡すと、一挙に3億円のカネを手にすることができた。商売の道はひとつなのである。株式投資の基本は”カメ三則”ならば、不動産投資においても基本はやはり同じなのだ。

・毎朝5時半に目をさまし、日本経済新聞を一段扱いの囲み記事まで細かく読み終える、午前8時に、丸荘証券からの電話を受けるのが日課になっている。私の株式担当者が、時事通信に外電から入ったロンドン非鉄相場市況ニュースと銅の在庫量を知らせてくるのである。電話で銅、鉛、金、銀、白金などの非鉄金属の数字を受けながらそれをすべてノートに記録、チャートを作っていく。そして、チャートを過去の流れの中で比較分析し、その日の私の売買方針を決定していく。読者はこれを聞き、まさかいまはやらんだろう、と思うかもしれないがとんでもない。90歳を過ぎた現在も、日課として毎日変わらずに続けている。

・同和鉱業を買い始めた頃は、常日頃主張していることを忠実に実行した。ところが相場が急上昇するや当初の決心を変更して現場に逃避してしまったのだ。もし、最初に決断したとおり、手仕舞いの鉄則を一貫させていれば・・・・300億円とはいわないまでも、相当の大儲けが可能だったはずだ。相場は人間の希望通りには決して行かず、逆に逆に出るものである。希望的観測は必ず裏切られる運命にあることを固く肝に銘じ、忘れてはならない。

・施設の子ども達の中にも才能のある子がたくさんいる。しかし進学して勉強したくても就職せざるを得なかったのだ。この子達の役に立ちたい、助けたいと思った。54年12月、私立高校に進学するために、大阪府の養護施設の生徒に学費を支給する奨学金制度として財団法人是川福祉基金を設立した。同和鉱業の終戦処理が終わった30億円のうち20億円を以後、是川福祉基金として使うことに決心したのである。毎年200人の子ども達が是川奨学財団の資金で高校、大学に通い、これまでに奨学金制度を受けて高校、大学を卒業した学生は千名以上にのぼっている。

・私から、株式投資をされている一般大衆の方々に二つ警告をしておきたい。まず第一の警告は、自分の持てる資金の範囲内で投資をすること。いくら証券会社が、「現金は持たなくとも大丈夫、必ず儲けるから」とうまい話を持ってきても、信用取引には、絶対に手を出してはいけない。第二の警告は、新聞や雑誌で大見出しにされる材料に飛びつくなということだ。だいたい、人の意見や新聞、雑誌の記事で儲けようという精神そのものがすでに失敗のもとだと私はいいたい。自分で努力せず、骨折らずに務めの片手間で儲けようということでうまくいくはずがない。ムシが良すぎる。サラリーマンが二足のわらじをはいてそんなにうまくいくほど、株の世界は甘くない。

・本当に儲けようと思うなら、自分で経済の動きに注意すること。日本経済はもちろん世界経済の動向、そしてこれを倦まずたゆまず日常見守っていく。これはある程度常識さえあれば誰でもできることだ。しかも判断の材料は毎日の新聞にたくさん出ているのだから・・・・。私は、新聞は「日経」一紙しか読んでいない。ここに出ている内外の経済現象をじっくり見守っていれば先行きの見当はついてくる。閃きではなく、毎日、継続して注意を集中することで、おのずと見えてくるものがあるのだ。そして、大筋が判断できた時、将来よくなる業界の会社の動きを「四季報」を参考にして調べる。会社の内容、収益力などを比較して、ベストと思われる会社の株を買っておくのだ。

・これが、これまで私が書き綴ってきた投資人生のまとめ、投資5カ条である。
 ①銘柄は人が奨めるものでなく、自分で勉強して選ぶ
 ②2年後の経済の変化を自分で予測し大局観を持つ
 ③株価には妥当な水準がある。値上がり株の深追いは禁物
 ④株価は最終的に業績で決まる。腕力相場は敬遠する
 ⑤不測の事態などリスクはつきものと心得る

<目次>
まえがき
第1章 ”ほげたをたたいた”人生
 「とうとう来るものが来た」
 機関投資家
 持ち株はすべて売った
 ブラックマンデー
 恐慌はこない
 鉄鋼株を買え
 鉄鋼不況のイメージが定着していた業界だが
第2章 少年実業家
 「いつか必ず天下を」
 運命を変えた大戦勃発
 一文なしで山東半島を横断
 炊事係から主計へ
 邪道の金儲けはやるまい
 閃いた一厘銭商売
 一厘銭輸出禁止
 ピストル交渉は大成功
 3万円寄付のうまい話
 死ぬもならず生きるもならず
第3章 好事魔多し
 徴兵検査不合格
 工場経営を押しつけられる
 21歳で従業員260人を使う
 人間は100年生きられる
 関東大震災だ、トタン板を買え!
 末おそろしい男だな
 大恐慌のあおりで会社倒産
 貧窮の中の図書館通い
 「うちのお父さんは普通の人と違う」
 資本主義経済は崩壊せず
第4章 百発百中の先見力
 株で勝負したいが元手が・・・・・
 百発百中
 「先生、事務所ができました」
 是川経済研究所
 アメリカの金本位制停止を読む
 億万長者になりそこねる
 情報の真意を見抜く
 憲兵隊に国際情勢を講義
 第二次世界大戦を予期
第5章 40にして立つ
 朝鮮で鉱山開発と製鉄所設立
 小磯国昭朝鮮総督との知遇
 入閣要請を断る
 次女の婿探し
 実印を10個作れ
 「ワシを逮捕したらキミのクビがとぶゾ」
 借金の額など知らん
 敗戦、財産没収そして逮捕
第6章 二期作実践
 マッカーサーは日本人を去勢する気か
 二期作は必ず可能だ
 農業試験場と気象台通い
 研究費用はトタン板再生で捻出
 二期作を成功させた人々の温情
第7章 腹八分目
 カメ三則で株売買を開始
 土地で儲けた3億円で「相場に生きる」
 日本セメントは上がる!
 「わが社の株は値上がりするんでしょうか」
 「あんたのいうとおりになってきた」
 もうは、まだなり。まだは、もうなり
 腹八分目の手仕舞い
第8章 欲ボケ自滅
 次は鉱山株に狙いをつける
 同和鉱業の筆頭株主に
 連日の棒上げに欲ボケ
 売りそびれた6千万株
 相場は逆に逆に出るもの
 カネ儲けして親のかたきを討つ
 子どものために是川奨学財団設立
第9章
 菱刈の鉱脈はつながっている!
 もう一度株をやらせてくれ
 プロ中のプロが宝の山を否定
 買って買って買いまくる
 ワシが隣接鉱区を買ってやる
 相場は一進一退で休戦
 半月間で、772円から420円に急落
 金鉱脈は隣接鉱区にも延びていた
 男の約束は守って当然や
 長者番付日本一は努力と精進のたまもの
 税金は30数億円も払っている
 ”時代を先読みする目”を買え
 投資は正々堂々と
 不二家株
 投資五カ条
あとがき
解説

面白かった本まとめ(2009年下半期)


<今日の独り言>
幼稚園で警察官による交通安全教室がありました。婦人警察官が「道を渡る時はどうしますか?」と訊ねると、5歳の息子が「手を上げて渡ります!」と速攻で答えたのには驚きました。おぉぉ意外と積極的・・・。もしかして、勉強の素質がありますか??^_^;)

コメント
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