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「気にするな(弘兼憲史)」という本はオススメ!

2010年09月03日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 この本は、漫画「課長 島耕作」や「黄昏流星群」などの漫画家として有名な弘兼憲史さんが書いたエッセイです。

具体的には、漫画としての一日の紹介や、自分の育ち、松下電器産業勤務時代の話、漫画家人生の歩み、「課長 島耕作」連載の話、人生楽しく生きる方法などについて書かれています。

特に若い方には、よりよく生きるための参考になる良書だと思います。

とてもオススメです!


以下はこの本のポイントなどです。

・私が生まれたのは山口県岩国市。山口県の東端、広島県との県境に位置しており、瀬戸内海に面した都市です。父はサラリーマンで、母は米軍基地の近くで呉服店をやっていました。この岩国という土地から受けた影響は大きかったと思います。私が生まれた頃、岩国には3つの顔がありました。1つ目は基地の街という顔です。米軍基地があった影響で、欧米の音楽は幼い頃から自然と耳に入る環境でした。FENから流れてくるプレスリーやプラターズを聴きながら、意味がわからないまま英語を空で覚えて歌ったりしたものです。もう1つの顔は公害都市という顔です。昭和30年代の地方都市、それも県庁所在地でもないところですから、自然がいっぱいだと思うかもしれませんが、それは今の人の感覚です。岩国自体は相当な田舎にもかかわらず、自然豊かとも言いがたい状態でした。実際には公害の影響で、空気も海もかなり汚かったのです。もう1つは、観光地としての顔です。日本三大奇橋の1つとされる錦帯橋があり、それなりに観光客も訪れていました。この3つの顔の中でも、私にとって一番エキサイティングだったのは、米軍基地の存在でした。朝鮮戦争が終わってからもしばらく国連軍は岩国基地にいました。そのため、米軍だけではなく、オーストラリア軍なども駐留していて、いったいここはどこの国だという風情でした。そういう土地なので、娼婦の姿も日常的に見かけました。いわゆる「パンパン」と呼ばれる人たちです。必ずしも若い女性ばかりではなく、いまでいう熟女、平たく言えばおばちゃんも多く、そういう人たちとの交流もありました。初期の作品、「ホットドッグララバイ」は、岩国で育つ少年を主人公にしたものです。地元の少年と米兵やその家族、また娼婦たちとのかかわりを中心に話は進みます。ここに出てくる様々なエピソードは、かなり当時の経験を参考にしています。

・なぜ日本の漫画文化が世界でこれほど突出して発達したのか、これには戦後存在した3つの要素が関係していると言われています。第一は手塚治虫さんという大天才の存在です。第二に、漫画の読み手として、団塊の世代が存在したこと。第三が、漫画をプロデュースしたのが大手出版社だったということです。世界各国では漫画を出している雑誌社は小さいところが多いのです。ところが日本の場合は、講談社や小学館、集英社といった大手が漫画を手がけてきた。大手にはそれだけ人材がいるわけですから、マーケティングリサーチをきちんとやって作品を生み出すことができる。そのおかげで漫画が子供だけのものではなくなったのです。これが大きかったと思います。

・どの仕事でも嫌だと思ったことはないし、単調な仕事の中にもいつも「あ、こうすればうまくいくんだ」という面白さを感じていました。これは性分なのかもしれません。だから会社に入ってからも同じような感じでした。そういうことを面白がらない人というのも、バイト先や会社の中にはいました。突き放した言い方をすれば、何も工夫しない人です。言われた通りにしかやらないので、ちょっと角度を変えてみるという工夫すらしない。そういう人は何分何をやってもだめです。

・嫌な上司であればある程、「なんでこいつこんなに嫌な野郎なんだろう」と研究する。これがすごく面白かったものです。「うわあ、ここ嫌だなあ」と思いながら「わかりました」と返事だけはきちんとする。面従腹背です。心の中で「部下にこういう言い方をしてはだめだよな」と、反面教師にしながら、いわばデータを収集していたのです。もちろんその頃はサラリーマン漫画を描くなんてことは思ってもいません。でも、そんな心構えでいると、嫌な上司との諍いですら、実に面白かったものです。たとえばすぐ怒鳴る上司をよく観察すると、怒鳴るときに必ず右眉が上がることが判明した。すると、次からは右眉が上がった時点で、「とっと来るぞ」みたいな感じになる。案の定、ドーンと雷が落ちる。こうなると「ほらほらやっぱり来た」と思うだけなので、全然へこまずに済むのです。

・幸之助さんの教えで今でも大切にしているのは「利益を追求するな」ということです。儲けようと思って事を始めるのではなく、一所懸命やった結果としてもらえるご褒美、それが利益なのだというものです。そんなもの詭弁だと思う人もいるでしょう。でも、私は今でもそういう風に思うようにしています。金を稼ぎたいからこの漫画を描くという考え方はしません。自分が何を描きたいから描く。もしかするとそれはいま全然受けていないテーマかもしれないけれど、一所懸命やったら、面白いものを描いたら、誰かが買ってくれるだろう、それが結果的にお金になればいい。本当にそう考えているのです。だから実はマーケティングリサーチをやって、「今これが流行るから」というような形で題材を選んだことはないのです。これまでの作品を見ていただければわかりますが、そのときに流行っているようなジャンルではないものばかりです。

・これは、松下時代に下請けの人たちと良好な関係を築けていたのも大きかったと思います。上司や同僚の中にも、下請けにやたらきついタイプの人もいるわけです。「あんな言い方をしなきゃいいのに」と思わせる人です。その人が帰った後で、先方と一緒に居酒屋に行って「あの課長はああいうところが駄目ですよね」なんて話して、気を穏やかにしてもらうようなこともしていました。相手がへこんでいて気の毒だったのです。もちろんそのときは計算していたわけではなく、気持ちの問題としてそういうことをしたのです。でも、そういう人間関係を保てたことはあとになって身を助けてくれたと感じました。

・私自身のことでいえば、根が明るいし、酒が呑めるというのはプラスに働いたと思っています。編集者にとって付き合いづらい人間ではなかった。そのへんは社会人経験をしたことが役に立ったのでしょうし、持って生まれたプラス思考に助けられました。そんなの不公平だと思うでしょうか。その通りです。まったく不公平な話です。でもそういうものなのです。

・プロとしてやっていくにあたって、ひとつだけ絶対にやるまいと思ったこと。それは締め切りを破ることです。サラリーマン時代、宣伝の仕事ではノベルティやポスター制作で、デザイナーたちとつきあっていたことはすでに述べました。彼らは納期を守らないことがしょっちゅうで、イライラさせられたものです。新人のうちから納期、つまり締め切りを守らないようでは、次の仕事はない。そのことは強く意識しました。だから3日間徹夜してでも締め切りにはちゃんと間に合わせていました。その原則はいまでも貫いています。

・大体、子供の頃から大学卒業くらいまでに話す相手は、同世代の、しかも趣味の合う人間ばかりです。それが会社に入ると180度変わる。世代も趣味も違う人間ばかりです。しかもそういう人たちに嫌われないようにしなくてはならない。このとき相手に好かれるには、ゴマすりではなく、人の話を聞くことのほうが重要だと思います。松下幸之助さんは聞き上手だったといいます。誰かがまったく自分とは異なる考えを言ったとしても、まずは「うん、なるほどなあ」と言った。若手が言ったことを絶対否定せずに、とりあえずは受け取ったというのです。すると若手のほうとしては、「ああ、幸之助さんが聞いてくれたんだ」と感動して、モチベーションが上がる。これは大切なことだと思います。

・漫画に限らず、何か物を作ろうという若い人は、古いものも含めてとにかくいろんな作品を摂取したほうがいい。漫画家ならば漫画をたくさん読むのは当たり前ですが、小説も読んだほうがいい。新聞も読むべきです。ゼロから物を作ることは不可能ですから、必ず誰かの物まねから入るわけです。いろんなものを摂取して、それでたくさん引き出しを作っておく。そして、その中から少しずつ「今回はこれとこれを出そう」「今度はこっちとあっちを引き出そう」とやるのです。

・私は人生の経験は鯨みたいなものだと考えています。今はどうだか知りませんが、昔はよく教科書や子供向けの本などに、「クジラは捨てるところがない」と図解入りで載っていたものです。肉は食べられるし、それ以外の部分も鯨油やかんざしの材料など、あらゆる部位が有効活用できて、使い尽くせると言われていました。人生の経験も同じではないでしょうか。考え方ひとつで、どんな経験でも使える。捨てるところはないのです。

・どんな経験も何かには使える、と思って損はない。そう私は思っています。何をやってもダメで、ボロボロだったという日もあるでしょう。そんなときでも、何か得ることはあります。なぜ今日はボロボロだったか、それを考えることは必ずプラスになるはずなのです。たとえものすごいどん底にいても、いまが底で後は上がるだけだと思っていればいいじゃないですか。

・現在の境遇に不満を感じている若い人、不遇を嘆いている若い人は、こんなふうに考えてみてはどうか、と思うのです。もしもこの時代、中東に生まれていたらどうか。しょっちゅう起きる戦争や内乱に巻き込まれて、もうとっくに死んでいるかもしれません。二十歳まで生きていることすら困難です。それを思えば日本に生まれただけでもラッキーだと考えることはできないでしょうか。しかも私たちが生まれたのは日本の現代です。この日本でも平安時代だったら飢饉で死んでいたかもしれない。江戸時代なら流行り病で死んでいたかもしれない。運悪く侍に切り捨てられていたかもしれない。そう考えてみると、今の時代、今の日本に生まれたという二つの極が重なっただけで、まず世界中の人から見たらかなりラッキーなのです。日本は豊かです。世界では年収30万円以下の貧困層が全人口の7割を占めます。この現実を確認して下さい。日本人は、60億人の中でも相当上の方に生まれてきたと考えて間違いありません。

<目次>
はじめに
第1章 ア・ハード・デイズ・ナイト
 昼も夜もなく働く
 すべては漫画のために
 仕事が楽しくて仕方がない
第2章 人生に無駄な寄り道はない
 基地の街に育つ
 漫画家を諦める
 団塊世代が漫画を育てた
 夢は大抵かなわない
 夢に期限を持て
 学生運動への違和感
 目標は手の届くところ
 リサーチは役に立つか
 発見こそが面白い
 嫌な上司の対処法
 幸之助イズム
 退社を決意した夜
 基本は人間関係
第3章 すぐに成功しなくていい
 ヒューマニズムと手塚治虫
 手塚先生怒る
 締め切りは厳守する
 打ち合わせは無駄
 編集者と漫画家
 社長はつらいよ
 転機となった「人間交差点」
 他人の視点は大切
 海外でも評価された暗さ
 仕事場はアナログ
 ハロー張りネズミ
 社会人経験の意味
 引き出しを多く
第4章 島耕作の誕生
 係長だった「島耕作」
 漫画の取材現場
 人生経験は鯨のようなもの
 なぜ「島耕作」を終わらせたのか
 島耕作の復活
 ほらな!と思うとき
 もうだめだと思わない
 中年も恋をしたい
 映像化不可能な作品
第5章 閉塞感を嘆く前に
 人生は自己責任
 人間はアメーバではない
 誰もがラッキー
 老人になる面白さ
 誰かのせいにしても始まらない
 目先のことに集中する
 自らを楽しいところに置く


面白かった本まとめ(2010年上半期)

<今日の独り言>
6歳の息子は、今までぬいぐるみの「くまちゃん」を大切にしていましたが、新たに仲間が加わりました。ぬいぐるみの「いるかくん」です。2匹はとても仲が良いようです^_^)

コメント
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