いいね~おいしいね~

食べたり買って良かったもの等を実体験に基づき厳選紹介!ぜひご利用頂きより良い人生や日本経済等活性化につながれば幸いです♪

「心の野球(桑田真澄)」という本はオススメ!

2010年11月05日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

「心の野球(桑田真澄)」の購入はコチラ


この「心の野球(桑田真澄)」という本は、高校野球やプロ野球の巨人でピッチャーとして活躍した桑田真澄さんの自伝やその思いについて以下のようなことを書かれたものです。

・努力を重ねている人は、突然気付けたり、ボーンと突き抜けたりする。
・人生は常にイヤなことの連続なのだから耐え忍ぶことが大事。
・人生は死ぬまで勉強だ。節制と勉強は一生続けていきたい。
・野球選手で言うならば次の3つの勉強はできるはずなんだ。①読書②語学③トレーニング法などのスポーツ医科学。
・効率的、合理的な練習メニューを考え、短時間集中型の練習をして、残りの時間を「勉強」や「遊び」に充てるべきだ。
・成長過程での「勉強」と「遊び」は、人間形成上とても大切な要素。
・大自然をイメージするようになり、影響をうけるようになった
・ワイン、英語、ピアノ、映画は好き
・野球の道具は大事にして掃除が必要。
・謙虚さが必要。
・球種は2年一度覚えた。ストレートとカーブの他は、スライダー、シュート、フォークなどで7シーズンかかるが、あえて早く覚えなかった。
・現在は清原とは仲がいい


 想像以上に真面目に、そして人生に対して真摯に受け止めた内容です。

やっぱり、人生を苦労し、そしてその苦労を前向きに生かしているのが良いのだと思います。

また、早稲田大学大学院を首席で卒業し、修士論文は賞を受賞しているのは凄いと思いました。

とてもオススメな本です!

以下はこの本のポイント等です。


・皆さんのなかには、僕ががむしゃらに努力していたような印象があるかもしれない。でも、真実は違う。PL学園時代、朝も夜も練習に時間をとられる。どう考えても自分が満足できるような勉強時間は捻出できなかった。それでも勉強を頑張り、よい成績を取ることができた。どうしていたのか、といえば、毎日30分だけ机に向かったのだ。それから、授業の間の休憩時間の10分間は宿題や復習の時間にあてた。たったそれだけを黙々と実行し続けたのだ。プロ野球選手となったあとも、無茶な努力はしなかった。怪我をしてしまったら、元も子もないからだ。巷でよくいわれるような1000本ノックを受けたり、1000回素振りをしたり、300球を3日連続投げるとか、そんな無茶な練習は決してしなかった。その代わり23年間、毎日毎日、1日10分とか15分、小さな努力を続けてきたのだ。

・僕は、野球は人間性を磨くのにとても適したスポーツだと思う。人より早く、怪我することなく上達するためには、スポーツ医科学を勉強することで効率的、合理的な練習方法を考える必要がある。孤独やプレッシャーに耐えながら、勝負所で実力を発揮するためのメンタルタフネスを養うことができる。相手チームや審判、チームメイトや自分自身をリスペクトする態度も身につけることができる。

・小学生時代は4月1日の早生まれということもあり、先生の言うことが理解できない、勉強もできない落ちこぼれだった。野球ではおちこぼれというわけではなかったけれど、3年生のときから6年生のいるチームに入って野球の試合に出ていたから、いじめられた経験もある。できることと言えば、喧嘩だけ。それが、中学生になって努力する楽しみを覚えた。そうすると、それが野球にも活かされてくる。努力する姿勢を野球に持ち込んで、僕はどんどん上達したと思う。この中学時代の経験が、僕に「努力する楽しさ」を教えてくれた。やればやっただけ成果が出る。努力を重ねた部分だけ、結果が出るのだ。努力は楽しまなければならない。中学で努力の楽しさに気づけたことが、最終的には僕の野球人生にはとても大きな意味をもつことになった。僕は身体が小さい。それに、僕にはとてつもなく速いスピードボールがあったわけでも、絶対的な決め球があったわけでもない。引退して改めて振り返ってみると、僕にはひとつだけ「才能」があった。それは努力を重ねるという才能だ。自分の素質、才能などたいしたことはないと思っていたから、試行錯誤を重ねて、努力、努力、努力と、努力をコツコツと積み重ねてきた。そしてその努力の特徴が合理的・効率的な短時間集中型ということだ。プロ野球選手となったあとも、無茶な努力はしなかった。怪我をしたら意味がないからだ。無茶な練習の代わりに、23年間、毎日毎日「50回のシャドウピッチング」を必ず続けた。時間にしてみたら、1日10分とか15分。もちろん、きつい練習もしてきた。けれども、練習は決して量ではないのだ。

・練習が終わり、家に帰ったら母にスパイクの磨き方、父にグローブの磨き方を教えてもらった。その日以来、僕はスパイクとグローブをいつも自分で磨いた。それはプロに入ってからも変わらなかった。道具を粗末に扱う選手はプロフェッショナルじゃないと思う。試合中に悔しさでグローブを投げつける、バットを叩きつける。そういう姿はテレビで放映されて、子どもたちも観ている。プロの選手は、プレーだけでなく、マナーも手本になるようにしてもらいたいものだ。

・右肘にメスをいれたのが、27歳の秋。そして、右足首にメスを入れたのが39歳の秋。思えば、高校1年で夏の甲子園を制してから12年で1つ目の勲章を、さらにその手術から12年後にまた手術を受けることになって、二つ目の勲章を得たということになる。怪我をしてみてはじめて、その痛みや苦しみ、手術の怖さ、リハビリの大変さなどを理解することができた。手術は本当に大変で、そのときは苦しくて怖くて仕方なかったし、リハビリのときの精神的な苦しさは二度と味わいたくない。いま振り返れば怪我をしてよかったなと思える。今後、僕が指導者として若い世代と向き合っていくとき、彼らの苦しみや痛みを理解し、アドバイスをおくることができるからだ。怪我をしたときはとてもショックだったが、今ははっきりと言える。怪我は僕にとって、かけがえのない財産であり勲章だ。

・ドラフトは、日本中を巻き込んだ騒動になってしまった。不動産問題や登板日漏洩などのスキャンダルにも巻き込まれた。一軍復帰が難しい右肘の手術を受けた。メジャー昇格間近のオープン戦で審判と激突してしまい、歩けないほどの怪我を負った。改めて、書き並べてみると「試練」だらけの野球人生だった。ただ、これらの出来事は、僕の人生においてすべて必然だった。本当にそう思っている。僕は何にでも「ありがとうございました」と思って生活している。その背景にあるのは、「目の前に起こったことはすべてパーフェクトだ」という考えだ。手術しないと手術した人の痛みや苦しみはわからない。マスコミに叩かれたからこそ、同じ境遇の人の気持ちがわかる。金銭でだまされたからこそ、同じ被害に遭った人の気持ちが理解できる。人生は自分の目で見て、触れて、体験し、自分なりに咀嚼すること。これに尽きる。

・哲さんの苦悩や努力に比べれば、僕の苦境やがんばりなんて足元にも及ばない。僕はいつもそう考えている。どんなに練習がつらくても、どんなに成果があがらなくても、それを乗り越えてこられたのは哲さんのおかげでもある。野球以外でも、裁判や謹慎処分も経験したし、大きな借金もできた。それによって、マスコミにも叩かれたし、球場では散々野次られた。でも、哲さんの苦しみに比べたら、僕の苦しみは微々たるものだ。いつも僕の頭の中には哲さんがいた。哲さんが背負ったものの重みは僕にはわからない。でも、それだけの困難を乗り越えようとがんばっている哲さんを思うと、僕も、もっともっとがんばらなきゃいけない、がんばらなきゃ哲さんにがっかりされると励まされたものだ。

・野球も人生もつらいものだ、うまくいかないのが当たり前、という発想から入っていれば、つらいことが起きてもダメージは最小限で食い止められる。そもそも、人生は常にイヤなことの連続なのだから、耐え忍ぶことが大事。僕が自分のことを「忍者」と表現するのは、人間はつまり耐え忍ぶ者でなくてはいけないと思っているから。+(プラス)という文字を書いてもらいたい。この+には、横に棒がある。-。そう、マイナス。プラスのなかにはマイナスが含まれているのだ。マイナスなことを乗り越えてこそ、プラスになる。プラスになれば、なぜか感謝の気持ちが生まれ、その気持ちがつながっていき、やがて心のなかが感謝で満たされていくのだ。

・ストレートを何球か投げたあと、僕はカーブを試そうと振りかぶった。投球動作に入ろうと右腕をおろしたとき、ボールを握っている右手が右ももに当たってしまった。そのせいでボールの握りが少しずれてしまった。「しまった」と思ったが、もう遅い。仕方なく、ずれたままの握りでキャッチャー目がけてカーブを投げ込んだ。ところがどうだろう。自分の予想に反して、カーブがストーンと曲がったのだ。投げた自分がびっくりするほどの切れ味だった。カーブが投げられるようになり、ピッチングが楽になった。バックネット裏を見たら清水さんが腕組みをして僕のことをじっと見つめていた。その姿を見ているうちに、清水さんがいつも口を酸っぱくして「こういうストレッチを毎日しとけ」と言っていたのを思い出した。あのアドバイスが、大一番に活きたのだ。それストレッチというのは、肘を強化するためのものだった。努力が実を結んだ瞬間だった。この経験は大きかった。地道に努力を続けていけば、ある日突然伸びるときがある。僕はこれに気づけたことが本当にうれしかった。この「気づく」というのには能力が必要。

・この「気づく」というのは準備をしっかりしていれば身に付く。その準備で一番大事なのは努力。努力していない人には、誰も力を貸してくれない。でも、努力、努力、努力を重ねている人は、突然気づけたり、ポーンと突き抜けたりする。ある日突然、うまくなる。ある日突然、成果が見える。もうだめだ!もうつらい!と思っても、怠けたいという気持ちを抑え込む「努力」があればこそ、成長する。これが「成長の法則」なのだ。

・グランドキャニオンの大渓谷。見渡す限り巨大な絶壁が広がっていて、そのふもとのほうにはコロラド河がかすんで見えた。この大自然に素直に感動した。自然と涙が出てきて、鬱々とした気分が本当に一気に吹っ飛んだ。「なんて、自分は小さいんだろう。この大自然の雄大さに近づきたい」「もっともっと大きな気持ちだ。このグランド・キャニオンのような大きな気持ちに、なぜなれなかったのだろう」そう己を反省し、その場で目標を立て直した。「今年は2勝だった。来年8つ勝てばトータルで10勝だ。まず、10勝達成を目指そう」大自然を前に僕は誓ったのだ。15勝6敗。防御率2.17.投球回数は207回と2/3.これが2年目に記録した数字だ。僕はグランド・キャニオンでの誓いを達成したのだ。そこから僕は大自然をイメージするようになった。自然に影響を受けるようになったのだ。われわれ人間は、この地球で生きているのではない。生かされているのだ。その認識がとても大切。どんなに科学技術が発展したとしても、権力があっても、お金があっても、台風や地震といった天災は防げない。自然に敬意を払い、自然を労わり、自然に感謝する、自然とともに生きているという心構えがあると、自然さえも見方につけられる気がする。

・「あたしだって食べたいよ。でもそんなお金の余裕はないんだから」と言われて、子ども心にも本当に驚いた。そのことは今でも忘れられない。高校のときも僕と弟は、肉なら焼肉でもステーキでも、それこそ二人で1キロはペロリと食べていた。最近、聞いた姉の話によると、1キロではなく、3キロだったということだが、どちらにせよ母と姉は自分たちが食べる余裕はなかったからずっと我慢していたのだ。だから僕は、母親と姉に対しては、一生かかってもこの恩は返せないな、と思っている。また、小学生時代には家族みんなで内職をしていたことも記憶に残っている。そんな貧しいなかで、お腹いっぱい食べさせてもらっていたし、小学生のときから野球をやらせてもらったことを、僕はとても感謝している。野球クラブの月謝は高いし、お金持ちの子も周りにいたから、母親は大変だったと思う。

・正式に結婚を申し込んだのは、自宅や不動産を処分して、莫大な借金の返済計画を立てている頃だった。本人は結婚を了承してくれたものの、彼女の両親がどう受け止めるか、それが心配だった。「仮に君が順風満帆に来ていれば、大変な財産を作っていただろうとも考えられる。そういう財産があるところに、うちの娘をやるよりも、こういうつらいときにやるほうがかえっていいと思う。そりゃ、心配ではあるけれど、何かあれば私も力になるから、二人で力を合わせてがんばりなさい」真紀のお父さんの言葉だ。

・人生は死ぬまで勉強だ。節制と勉強は一生続けていきたい。野球選手で言うならば、次の3つの勉強はできるはず。①読書②語学③トレーニング法などのスポーツ医科学。実は野球選手には、思いのほか時間がある。練習や試合以外の時間の過ごし方が、野球でのパフォーマンスにも大きく影響してくると僕は考えている。遠征が3日間あったら1日は美術館に行ったり、博物館や図書館に出かけて芸術や文化に触れてみるとよいだろう。また、チーム内には外国人選手がいるのだから英語やスペイン語、韓国語などで話しかけてみたり、単語の一つも覚えたりすることがチームプレー、チームワークにつながっていくと思う。新幹線のなかでも文学に触れてみることが大事。僕は、野球選手はもっと本を読むべきだと思う。

・僕のなかには、「スポーツ」「音楽」「言語」の3つは、世界平和の実現のためにとても大事なものだという考えがある。野球ができれば、キューバ人だろうが、イタリア人だろうが、アメリカ人だろうが、韓国人だろうが、人種に関係なく、彼らとコミュニケーションをとることができる。ピアノが弾けたら、ドイツ人だろうが、フランス人だろうが、ピアノにまつわる音楽についての会話をかわすことができる。そして、たとえばスペイン語を話せるのであれば、スペイン人やメキシコ人などと、コミュニケーションをとることができる。そうしてお互いに理解し合うことが、世界平和につながるはずなのだ。

・自分の思い描く理想の党首に近づくためなら、どんな人にでも臆することなく話を聞きに行った。金田正一さん、藤田元司さん、平松政次さん、東尾修さん、江川卓さんら、右投げ、左投げ関係なく、聞きに行った。家まで押しかけたことがあるくらいだ。変に臆してもしょうがない。行動を起こさなければ何も変わらないし、短い野球人生のなかで、行動を起こさずに悔いを残したくはなかった。ほかにも、日本やメジャーのピッチャーの投球フォームをビデオで録画して研究していた。

・ドラフトで右と左に分かれてしまったあと、すっかり遠ざかってしまった僕たちの距離は、清原君が巨人に来たときに半分くらいに縮まった。それまでは、笑っていても、どこかで距離を置いたり作り笑いだった気がする。でもその後彼が巨人を出て、僕も巨人を出て、距離はそのまた半分まで縮まり、僕が引退したことで、さらにまた縮まった。あと少し、もう少ししたら完全に昔に戻れると思っていたが、清原君がユニフォームを脱いで、僕と彼の距離は23年ぶりに、高校時代の距離に戻った。今では、僕たちはお互いの顔を見て、心から笑えるようになったのだ。

・僕自身が経済のことを知っておかねばならないだろうし、法律にもある程度精通しなくてはならない。現場のことは、もう誰よりもわかっている僕だから、経済・法律の大枠を身につけられればより広い視点で野球界を見ることができる。そう考えて僕は不惑を超えてからの大学院進学を決意したのだ。2009年4月からの1年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に通った。授業では法律、経済学、経営学、行動科学(心理学)、財務会計、MBA、経営管理を勉強した。あとは体育とスポーツというカテゴリーもあった。人間が健康になるためには、当然、適度な運動が必要で、その運動するための身近な設備をこれからの日本はどのようにして整備していかなければならないのか。そういうことも頭に入れながら、授業を受けていた。

・2010年3月25日。僕は大学院の卒業式を迎えた。成績は首席だったため、卒業生総代を務めさせていただいた。提出した修士論文は「最優秀論文」と「濱野賞(日本スポーツ産業学会からの表彰)」を受賞するなど、大学院生活は充実した1年だった。僕の実績と、早稲田で学んだことを活かして、いかに野球界に還元していけばいいのか。頭の中でいろいろなアイデアが浮かんでいる。第二の野球人生がいよいよ始まるのだとワクワクしている。

<目次>
序章
第1章 努力
第2章 野球エリート
第3章 怪我は勲章
第4章 試練
第5章 超マイナス思考
第6章 無常観
第7章 指導者とは
第8章 仁
第9章 成長の法則
第10章 万里一空
第11章 感謝
第12章 桑田流プロフェッショナルの定義
第13章 因果応報
第14章 情
第15章 プロセス
第16章 調和
第17章 挑戦
第18章 心の野球
終章 ”わしぇら”で学ぶ
あとがきにかえて
全記録-桑田真澄の軌跡-
プロフィール

面白かった本まとめ(2010年上半期)


<今日の独り言> 
Twitterをご覧ください!フォローをよろしくお願いします。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする