福岡県北九州市小倉北区のJR小倉駅やJR西小倉駅から徒歩約10分の所にある小倉城へ行ってきたので紹介したいと思います♪
↑小倉城周辺地図
↑小倉城近辺地図
小倉城の歴史は、戦国時代末期の1569年に中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まりますが、関ヶ原の戦いで功があった細川忠興によって、慶長7年(1602年)から約7年かけて大規模に築城され、城下町が建設され、今につながる小倉名物の祇園祭りも誕生させ繁栄したようです♪
天守閣は1837年の火災によって焼失し、それから江戸時代には再建されることはなかったのですが、1959年(昭和34年)に市民の熱望によって鉄筋コンクリートで天守閣が再建されたとのことで、現在もその立派な姿を見ることができます♪
素晴らしいお城です♪
↑天守閣
天守閣の前には壕があり、その水面にも城が映っていましたね♪
↑水面にも天守閣
↑正面からの天守閣
↑正面の水面の天守閣
↑違う角度からの天守閣
そして城内に入り天守閣を目指します♪
↑周辺案内図
↑天守閣入口に向かう
↑天守閣入口
↑小倉城の説明
天守閣入口には小倉城の説明があり、細川忠興は関ヶ原合戦の功により豊前全域と豊後2郡を合わせた30万石の大名として入国し、当初はその領国の中心地である中津城に在城していましたが、小倉城を築城の頃から小倉に移ったようです。
自動販売機で350円の入場料を支払って入ります♪
↑入場料一覧表
そしてフロア案内がありました♪
↑フロア案内
フロアは以下の内容となりますね♪
5F:小倉城下展望室
4F:企画展示コーナー
3F:武蔵・小次郎伝
2F:小倉城英傑伝・小倉ゆかりの文化
1F:小倉城シアター・時代なりきり体験
1Fから見学すると、まずは小倉城の年表がありました♪
中国地方の大大名・毛利元就が小倉城を築城していたとは知りませんでしたね♪
その後、豊臣秀吉の家臣・黒田孝高によって攻め落としています。
↑小倉城の年表
それから、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘が、慶長17年(1612年)になります。
↑小倉城の年表
実は幕末には小倉は長州藩を攻める幕府の拠点となりましたが、逆に長州藩に攻められて苦戦、小倉藩は孤立無援となって、ついに1866年8月1日に自ら小倉城に火を放って戦線を後退せざるを得なかったようです。
そして1871年の廃藩置県により豊前が小倉県となり、1876年に福岡県に合併とは知りませんでしたね。
そして小倉城は陸軍省用地となり、1898年には陸軍第12師団司令部が置かれ、1933年には陸軍造兵廠が置かれ、戦後には1945年に米国駐留軍が城内を接収し、1957年に解除されたとは知りませんでした。
米軍も小倉城内にいたんですね。
↑小倉城の年表
それから1729年(享保14年)3月14日に、ベトナムから来た白いゾウが将軍がいる江戸を目指して長崎を出発し、小倉には3月24日に到着したことが書かれていましたね♪
これは全国で記録が残っていて、長崎街道を通ってやって来て、船で関門海峡を渡ったとはなるほどです。
↑ゾウの記録
そして細川家三代の説明がありました♪
なかなか興味深いです。
↑細川家三代の説明
↑相関図
細川家の後には、この豊前には小笠原家が入りますが、徳川家康と織田信長の息子・娘の子どもと結婚しているとはなるほどです。
小倉は九州の要衝なので、徳川家の血筋が入っているんですね。
また小笠原家は大坂夏の陣で、当時小倉城を治めていた毛利家に討ち取られていて、そして細川忠利と小笠原家の娘が結婚しているとはなるほどです。
↑大坂夏の陣関連
それから、小倉城の石垣には、築城からの歴史が刻まれているとのことでした。
↑小倉城の石垣
そして、現在の全国天守高さくらべがあったのですが、何と小倉城は6位を誇っているとは知りませんでしたね♪
小田原城や広島城よりも大きいです♪
ちなみに1位からは大阪城→名古屋城→島原城→熊本城→姫路城となります。
島原城もかなり高いんですね。
↑全国天守高さくらべ
それから築城当時の天守の規模は、小倉城はかなりの大きさを誇り、熊本城や豊臣大阪城よりも大きいとは驚きましたね。
↑天守の規模
そして朝鮮通信使の説明もありました♪
これも全国に記録が残っていて、江戸時代には将軍の代が代わると、祝賀のために朝鮮王朝から300~500人規模もの往来があり、対馬を経て玄界灘の相島から大阪までは海路で、大阪から陸路で江戸間で向かったようです。
そんなにも大人数が訪れていたとは驚きです。
幕府も莫大な費用がかかっていたようです。
↑朝鮮通信使
それから3階には宮本武蔵と佐々木小次郎の説明がありました♪
↑宮本武蔵と佐々木小次郎
巌流島では、宮本武蔵は真剣ではなく木刀で戦ったとはすごいです。
↑巌流島の戦いの説明
↑巌流島の戦いの再現
そして宮本武蔵の連戦連勝の足跡の説明もありました。
9番目の夢想権之助は確か現在の杖道の創始者で、引き分けとも伝わります。
↑宮本武蔵の連戦連勝の足跡
佐々木小次郎は越前の生まれで、細川忠興に見出され、小倉藩剣術師範だったようです。
↑佐々木小次郎の説明
そして5階に行くと展望台となっていて、東西南北の景色を見ることができます。
しかし大都市小倉なので、ビルで海を見ることができなかったのは残念でしたね。
↑5階フロア
↑西側の説明
↑西側
↑北側の説明
↑北側
↑東側の説明
↑東側
↑南側の説明
↑南側
それから小倉は陸海交通の要衝の地で、その説明もありましたね。
↑小倉の陸海交通の要衝の地
↑小倉の陸海交通の要衝の地
そして江戸時代には小倉は細川藩・小笠原藩の城下町として大きく発展したようです。
↑江戸時代当時の絵
小倉城はとても立派な城で、天守閣内ではその歴史や宮本武蔵なども分かりやすく学べ、また最上階では眺めもよくとてもオススメです!
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