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水城(福岡県 太宰府市〜大野城市〜春日市)の見学はとてもオススメ!

2022年04月14日 01時00分00秒 | イベント・外出

 偶然にも自転車旅をしていると、福岡県の太宰府市〜大野城市〜春日市にある水城(みずき)を見つけたので寄ってみました♪

 場所は福岡県の春日市から太宰府市方面への市境の4車線の県道31号線(通称5号線)沿いの左側に「特別史跡水城跡 水城ゆめ広場」があり、そこから水城へ歩いて行くことができました♪
 車を駐車することができます。

↑県道31号線(通称5号線)沿いの「特別史跡水城跡 水城ゆめ広場」入口

 その「水城ゆめ広場」の右奥には木々に囲まれた大きな新池があり、入口近くにはトイレと休憩の小さな建物があって、休憩の建物に水城の分かりやすい説明や写真がカラーでありました♪

↑新池

↑詳しい説明の全体

↑詳細の写真全体

 水城は日本の古墳時代の古代の城で、日本は660年に滅びた朝鮮半島の百済復興のために663年に援軍を送るも白村江の戦いで大敗したことから、唐・新羅の来襲に備えて664年に造られた約1.2km✕高さ約10mの直線状の土塁となります。

↑説明の拡大

 古代の城なので、石垣や天守閣がある城ではなく、まっすぐな堤防のようなもので、大陸側の博多湾側には幅約60m、深さ約4mの外濠もあり、内陸の太宰府側から土塁下を通って外濠へ給水する木樋(もくひ)もあったとは驚きです。
 当時からそのような技術があったんですね。
 また、その外濠の水があることから水城と呼ばれていたようです。

↑当時の土塁や外濠、木樋等の想像図

 しかも、大体その水城が現在も残っているとは素晴らしいと思います♪

 すぐ近くのJR水城駅から福岡市の中心部である博多駅まで電車で約10分ほどで、近くにはマンションが建ち、都市化が進んでいるためです。
よくぞ今まで保存されてきたと思います!

 その説明は秀逸で、当時の唐や高句麗、新羅、百済、白村江の位置関係が分かります♪

↑7世紀の地図

↑7世紀の東アジアの説明

 また、当時の水城や地名にもなっている大野城、太宰府の位置関係も分かりやすくあります。
 この水城が完成した後に、大宰府政庁が造られ、太宰府政庁が日本の海外との窓口となったようです。

↑水城の辺りの地図

↑水城と太宰府の説明

 そして、水城には東西2ヶ所に門があり、博多湾近くにあった鴻臚館という迎賓施設とはほぼ直線で水城の西門と繋がり、外国使節や都からの使者がこの西門を通って太宰府政庁まで行っていたようです。

 門は完成した古墳時代から、飛鳥時代、奈良時代を経て平安時代まであり、その後は礎石だけ残っているようです。

↑東西ルートの地図

↑東西の門などの説明

 その後は、水城の濠は田畑・湿地となり、土塁は木々に覆われたようです。
 ただ、地元では天智天皇の頃に造られたとして水城が大切にされてきたとは素晴らしいです♪
 大正時代に調査・研究が始まり、大将10年(1921年)に国の史跡に指定され保存されているようです。

↑その後の絵

↑その後の説明

 改めて、大きな写真を見ると、その直線状の水城が緑に覆われてほぼ保存されていることが分かります。
 ただ、一部は高速道路や鉄道、国道などで分断されていて、それは仕方ないとは思います。

↑水城の西側の写真

↑水城の東側の写真

 それからその他にも分かりやすい写真が豊富にありましたね♪

↑水城と描かれた墨書土器や東門門礎

↑瓦窯跡や木樋

↑太宰府側からの御笠川と水城

 特に土塁断面全景は素晴らしいです♪
 当時この約10mもの高さの土塁を約1.2kmにわたって造ったとは凄いと思います。

↑土塁断面全景

↑現在の西門跡

 それからせっかくなので、水城の方まで散策を楽しみました♪
 この散策道は、木々に囲まれて森林浴を浴びることができ良いハイキングコースです♪

↑水城への道

 途中に水城跡西側丘陵の歴史と自然の説明がありました。
 この辺りには昭和初期には「思水園」という庭園があったんですね。

↑説明板近く

↑水城跡西側丘陵の歴史と自然の説明

 それから木々に囲まれたハイキングを楽しみます♪

↑木々に囲まれた道

↑木々に囲まれた道

 そして水城の自然地形利用の説明もありました。
 自然地形の谷筋や水の流れを計算して、西門付近の内濠に水を導くようにしていたようです。

↑水城の自然地形利用の説明

 それから改めて西門や官道の説明がありましたね。

↑水城西門跡と官道の説明近く

↑水城西門跡と官道の説明

 そして改めて水城の説明もありました♪
 この水城の他に、同じ目的で造られた小さな土塁が大野城市を含めて6ヶ所確認されているようです。

↑水城跡と水城跡の説明板近く

↑水城跡の説明

 そして平成19年3月の日付で、特別史跡水城跡の調査成果の説明がありましたね♪
 当時の写真を見ると、かなり丁寧に発掘調査されたようです。
 実は西門は8世紀に2回建て替えられていて、3回目の門は、敵の侵攻の恐れがなくなったことから見かけを重視した二階建て風の立派な門になったとは興味深いですね♪

↑特別史跡水城跡の調査成果の説明

 現在の道の写真は以下で、昔はこれが官道だったとは感慨深いです。

↑現在の西門跡及び官道

↑上の写真の反対側の道

 そして、博多湾側の水城の横を通りました♪
 現在ではかなり木々に覆われていますが、たしかに高さ10mほどの土塁がずっと続いていて、今も残っているとは素晴らしいです!

↑水城(博多湾側)

↑水城(博多湾側)

↑水城(博多湾側)

↑水城拡大

 そしてJR水城駅辺りまで歩くことができました。

↑JR水城駅

 水城は、唐・新羅の来襲に備えて664年に造られた約1.2km✕高さ約10mの直線状の土塁で、それを実際に見ることができてとてもオススメです! 


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