新幹線で新高岡駅まで行き、そこでこのブログでも紹介しましたが、自転車をレンタルして国宝の瑞龍寺を見学、末広町電停の近くの日乃出寿司で富山湾鮨を堪能した後に、比較的近くにある高岡大仏へ行ってきました♪
↑高岡大仏
↑周辺地図
実は高岡は、梵鐘、銅像、花器、茶器、美術品など様々な銅器製品の産地で、国内シェアが90%を超える日本一の銅器の街とは知りませんでした。
その高岡の鋳物技術の粋を集めて約30年の歳月をかけて1933年(昭和8年)に青銅大仏として完成したのが、この高岡大仏とのことです。
高岡大仏は、奈良、鎌倉と並んで日本三大仏とは知りませんでしたね!
総高15.85m、重量65tとはかなり大きいと思います!
夜はライトアップもされるようですね。
高岡大仏に近づくと、その大きさがよく分かります♪
素晴らしいです♪
しかもこの大仏はハンサムらしいです♪
↑高岡大仏に近づく
↑高岡大仏に近づく
↑高岡大仏に近づく
そして高岡大仏の説明がありましたね。
正式には「銅造阿弥陀如来像」で、日本遺産にも認定されていますね。
↑高岡大仏の説明
この大仏の起源は以下の通り古く、当初は木造大仏だったようです。
昔は木造だったので火事でよく焼失したようです。
・承久の乱(1221年)を避けた源義勝が二上山麓に木造大仏(約4.8m)を造営したのが起源
・高岡開町により城下に移され延享2年(1745年)に木造大仏(約9.7m)再建→文政4年(1821年)焼失
・天保12年(1841年)に木造大仏再建→明治33年(1900年)に大火で焼失
・明治38年(1905年)に銅製大仏建立を決定→市民浄財により昭和8年(1933年)建立
もっと近づいてみると、建立に携わった方の名前などが刻まれていましたね。
↑もっと高岡大仏に近づく
そしてその大仏の下に行くことができました。
当時の大仏の鋳造作業風景の想像図がありなかなか興味深いです。
↑当時の大仏の鋳造作業風景の想像図
そして黒い大仏の頭等も飾られていました。
↑黒い大仏の頭等
外に出ると、時鐘がありましたね。
↑時鐘
江戸時代当初は実は高岡には時を知らせる時鐘がなく、ようやく初代ができたのは文化元年(1804年)だったようです。
そして不都合が生じたため、寄付や浄財を募って文化3年(1806年)にこの大鐘が完成したようですね。
その後何度か移転されたようです。
↑時鐘の説明
日本三大仏の1つである高岡大仏の見学は、高岡が銅器製品の産地ということも分かり、その大きさには感動で、とてもオススメです!
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