いいね~おいしいね~

食べたり買って良かったもの等を実体験に基づき厳選紹介!ぜひご利用頂きより良い人生や日本経済等活性化につながれば幸いです♪

市場の厨房(東京 築地場内)の食事はとてもオススメ!

2016年07月16日 01時00分00秒 | 外食

知人から東京の築地場内へ行くなら「市場の厨房」で食べた方が良いと聞いていたため、何度か青果側を探したのですが、見つからず悔しい思いをしていました。

もしやと思い、道路側のこんなビルには絶対ないなと思うビルに何と「市場の厨房」があるのを発見して驚きました♪
喜びもひとしおです♪


↑店構え

店内は、築地場内とは思えないほど綺麗でオシャレです^_^)


↑店内

しかも女性の店員がフレンドリーに接客してくれます。
築地で働く常連がほとんどのお店なので、店員さんも客がいつも何を注文しているのか把握しています♪


↑メニュー


↑メニュー

朝定が650円とかなりリーズナブルなのは嬉しいですね♪
日替わりのミックスフライが900円であるのでそちらを注文します♪
ネーミングが素晴らしいですが^_^;)、ランチメニューの「どんどん丼」1700円が気になりますね♪
たっぷりの海鮮丼が良さそうです♪


↑ミックスフライ定食

しばらくしてミックスフライ定食が運ばれます♪
フライがアツアツで、大きなアジフライが嬉しいですね♪
チーズささみもチーズがとろけて美味しい♪
ヒレカツもあり十分堪能しました♪
築地へ来て、肉?とは思いましたが、なかなか美味しいです。
「市場の厨房」はオススメですね!

次回は「どんどん丼」にチャレンジしたいと思います♪

----------

別の日に「どんどん丼」も楽しみました♪

厚い刺身がたっぷり入っていて、とても豪華!

旬のサンマの刺身も入っていて美味しかった♪

「どんどん丼」と注文するのは、ちょっと恥ずかしいかもしれませんが、コスパにも優れていて、とてもオススメです!

↑どんどん丼

なお、この「市場の厨房」は豊洲へ移転するのではなく、築地場外へ移転するとのことでした♪


美味しかったものまとめ(2016年上半期)

<今日の独り言>
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「ぼくたちに、もうモノは必要ない。(佐々木典士)」という本はとてもオススメ!

2016年07月15日 01時00分00秒 | 
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」の購入はコチラ

 「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」という本は、本やCD・DVD・服・アンティークカメラ・よくわからないランプなどに埋もれた汚部屋に住んでいた著者が、不要な本や机・イス・テレビ・なども含めて約95%のモノを捨て幸せになったことから、そのモノを捨てるための心構えやテクニック、モノを最小限に減らしたことで変わった変化やポジティブな側面、どのような幸せになったかを冗長ながらも分かりやすく説明したものです。

 自分も比較的部屋にモノはない方で、スッキリして快適で幸せな生活を送っているつもりでしたが、著者は徹底的に本やCDだけでなく、本棚やテーブル、ソファなど器も徹底的になくすというのはスゴいと思いましたね♪

実際にその写真もあり、クローゼットも余裕だし、食器棚も余裕♪
とにかく部屋が清潔で美しい!

ここまで目指そうと励みになりましたね♪

特に部屋のものを捨てるポイントは以下かと思いました。

・1年間使用しないものは捨てる(特にホコリをかぶっているものは捨てる)
・本は必要なものはAmazonのKindleで読む
・収納からなくす
・写真はデータで保管する
・捨てづらいモノは写真に撮って捨てる
・ストックは置かない
・代理オークションを使って売る(Quick Do)
・出張買い取りを利用して売る

それから、モノを捨て変わることは以下とのことです

・時間ができる(買い物・家事・だらだらする時間・探す時間・掃除の時間等がなくなる)
・狭い部屋で住めるようになるので家賃も安くなる
・他人と比較することがなくなり精神上良くなる
・時間ができるので行動的になれる
・痩せる
・家庭内のケンカが減る
・感謝できる

 より良い人生にするためには、住んでいる部屋で不要なものはできるだけなくし、そうすることによりできる時間・お金を有効活用すると良いかと思います。

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」という本は、とてもオススメですね!

以下はこの本のポイント等です。

・かつての僕のようにみじめで、自分を誰かと比べてばかりの人、つまり自分のことを不幸だと思っている人にはモノから一度離れてみることが、とにかくおすすめだ。最初からモノに執着がない人や、モノのカオスの中から宝物を見つけられる天才はいる。だけど、ぼくが考えたいのは、「普通」の人が、もっと「普通」の幸せを感じられるようなあり方だ。誰しもが幸せになりたいと願っている。だが、そう願って手にしたモノは、ほんのわずかの間しかぼくたちを幸せにしてくれない。ぼくたちは幸せについて、あまりに無知である。増えすぎたモノを減らすことは、幸せについてもう一度、考えてみること。これもおおげさに聞こえるだろうか。けれど、ぼくは本気でそう思っている。

・モノを手に入れるため、手に入れたモノを維持・管理するために、ぼくたちは時間もエネルギーも使い果たしている。その努力があまりに賢明なので、道具だったはずのモノたちは、いつしか僕たちの主人となってしまう。

・モノを最小限に減らしてぼくの生活はガラリと変わった。仕事から帰ってきてお風呂に入る。湯船はいつもピカピカだ。お風呂から出ると、お気に入りの部屋着に着替える。テレビは手放したから、本を読んだり、書き物をする。お酒はもう一人では飲まない。モノを捨てて空いたスペースで、ゆっくりストレッチをしてから寝る。朝は太陽の光で起きる。目覚ましは基本的にかけない。朝の光が、モノのない白い壁紙に反射して部屋はとても明るい。おっくうでしかなかった朝起きることすら楽しみになる。ゆっくりと朝食をとり、マキネッタでコポコポと淹れたコーヒーを味わう。朝食で使った食器はすうに洗う。座禅を組み瞑想をすると、よけいなことに煩わされず、心がひとつに留まる。掃除機を毎日かける。天気がよければ洗濯をする。布団を整える。きちんとたたまれた服に着替えて、出かける。四季の変化を感じ取りながら、毎日同じ通勤の道を楽しむ。・・・自分でも、同じ人間の一日とは思えない。とにかくモノを捨てて本当によかった。

・今から考えると、ジョブズは完璧なミニマリストだった。マザー・テレサもミニマリストだった。マザーが亡くなったとき、残されていたのは着古したサリーと、カーディガン、古びた手提げ袋と、擦り切れたサンダルだけだったと言われている。「無所有」を説いたマハトマ・ガンディーの部屋にも何もなかった。あるいは古代ギリシャの哲学者ディオゲネスのことを考えてみる。布1枚を身にまとい、水を飲む椀だけを持っていたと言われているディオゲネス。ある日、子どもが水を手ですくって飲むのを見て、たった1つ持っていた椀すら叩き割ったという。

・捨てること自体には、時間はかからない。1日目はまずゴミを捨てる。2日目は本やCDの買い取り。3日目は家電の買い取り。4日目は大きな家具を粗大ゴミに出す。どれだけモノが大量でも、1週間あれば捨て切ることが実は可能だ。捨てる実作業でなく、モノを踏ん切るための時間が膨大にかかるだけだ。話せば話すほど外国語が上達するように、捨てれば捨てるほど、捨てることは上手になっていく。捨てる習慣が身につき、捨てるまでの時間が短くなっていく。捨てるための公式を縦横無尽に使えるようになってくる。捨てることは、正しく「技術」である。

・僕は汚部屋時代からすると、持ちモノを5%ぐらいまで減らしたと思う。1000個モノがあったとしたら950個は捨てたのだ。その中で、捨てて後悔したモノは本当にひとつもない。あったとしても全然思い出せない。そんな程度の小さなものだ。心の底から「捨てなきゃよかった!」と布団の中でギリギリと歯ぎしりしながら後悔するモノは本当にひとつもない。捨てる気持ちを邪魔するのは、捨てた後にやっぱり必要だったらどうしようとか、いつか捨てなければよかったと思う日が来るのでは?という不安だ。その不安はよくわかる。誰にでも当然湧いてくる不安だ。そんな不安にhこう言い聞かせよう。「「捨てて」後悔するモノはひとつもない」。後悔しないばかりか、「捨ててよかった」とすべての捨てたモノに対してきっと言える。

・1年の四季を通して使わなかったモノは、今後も必要がないモノだ。1年を使わずに過ごせたモノは、来年もそれなしで何の問題もなく過ごすことができる。1年に1回も出番がないモノを手元に置く必要はない。ただひとつ災害に備える非常用の装備だけは別だ。ホコリは何度払っても溜まっていく嫌なものでもあるが、捨てるべきモノを教えてくれるサインでもある。ホコリが溜まっているモノは、必ず使っていない。1年使っていないモノは、来年も、再来年も、ずっと必要がない。3年に1度使うモノなどレンタルしよう。使っていないモノの維持・管理にお金もエネルギーもムダにするのはやめよう。

・フィルムのプリントも、もらった手紙もScan Snapですべてスキャンしデジタル化した。こうするといつでも簡単に見返すようになった。日付と場所だけしっかりフォルダ名にすれば、思い出を見返しやすい。ただしバックアップはしっかり二重に。クラウドストレージを利用すれば、世界中どこからでも自分の大事なアルバムにアクセスできる。

・普通は収納の中のモノを少しずつ減らしていき、中身がゼロになったところで、ようやく収納が捨てられると考える。だけど、たとえば害虫を駆除する場合のことを考えてみよう。虫を1匹1匹駆除した後で、巣の撤去にとりかかるだろうか?一匹ずつ駆除してもきりがなく、いずれ巣で増えて、元通りになってしまう。「収納という巣」があれば、モノを減らしたつもりでも、いつの間にかモノはそこに住み始め増えていく。だからまずは、「巣」である収納を叩くのだ。収納を捨てれば、もちろんモノはあふれ出す。その場所に直置きになったり、散乱したりするだろう。人はそれを見て、そのままにしておくことができない。だからどうにかしようとする。あふれだしたモノを減らし始める。収納がないモノは、巣をなくした哀れな虫のようにいつしか姿を消してしまう。

・僕が使ったのは、「Quick Do(クイックドゥ)」という代理オークションサービス。紙に簡単な内容を記入し、まとめて送るだけでオークションに出品してくれる。落札代金から手数料はかかるが面倒な出品作業や、発送のやり取りなどはない。オークションの様子を見られるのも楽しい。すぐにまとめて手放せる代理オークションはとても便利だ。

・買い取りの価格は代理オークションよりも下がるが、出張買い取りサービスもとてお便利だ。何しろ梱包もせず、業者の方に家に取りに来てもらうだけで買い取ってくれる。僕がよく使っているのは、「高く売れるドットコム」。売れるモノのジャンルは幅広い。僕はテレビなどの大物を手放すときにお世話になった。テレビは梱包するだけでも一仕事になる。一緒にPS3やホームシアターも買い取ってもらった。本もゆうに1千冊以上あったと思うが神保町の古本屋さんに来てもらい、まとめて買い取ってもらった。1冊1冊を見積もりをお願いすることもできたが、まとめてしめて2万円・・・。丁寧に売っていくこともできる。が、手間を最小限にした方が、手放すことに成功しやすい。

・ゆるりまいさんの「わたしのウチには、なんにもない。」でぼくが衝撃を受けたのは、ゆるりさんが卒業アルバムを捨ててしまったというエピソードだった。思い出ピラミッドの中でも頂点にありそうなモノを捨ててしまうなんて、さすが「捨て変態」。だけど考えてみれば卒業アルバムは普通、大体の人が保存している。同学年の数百人の人が持っている、実は貴重でも何でもないモノだ。どうしても卒業アルバムがみたくなり、夜も眠れず、頭をかきむしるほどになれば、友達に連絡を取り見せてもらおう。迷惑な気もするけど、友達にそんな風に頼まれて、冷たくあしらう人は友達ではない。感謝を忘れなければ、迷惑は迷惑ではなくなる。

・「365日にシンプルライフ」というドキュメンタリー映画が面白い。主人公の青年は、ある日すべての荷物を貸し倉庫に預け、そこから1日1つのモノを取り出せるというルールを作る。初日は、本当に何も持っていないので、大事なところを新聞紙で隠しただけの姿で倉庫までの道を疾走する。初日はコート1着を倉庫から取り出し、硬い床に寝る。大事なモノを見極めるための実験。同じことはできなくても、想像の上で実験をまねしてみることはできる。「持ちモノゼロ」から始めて1日1つしか取り出せないとして、このモノは何番目に必要だろうかと問いかけてみる。このモノが盗まれたとして、もう一度同じ値段で買いたいだろうか?来週引っ越すとして、このモノを持っていくだろうか?特に理由もなく、漫然と持っているモノは多いと思う。モノに問いかけてみることは重要だ。モノに問いかけてみることは、自分に問いかけてみることに他ならないから。

・スティーブ・ジョブズはいつも同じ服だった。ISSEY MIYAKEの黒のタートルネック、リーバイス501、足元はニューバランスのスニーカーで、公的な場のプレゼンもこの格好でこなした。フェイスブックの創設者、マーク・ザツカーバーグはいつもグレーのTシャツ。アインシュタインもいつも同じ形のジャケットしか着なかったという。彼らは、毎日服を選んだり、流行を追いかける時間を使って、自分が大事だと思うことに集中した。快適に、清潔に過ごすために必要な服の量は多くない。一番似合い、自分にぴったりの定番の服、いつも決まっている「制服」のような「私服」で過ごす。服のバリエーションを残すというおしゃれでなく、本当に似合う服だけ着るというおしゃれもある。

・今のところ手放してもう一度だけ買ったモノが一つだけある。オムロンの「フットマッサージャ HM-231」。お気に入りで型番まで覚えてしまった。母にもプレゼントしたし、兄の家にも自分のをあげた。ところがどうしても足裏マッサージの気持ちよさが忘れられず、しかも廃番だったので買い直した。そしてまた手放せる気がして売った。3回目に買いなおすことになったら、さすがにずっと持っているかもしれない。

・最近、家から「タオル」を手放してすべて「手ぬぐい」に変えてみた。手ぬぐいは素晴らしい。多用途に使えるし、何よりタオル界の常識を覆すほど乾くのが早い。使ったその場に吊しておくと次に使うときには乾いている。洗面所で手を洗ったら手ぬぐい、洗い物をしたら手ぬぐい、シャワーを浴びたら手ぬぐいで拭く。僕の場合だとバスタオルは洗濯物の3分の2ぐらいを占めていたようだ。かさばるタオルがないと洗濯物も極端に少なくて済む。手ぬぐいの肌触りはよくない、だが便利さに人が慣れていくように、不便さも人は慣れる。タオルを使う機会があると、その気持ちよさにいちいち感激してしまう。自分で幸せのハードルを下げるのは楽しい。タオルの代わりに、手ぬぐい、いってみますか!とやってみるのもとても楽しい。

・ぼくは最近、まな板や食器洗いスポンジも何でも「干す」というこんありさんに影響を受けて、スポンジを干し始めた。苦手だった吸盤つきのスポンジ置きを捨てられた。こんまりさんは、まな板やスポンジはベランダにはない、という常識にとらわれなかったのだ。このモノはこれだけに使う。何かするためにはこのモノが必要。便利さにとらわれえばモノは増える。モノの常識から離れられれば、モノはさらに減らせる。

・モノを減らすと家事にかかる時間は、本当に圧倒的に減る。部屋にモノを置かず、ミニマルにしていると、掃除にかかる時間は激減する。服を少なくすると洗濯の手間も減るし、今日何を着るか、迷う時間も減る。僕がかつて汚部屋に住んでいた頃、太陽の光が嫌いだった。明るい光で目立つホコリが嫌いだった。完全な夜型人間で、常に雨戸を閉め光をシャットアウトしていた。今は太陽の光で起きるようになった。目覚めると部屋はいつもキレイで、起きるのすら楽しい。自然と以前より早起きになる。早起きで生まれた朝の時間もぼくには大きい。

・この春、僕は引っ越しをした。事前にパッキングはなしで、普段生活しているままの状態から、荷物をすべて出すまで30分しかかからなかった。照明を外したり、洗濯機を外したり、そんな時間も入れて30分。着る服で迷う人は、普段出かける前に30分ぐらい使っているかもしれない。引っ越しに時間がかからないから、普段の外出と同じような気軽さで、これからは引っ越しができる。

・家の中が簡素でキレイだと、ダラダラしている時間も減る。以前は休日もよく夕方までベッドでダラダラしていた。「昨日の洗い物しなきゃ!あと掃除機もそろそろかけなきゃ、というかこのダラダラ寝てるシーツいつから洗濯してないのかな。よしやろう、どれからやるのが一番効率がいいかな、洗濯してる間に、掃除&洗い物をする。なるほど、これだ。・・・いや今この着てる服も洗いたいから、この服のまま掃除してから洗濯しようかな。・・・なんかめんどうになってきた。とりあえずテレビをつけて、スマホを開いて・・・」。以下、永遠ループ。モノが少ないと、毎日やらなければいけないことが少ない。目の前の雑用を次々片づけるので、溜まらない。すると何事に置いてもキビキビ動けるようになる。

・僕は持っているモノをすべて把握しているし、モノのあるところもいつも一緒なので、家で探しモノをする時間はゼロだ。持っているモノを把握していると、「どこにあるか」だけでなく「あるかどうか」もすぐにわかる。「えーと、ガムテープはどこかにあったけな?」などと考える時間もいらない。僕の家にはガムテープは置いてないので、すぐにわかる。何かの説明書も保証書も、一見重要そうに見える書類も、すべてすぐにスキャンするか、捨てる。「ない」ことがすぐにわかれば、実はいくらでも対応が利く。モノが少なければ、失くすモノ自体も少なくなる。ミニマリストは、外出するときに持ち歩くモノも少なくなるので、忘れなければいけないモノ自体も減っていく。忘れモノを取りに帰る時間も減る。

・次に引っ越すなら、さらに狭い部屋に引っ越したいと思う。今の部屋の20平米も僕には少々広すぎたようだ。ドミニック・ローホーさんのように12平米ぐらいの部屋が素敵に思える。狭い部屋の方がもはやぼくには嬉しいが、ありがたいことに部屋が狭くなれば家賃も下がる。あれを置くにはこれだけの収納スペースが必要、リビングには何畳必要、そんながんじがらめの検索条件から自由になえた。引っ越しにかかる時間もわずか。ぼくはモノを捨てて、思い立ったらいつでも気軽に引っ越せる自由を手に入れたのだ。

・僕は東京の不動前というところに住んでいて、家賃は6万7千円。iPhoneは手放せない。食事をすべて自炊にして、お弁当男子になれば、手取り10万円もあれば楽しく暮らしていける。図書館で本を読んだり、公園を散歩するだけで、もう充分楽しい。

・モノを捨てて、ぼくは自分を誰とも比べなくなった。以前は誰かと比べてみすぼらしい部屋に住んでいる自分が恥ずかしかった。欲しいモノを欲しいだけ買える人を見て、羨ましくもなったりした。今はもうそんな気持ちとさよならできた。永遠にインフレを起こしていく「持ってる天下一武道会」に参加するのをやめたからだ。

・もう時間はある。自分を人と比べず、人の目線も恐れない。日々の家事、雑事をこなせるようになることで、自分も好きになっている。すると自然と「行動」できるようになってくるはずだ。行動を阻むものは何もない。こうしてミニマリズムの好循環が始まる。小さな渦からスタートした好循環は、次第に大きな円を描き出すようになる。人目を気にしてばかりいて、何も挑戦できなかったぼくが行動したこと。
 ・初めてダイビングに挑戦した(勉強してから始めよう、と思い早数年経過していた)
 ・座禅を習慣にした(小池龍之介さんの座禅セッションに緊張しながら参加した)
 ・ジムのヨガプログラムに参加した(身体が硬いので、笑われるのでは?と恐れていた)
 ・会いたいと思った人に連絡して会えるようになった(有名人でも誰でも会ってくれる)
 ・全国で開催されているミニマリストオフ会に参加した(いつも本当に楽しい)
 ・ミニマリストオフ会を自分でも企画した(人見知りだったぼくが、よくもまぁ・・・)
 ・ネットを通して出会った人と、友人になれた(全国各地に会いにいける友人ができた)
 ・ウェブサイトを立ち上げた(以前は自己発信するような人間はクソだと思っていた)
 ・Twitterを始めた(以前は、Twitterなんてやる人間は・・・<以下略>)
 ・10年住んだ部屋からついに引っ越した(30分かかったが、次は20分かからないと思う)
 ・無理めの好きな女の子に思いを伝え、付き合えた(以前の自分なら絶対できなかった)
 ・何より、1冊の本を書いた(以前のぼくならこう言った。やめとけ、恥をかくぞ!)
付き合えた女の子には、その後こっぱみじんに振られたが、まだまだミニマリズムが徹底できてなかったせいだ、と自分を慰めている。相手がどう思うかばかり考えていたのだ。これからは、何もない部屋で英語を集中して勉強する。自分にとってまさかのサーフィン、登山などのアウトドア、バイクの免許も取ることも計画している。超クソインドアだったぼくは、どうかしてしまったのだろうか?知らない間に宇宙人に誘拐されてチップでも埋め込まれでもしたのか?違う、モノを捨てたのだ。

・アップルを追い出されたジョブズがカムバックしたとき、まず手始めにしたことは蜘蛛の巣が張ったような書類や古いマシンをすべて博物館に寄贈したことだという。ジョブズは最初の仕事としてモノを減らしたのだ。ジョブズは「世の中を変える商品を出す」ことに集中したかったので、それ以外の大事でにものは、すべて減らした。「何をやるか」ではなく「何をやらんか」を重要視した。ジョブズは本当に、完璧なミニマリストだった。とにかく「減らした」人だった。

・ミニマリストには、瞑想や座禅、ヨガを習慣にしている人が多い。考えてみるとこれはごく自然なことでもある。モノを減らすと、自分の意識は「外側」にあるモノで煩わされることが少なくなる。すると意識は自分の「内側」に自然と向かう。かつてぼくも「瞑想」なんて、スピリチュアルで、怪しすぎ!と偏見を抱いていた。そんなぼくも、僧侶の小池龍之介さんの座禅セッションに参加したことがきっかけで座禅を組み、瞑想することを習慣にした。なにせ効果がてきめんだったからだ。瞑想中にもついいろいろなことを考えて、勝手に飛んでいく自分の意識を、集中してただ呼吸することに連れ戻す。すると普段から集中力は高まる。普段の自分の意識の流れもはっきり掴み取れるようになる。ぼくにとって座禅や瞑想は、「自分OS」の再インストールぐらいの破壊力があった。グーグルもフェイスブックも、禅と瞑想に夢中だ。グーグルなどは瞑想の講座を開き、ついに歩行瞑想用の迷路まで社内に作ってしまったという。もはや瞑想、座禅、ヨガといった内省の時間なくしては、情報過多のノイズに「自分」が溺れてしまうのだ。

・何人ものミニマリストに会ってきたが、太っている人はいなかった。これはなぜだろうか?今までの片づけ本や、モノを捨てるための本にも、モノを減らした副次的な効果として「痩せる」ということが言われてきた。ぼく自身も汚部屋時代と比べて、体重は10キロほど減った。停滞していたモノが流れ出すと、気の流れがよくなり、体も痩せる、こんな風に言われてきた。モノを捨てると痩せる。これにはいくつか理由があると思う。太ってしまうのは単純に体が必要な以上に食べているからだ。そして必要以上に食べてしまうのは、食べることがストレス解消になるから。人は食べている間は、ストレスを忘れることができる。お酒を飲むこともそうだろう。モノを最小限にまで減らせば、モノに煩わされたり、ムダなエネルギーを吸い取られることもないからストレスは減る。人と比べることもなければ、自分を恥じることもないのでさらにストレスは減る。食べ過ぎる原因のストレス自体が減っているので、食で解消する必要はない。

・ミニマリストは何度もモノに問いかけてきた結果、自分の「欲望」をはっきり認識し、コントロールできるようになっていると思う。モノを最小限にまで減らすには、本当に「必要」なモノだけを残すことが肝になる。単に「欲しい」だけのモノは持たない。モノを最小限にすると、自分の「欲望」の認識力が高まる。どこまでが「必要」なモノで、どこからが「欲しい」モノなのかはっきり判別できるようになる。これはモノだけでなく「食欲」も同様で、必要な食事の量がはっきり意識できるから、必要以上に食べないのだ。必要なだけのモノを持つことで「自分にはこれで充分満足だ」という感覚もつかんでいる。だからたくさん食べなくても満足ができる。ミニマリストはモノがあることんほストレスもないし、自分に必要で、充分満足できる、必要な食べ物の量がわかっている、だから痩せるのだ。また「ちょこまかダイエット」という日常生活でちょこまか動いてカロリーを消費するというダイエット方法もあるが、部屋が広くなり、家事も楽しんでやっているので、確かに小さな積み重ねがダイエットにつながっているのかもしれない。僕も何もない広い部屋でよく野球のピッチャーの真似をしている・・・。さらには普段の荷物も軽く、行動的になれるので、ぼくはよく歩くようになった。モノを最小限にすると痩せる。嘘みたいだが、本当に痩せるのだ。ぼくは太っていたが、もうメタボになることはないだろう。

・禅には食事の前にするお祈り、「五観のげ」がある。簡単に現代語にまとめると
1 目の前の食事の来歴に思いを馳せる(どんな風に育ってきた食べ物か、誰のどんな手がかかってここまで運ばれてきた食べ物なのか、各行程を考えてみる)。
2 この食事に値する徳と行いを、今日の自分は積んだのだろうか?と自問する。
3 貪り急ぐことなく、他のことは考えず、目の前の食事だけに集中していただく。
4 おいしいか、まずいかというグルメのためでなく、この命を支えるために食べる。
5 自分が成し遂げたい目的のために、この食事をいただく。
このお祈りは強力だ。5万円のレストランに1千回行くより、このお祈りを1千回の食事ごとに問いかけてみた方が、はるかに豊かで満足した気持ちになれる。食事にだけ集中し、食事があることに感謝し、食事だけに集中する。それだけでなく食事ごとに自分の行いをチェックできるのだ。スティーブ・ジョブズは毎朝鏡を見ながら「今日が人生最後の日だとして、今日の予定を自分は行いたいだろうか?」と自問した。そしてこれを33年間も続けたという。毎日自分がぶれていないか、ジョブズはチェックした。この五観のげのお祈りも毎日それ以上の回数、自分の行動をチェックすることができる。

・今ぼくは通勤している、毎日飽き飽きしている通勤だ。前の乗客がSuicaの残高不足で改札でもたつく・・・しかしこのSuicaというやつは本当に便利ですばらしい、なんという発明だ。エスカレーターの両側を埋めている2人組みがいる・・・この片側を空けるという、日本の文化はなんと徳高いのか。電車に乗ればギュウギュウ詰めだ・・・いやたくさん人がいてありがたい、映画のように自分以外が絶滅した世界に住んでなくてよかった。今日はかなり暑い・・・けど会社に行けば扇風機もエアコンも効いているだろう。人に自慢できる給料ではない・・・でも毎月充分なお給料をもらっている。今日もいつもと同じ仕事だ・・・しかし集中すれば楽しく充実感もある。苦手な仕事相手がいつものように電話で小言を言ってくるだろう・・・それを自分の糧にすればいいだけだ、相手も疲れている。後輩にはもっとしっかりしてほしい・・・だがぼくの仕事を文句も言わずいつも手伝ってくれる。連日遅くまで働いているので疲れが溜まっている・・・だが病気でもないし、まだまだ元気で仕事ができる。ぼくはヤバイくらいの幸せを感じてしまった。あなたはどうだろうか?こんな風に「今」に「感謝」し続ける。すべての「今」を「肯定的に見続ける」人がどうなるかは明らかである。ポジティブで、寛容で、諦めない。親切で、優しく、何よりいつも幸せそうだ。いつしか「現実」を変えていくだろう。

・何よりぼくが変われたのは、モノを減らして気づけた「感謝」である。すべての「今」に感謝し続けたい。すべての「今」を肯定的に見続けたい。ミニマリズムは「目的」ではなく「手段」である。ミニマリズムを通して気づけた大事なことが僕にはたくさんある。だが、僕が気づいたことや、さらに多くのことにすでに気づけている人はミニマリストになる必要は、全然ないと思っている。ミニマリストになって気づけた大事なことを、その後も大事にし続けられるなら、モノをもう一度増やしたっていいのだから。

・僕が発見した大事なこと。それは「人」だ。家族や友人だけでなく。美しい人だけでなく、才能ある人だけでもなく。意見が合う人も、合わない人も。今日会うすべての人がぼくの目的だ。ぼくの目の前に、「今」いる人こそが、ぼくの「目的」である。

良かった本まとめ(2016年上半期)

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和食 かとう(東京 築地場内)の食事はオススメ!

2016年07月14日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内の8号館にある「和食 かとう」で朝食を楽しみました♪


↑店構え

メニューを見て、やはり築地なら刺身!ということで、「盛り合わせお刺身定食」1500円を注文♪


↑メニュー

さっそく運ばれますが赤身マグロ、ブリ、ホタテ、イカ、サバの刺身定食でおぉさすが上質さを感じる♪
5種類もあるのは嬉しいですね♪
もちろん美味しいです♪
しかも里芋の煮っころがしがあるのも嬉しいですね♪


↑盛り合わせお刺身定食

ただ両隣が黒ムツや金目鯛の煮付け定食でアツアツで美味しそうでした♪
結構煮つけが光っていて美味しそう!
もしかすると、この店は煮つけが良いかもしれません♪

「和食 かとう」は朝から定食を楽しめオススメです!

------------------------
日を改めて、煮つけにチャレンジしました♪
赤メバル1800円の定食♪
適度に煮込まれていてさすが旨い♪
やはりこの日も、他のお客さんは煮込みを結構注文していましたね♪
また、お店の方がシャキシャキしていて気持ちがいい♪
魚の煮つけもオススメです!


↑赤メバル煮つけ定食



美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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弁富(東京 築地場内)のお寿司はとてもオススメ!

2016年07月13日 01時00分00秒 | 外食
 知人が東京の築地場内でお寿司を食べたいというので、築地場内の8号館に平日7時ごろに訪れたのですが、弁富が二人しか並んでいないし、一度行ってみたいと思っていたお店だったので入ってみました♪


↑店構え

カウンター席の奥に案内され座ります♪
荷物は後ろの上の棚に置けて楽です♪

メニューを見て、せっかくなので、握り13巻+巻き半本+お椀付きの「さくら」3800円を注文しました♪
なんと、一貫サービスがあり今日は「やりいか」でしたね♪
握りが14貫も楽しめるのは嬉しいです♪


↑メニュー

そして、この弁富は寿司1個の値段が明記されているのが良心的ですね♪
他の店は時価なので、追加で頼むときに一体いくらになるか不明です♪
とある知人は追加1貫が高いのを後で知って驚いていました^_^;)
今までの経験だと追加1貫は大体300~700円ぐらいでしょうか。


↑店内の1貫毎のメニュー

やはり、大トロ・中トロは1000円と高いですね♪
改めてトロの価値を認識します^_^)
またウニ・イクラ・車エビ・赤貝も500円と比較的高いですね♪

それから、この弁富では「さくら」に限って、二人でシェアできるようです。
隣の外国人カップルなどは、二人でシェアしていましたね。

 この店は板前さんは一人だけなので、シェアができるのかもしれません。
というのは、一人前を握るのにかなり時間がかかるためです。
また、他のお店のように1貫ずつ握って客に渡すのではなく、1皿にすべてを盛って客に渡すタイプのお店となります。
 これも、板前さんが一人だけなので、仕方がありませんね。

1時間以上待って、大きな穴子がガスバーナーで炙られて、ようやくお寿司が運ばれました♪


↑さくら

一堂に並ぶと壮観ですね♪
お椀付きの写真は以下となります。


↑お椀付きのさくら

この弁富は赤酢を使ったシャリで、シャリは魚沼産のコシヒカリとは、かなりこだわっていると思います。
まろやかな酸味があり、十分粘り気があって美味しいですね♪

トロはものすごく、口の中でとろけて、さすが美味しいですね♪
また、一番美味しかったのは、炙られた穴子♪
知人もこの穴子は絶賛していました♪
これは美味しい^_^)

ウニや生の車エビも美味しかった♪

弁富は、回転はイマイチですが、一度に壮観なお寿司を堪能でき、オススメです!
炙り穴子は一押しです♪

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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福せん(東京 築地場内)のモーニングセットはリーズナブルでオススメ!

2016年07月12日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内の6号館にある「福せん」は、うなぎや焼き鳥のお店で、なんとモーニングセットでは、うな丼+とろろor納豆ご飯+味噌汁+漬物で1200円とリーズナブルに食べられるとは驚き、さっそく入ってみました♪


↑店構え


↑モーニングセットのメニューなど

なお、うな丼の他に、うな茶orうなぎまぶしを選ぶことができます。
また、うな丼等の代わりに焼きとり丼であれば1000円で朝食を食べることができます♪


↑メニュー


↑メニュー

席に座って、オーソドックスに、モーニングセットのうな丼+とろろ丼で注文しました♪
そして比較的すぐに運ばれます♪


↑モーニングセット

おぉぉちゃんとウナギがあり、甘いかば焼きを堪能できます♪
とろろ丼も美味しいです♪
が、ちょっと糖質制限ダイエットの方が見ると、このご飯の量はかなり多いかもしれません^_^;)
ちょっとご飯だらけでしたね^_^;)

とはいえ、1200円でうな丼+とろろご飯+味噌汁+漬物を頂け、リーズナブルで良いと思います。
オススメです!

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

<今日の独り言>
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福せんうなぎ / 築地市場駅築地駅東銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.0


 
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中山道六十九次 街道あるき 日本橋~板橋 ②神田神社~染井吉野

2016年07月11日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が企画する「中山道六十九次 街道あるき」の第1回目の日本橋~板橋 ②神田神社~染井吉野について紹介したいと思います。

 旧万世橋駅を過ぎて歩くと、神田明神がありました。
神田明神という名称が有名ですが、本当の名前は神田神社とのことです。


↑神田神社の由緒


↑神田神社の鳥居


↑神田神社

天下分け目の関ヶ原の戦いの前には、徳川家康はここで戦勝祈祷を行い、見事に勝利して天下統一を果たしたので、それにより神田神社は幕府の崇拝する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に移し、幕府により社殿が造営されたとのことです。
東京都心108町会の総氏神様で、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内、そして東京の食を支える市場の発祥地の氏神様として青果市場・魚市場の人々からも篤く崇敬されているとのことです。
縁結び・商売繁盛・社運隆昌・除災厄除・病気平癒などの神様とのことです♪

それからしばらく歩いて東京都水道歴史館で昼食となりました。
かなり風雨が強かったので、良い雨宿りとなりました♪
お弁当を3階で美味しく頂きます。


↑弁当

そして2階には江戸時代の頃の水道について詳しく説明があり驚きました!
当時の江戸の町には木枠で作られて地中に設置された水道がかなり広範囲に整備されていたんですね♪
このインフラはとても素晴らしいと思います。


↑当時の江戸の水道


↑井戸などの仕組み

そして当時のその木枠なども残っていました。


↑木枠の水道

また、汐留では旧伊達家の屋敷からもその木の水道インフラが発掘されたようで、その写真もありました。
地中にこんなに整備されていたとは、江戸の町は凄いと改めて思います。


↑旧伊達家の屋敷の水道設備

この東京都水道歴史観は入場無料だし、水道に関する歴史を学べ、とてもオススメですね♪

それから旧中山道を歩くと、東京大学がありました♪
東京大学といえば赤門が有名ですが、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られたとのことです。
赤色はおめでたい色とのことでしたね。


↑東京大学の赤門

そして「本郷弥生」という交差点がありましたが、この辺りで土器がたくさん見つかり、それらの土器が作られた時代のことを、この地名の「弥生」から取って「弥生時代」と言われるとのことです。
それは知らなくて驚きました♪
「弥生時代」って、この「弥生」という地名から名づけられたんですね^_^)


↑本郷弥生の交差点

それから、追分一里塚跡がありました。
ここは日本橋から最初の一里塚で、日本橋から約4kmの距離となります。
日光御成道(旧岩槻街道)との分かれ道だったので、追分一里塚と言われていたようです。
当時はヒノキが植えられていたようですね。


↑追分一里塚

それから歩いて行くと、巣鴨に近づいてきましたが、「徳川慶喜 巣鴨屋敷跡地」の案内がありました。
徳川慶喜は、大政奉還後に静岡で謹慎生活を送っていたようですが、明治30年にようやくこの巣鴨に戻ることができたようです。
当時は「ケイキさんの梅屋敷」と呼ばれ親しまれていたようですね。
しかし、この巣鴨に鉄道が通ることが決まり、その騒音を嫌って、文京区へ4年程で移ったようです。


↑徳川慶喜の屋敷跡


↑徳川慶喜の屋敷跡の説明

それから近くに「染井吉野」のモニュメントがありました。


↑染井吉野のモニュメント

「染井吉野」とは桜の品種で有名ですが、この辺りで改良され、全国に広まったようです。
近くに「染井」という地名がありますね。
この「染井吉野」は葉が花が咲いた後に生え、そして花弁が大きく美しいため、全国に広まったようです。
今では桜といえば、「染井吉野」が代表的な桜となっていますね。

次回は、③六地蔵~近藤勇です。

お勧めなお話(2016年上半期)

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岩田(東京 築地場内)の喫茶店はオススメ!

2016年07月10日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内といえば魚!で寿司屋などが有名ですが、実は喫茶店も3件ほどあります。

その中で、「岩田」は、ヘルシーなニンジンやリンゴのフレッシュジュースや、手作りホットサンドもメニューにあり気に名経っていました♪
平日の朝7時ですが、すでに席は満席です♪
主に市場関係者の客が多いのだと思います♪


↑岩田の店構え

店内はすべてカウンター席となっていて、空いたところに座り、メニューを見て注文します♪
若いお姉さんが元気に対応してくれました♪
やはり、定番メニューのホットサンドが気になり、人参とリンゴのフレッシュジュースとともに注文しました♪


↑メニュー


↑メニュー

フレッシュジュースは濃厚で、これは身体にいい~って感じです♪
そしてホットサンドは手作り感満載で、パンは焼きたてで香ばしく、そして卵やきゅうり、トマトが中に入っていて嬉しいです♪
見た目も美しく、美味しいですね♪
朝食にピッタリです♪


↑フレッシュジュースとホットサンド


↑ホットサンドの拡大

別の日には濃厚なコーヒーも堪能しました♪


↑コーヒー

なお、「岩田」は喫茶店なので、タバコを吸う方がかなりいます^_^;)
なので、タバコが嫌いな方は避けた方が良いかと思います♪

築地場内で、洋食な朝食を楽しみたい場合は、「岩田」がとてもオススメです!
美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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喫茶 岩田喫茶店 / 築地市場駅築地駅東銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.2

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江戸川(東京 築地場内)の食事はとてもオススメ!

2016年07月09日 01時00分00秒 | 外食

早朝に東京の築地場内の6号館にある江戸川で朝食を楽しみました♪


↑江戸川

同じ場内の6号館の「寿司処やまざき」の経営者がオススメと言っていたタラ煮とご飯と味噌汁をメニューを見ながら注文します♪


↑メニュー


↑メニュー

「寿司処やまざき」の経営者は元々は仲卸をやっていて、魚の目利きはかなりあり、そんななかでもオススメと言っていたので期待がもてます。
その経営者は、小田保のマグロもいいものが入っていると言っていたので、先日マグロの刺身を小田保で食べたのですが、確かにマグロの色が新鮮で違っていて、そして柔らかくとても美味しかったのには驚きました♪
同じマグロでもかなり違うんですね♪

しばらくしてタラ煮とご飯と味噌汁が運ばれます♪


↑タラ煮とご飯と味噌汁

タラ煮は、かなりボリュームがあります♪
甘くしっかりと煮込まれていますね♪
良く煮込まれていて身も柔らかく、タラふく食べます^_^;)

そして味噌汁のアサリがかなり大きい♪
こういう良い素材を使用するのは、さすが築地場内のお店ですね♪

ここで意表を突かれるのですが、お店の方が煮汁をご飯にかけて食べると美味しいよ♥というので、かけて食べて見ると、ワォ旨い♪
これは癖になりますね^_^)
とても美味しゅうございました♪

それから、店内の壁には、この店の写真が飾られているなぁと思ったら、なんと実は絵とのことで、外国人の方が描いて新聞に載ったとのことでした♪
すごい!


↑江戸川の絵

さすが特徴をよく掴んでいて、良き古き日本を醸し出していて素晴らしい♪
よく見ると、イスがちょっと違うでしょうか?

入口近くに飾られているので、ぜひ江戸川に来られた際には、鑑賞して見て下さい♪

江戸川は美味しい和食を堪能でき、とてもオススメです!
次は深川丼を食べたいと思いましたね。
ラーメンも牛丼もあります♪

-----------------

別の日に、アサリが入った深川丼も楽しみました♪

これが想像以上に上質で出汁も効いていて美味しかった♪

とてもオススメです!

↑深川丼




美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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「103歳になってわかったこと(篠田桃紅)」という本はとてもオススメ!

2016年07月08日 01時00分00秒 | 
「103歳になってわかったこと」の購入はコチラ

 「103歳になってわかったこと」という本は、美術家で墨を用いた抽象表現主義者として43歳で渡米して世界的に知られている篠田桃紅さんが著者で、100歳を超えた経験から、幸せに生きる心構えや考え方等についてまとめたものです。

 特に以下については興味深かったし、自分の人生に取り入れたいと思いましたね♪
素晴らしいと思います♪

・死んだ後の魂については生きているうちには分からないので一切考えずに、毎日を自然体で生きるように心がける
・100歳を超えると誰とも対立しないし100歳はこの世の治外法権
・孤独は当たり前で、わびしいことではない
・歳をとるに連れ、自分の見る目の高さが年々上がる
・しょっちゅう手や指を動かすことが元気の秘訣
・日本の文化の「いい加減」の精神は大切
・自分の生き方を年齢で判断するほど愚かな価値観はない。いつでもやりたいことをやればいい。
・死を考えなければ怖くない。
・頼るのではなく、自分の目で見て、考えることが大切
・色々あったけど、やっぱり私はこうでよかったと自分自身が思える人生が一番良い
・体が丈夫なうちは、自分がやっておきたいと思うことはどんどんやること
・誰もやらなかったことをやることが大事
・予定や目標にとらわれると他が見えなくなる。自然のなりゆきに身を任せると無理がない
・無駄にこそ次の何かの兆しがある。無駄はよくなる必然
・これくらいが自分の人生にちょうど良かったと満足することのできる人が幸せ
・養分をいかに吸収し、形成するかはその人次第
・絵画を鑑賞するときは解説は忘れて、絵画が発しているオーラそのものを自分の感覚の一切で包み込み受け止めるようにすることが重要
・良き友は、物をくれる友・医者・知恵のある友
・運命にはあらがえない。謙虚でなくてはならない
・生死を分けながらも長生きできたのは、時宜に適って、救ってくれた人に巡り合えたから


 上記の中でも、100歳を超えると誰とも対立しないし100歳はこの世の治外法権になるとはナルホドと思いましたね♪
100歳を超えないと分からない心境だと思います。

 また、絵画を鑑賞するときは解説は読まずに、自分が感じるままに受け止めようと改めて思いましたね♪
そうすることにより感覚が磨かれ、日常生活においても動物的な勘が備わり、より良い人生に導かれると思います。

「103歳になってわかったこと」という本は、より良い人生のためのヒントになり、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・私は、私には死生観がないと答えました。彼女は大変びっくりしていました。考えたところでしようがないし、どうにもならない。どうにかんものについては、私も考えますが、人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えても分かることではありません。現に、私に何か考えがあって生まれたわけではありませんし、私の好みでこの世に出てきたわけでもありません。自然の計らいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。さすがに病気にならないようにしようということぐらいは考えます。しかし、死なないようにしようと思っても、死ぬと決まっています。死んだ後の魂についても、様々な議論がありますが、生きているうちは、確かなことはわかりません。人の領域ではないことに、思いを巡らせても真理に近づくことはできません。それなら私は一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。

・この歳になると、誰とも対立することはありませんし、誰も私とは対立したくない。100歳はこの世の治外法権です。100歳を過ぎた私が冠婚葬祭を欠かすことがあっても、誰も私をとがめることはしません。パーティなどの会合も、まわりは無理だろうと半ばあきらめているので、事前の出欠は強要されません。当日、出たければ行けばいいので、たいへんに気楽です。しかも行けば行ったで、先方はたいそう喜んでくれます。今の私は、自分の意に染まないことはしないようにしています。無理はしません。

・私は24歳で実家を出てから、ずっと一人で暮らしていますが、孤独を当たり前だと思っています。一人の時間は特別なことではなく、わびしいことでもありません。誰かが一緒にいないと寂しくてたまらない、と思ったこともありません。ごく自然に、一人でいることを前提に生きてきました。また、人に対して、過度な期待も愛情も憎しみも持ちません。そもそも、人には、介入するものではない、と思っています。過度な期待を相手に抱けば、その人の負担になるかもしれません。ゆきすぎた愛情を注げば、その人の迷惑にしかなりません。相手は、よけいなことをしてくれていると、内心思っているかもしれません。しかし、世の中には、そうしたことに気づかず、振る舞っている人がいます。悪意ではないから、誰も憎むことはできない。まわりが困っています。

・歳をとるにつれ、自分の見る目の高さが年々上がってきます。今までこうだと思って見ていたものが、少し違って見えてきます。同じことが違うのです。それは自分の足跡、過去に対してだけではなく、同じ地平を歩いた友人のこと、社会一般、すべてにおいてです。たとえば、あの先人は私にこういう影響を与えたと思っていた。今は、私に与えた影響はそういうものではなく、こういうものだったと変わります。同じ過去が、10年前の90代と今とではずいぶん違って見えます。ある人を思い起こすときも、その人の違った面が新たに見えてきます。もちろん変わらないものもありますが、過去を見る自分の目に変化が生まれました。一方で、未来を見る目は少なくなります。

・私の場合、仕事が運動になっており、大きな作品を描いていることもあって、つねに体を動かしています。腰が痛くなったとか、肩が凝ったとか、老人らしい体の不調をきたしたことはありません。根をつめて長く仕事をすると、腰を伸ばしたくなることはありますが、マッサージや整体のお世話になったこともありません。私の姪が、私が人と話をしている間も、しょっちゅう手や指を動かしていることに気がつき、それが体が元気な秘訣なのではと言いましたが、いつも体のどこかをゆらゆらとさせているという自覚はあります。

・日本の文化には、余白を残し、臨機応変に、加えたり減らしたりすることのできる「いい加減」の精神があります。そしてこの精神は、長寿の心得にも相通じるのではないかと思います。たとえば、歳をとったら体を冷やすのはよくない、温かくしておいたほうがいいと言います。それでなくとも抵抗力は衰えているので、冷やすと、それが引き金となって体全体のバランスを崩しかねないからです。しかし、かといって汗をかくほど温かくすると、体内の機能は小さく縮みつつあるので、よけいな負担をかけてしまう。その人に合ったいい加減の温かさに保つことがいいのです。しかし、いい加減というと、あの人はイイカゲンなことを言う、イイカゲンな人、と否定的な意味で使われる場面が多くあります。本来は、ほどよい状態にするための加減するから、いい加減と言います。「お加減はいかがですか?」と尋ねれば、体の具合は良くなりましたか、それとも思わしくないですか?という意味でdす。「お風呂の温度はいい加減です」と言えば、ちょうどいいお湯の温度だという意味です。中国の孔子は「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と、度が過ぎることも、不足することも、同じように良くないと言っています。そして「中庸の徳たるや、それ至れるかな」とも言っています。ほどほどにしておくことは、高い徳に至ることができるのです。元来、人は食べ過ぎてもいけないし、少なすぎるのもいけない。飲み過ぎるのもよくないけれど、長生きしたいからと言って、我慢してやめるのでは、生きている甲斐がありません。働きすぎるのはよくないし、なにもせずにゴロゴロしているのもよくない。なんでもいい加減に調整するのがいいのです。歳をとると、ますます体の機能範囲は狭くなりますから、ちょっとした偏りが大きなダメージになります。食事、睡眠、仕事、家事労働、人間関係など、あらゆる面で、その人に合ったいい加減さを保つことができれば、もう少しの長生きを望むことができるのではと思うこのごろです。

・私は歳には無頓着です。これまで歳を基準に、ものごとを考えたことは一度もありません。なにかを決めて行動することに、歳が関係したことはありません。この歳になったからこれをしてはいけない、この歳だからこうしなくてはいけないと思ったことがないのです。自分の生き方を年齢で判断する、これほど愚かな価値観はないと思っています。私が、自由に作品をつくることができるようになったのは、戦後になってからのことで、三十代後半になっていました。初めて個展を開いたのは、戦後の混乱期で、40歳を過ぎていました。その後、43歳で渡米しましたが、この渡米がきっかけとなり、私の作品は世界中に広まることとなりました。当時は、女性が仕事をスタートさせるのには大変遅い年齢でしたが、自らを年齢で縛りつける生き方をすることのほうが、私には不思議でした。こうして私が長生きしているのも、自らの人生を枠におさめなかったことが、幸いして、精神的にいい影響を及ぼしているのかもしれません。

・先日、「どうしたら死は怖くなくなるのか」と若い友人に尋ねられました。私は「考えることをやめれば、怖くない」と助言しました。どうせ、死はいつか訪れると決まっています。そう遠からず、私も死ぬだろうと漠然とですが、思っています。人は老いて、日常が「無」の境地にも至り、やがて、ほんとうの「無」を抑える。それが死である、そう感じるようになりました。

・アメリカ屈指の美術批評家、ニューヨーク・タイムズ紙のジョン・キャナディ氏が、生前、私にこんなことを言いました。「絵には作品名がないほうがいい。作品名があると、見る側がそれに左右されてしまう。自分の目で判断しているので、僕は展覧会へ行っても、作品名は見ない」もちろん、キャナディ氏は、ギャラリーから作品の説明は一切、受けません。作家本人に会うこともしませんでした。説明を受けたら、自分の判断が鈍るかもしれない。作家に会うと、情が移るかもしれない、と考えたからです。自らを律した厳しい目で作品を見て、批評をしていました。それだから、世界的な美術批評家として高い信頼を得ていたのでしょう。キャナディ氏に否定的なことを書かれたら、アーティストとしておしまいだと、美術関係者は恐れていました。このごろはずいぶん減りましたが、私も、展覧会などで、「これはなにを表している絵なのですか?」とよく聞かれたものでした。絵というものは、自分のなかに湧いてくる思いを、目に見えるようにしたものなので、なにを、という質問には、私はいつも戸惑いました。絵に表れているものこそが、質問の「なにを」で、そしてその「なにを」は見る人によって、どのように受け止めてもいいものだからです。人は、説明を頼りになにかを見ていると、永遠に説明を頼りに見るゆになってしまいます。たとえば、それが絵であれば、絵の鑑賞の幅を自ら狭めていることになります。パソコンや携帯電話などの機器を買うとき、人を頼りに買っていれば、使うときも人頼りになります。機器を使いこなす楽しみを自ら放棄していることになります。参考にできることは、おおいに参考にしたほうがいいと思いますが、頼るのではなく、自分の目で見て、考える。キャナディ氏の言葉は、私たちの日常の生きる姿勢にも通じると思います。

・人生は、なにが一番本当にいい生き方なのか、はっきり言える人はいないと思います。でも最後に、いろいろあったけれども、やっぱり私はこうでよかったと、自分自身が思える人生が一番いいだろうと思います。まだまだいっぱいやりたいことがあったのに死ぬのか・・・、と思うのは悲しいことです。ですから、体が丈夫なうちは、自分がやっておきたいと思うことはどんどんやったほうがいいと思います。そうすれば、死ぬとき、思い残すということが少ないかもしれません。人生を楽しむためには、人間的な力量が要ります。

・誰もやらないときに、それをやった、ということが大事です。まだ誰もやらないうちにやった人は、それだけの自信を蓄え、自分の責任でやっています。その結果が、受け入れられるか、受け入れられないかはわかりませんが、なかには、高く評価してくれる人がいるかもしれませんし、認めてくれる人がいつか現れるかもしれません。

・自分に規律というものは課さないし、外からも課せられないようにしてきました。縛られたくないから目標も立てません。なにか目標を決めると、それに向かってやみくもに一生懸命になってしまいます。そうすると、ほかが見えなくなります。私は、ほかにすごくいいものがあっても、目標のために、見逃してしまうことがいやなのです。人生は、道ばたで休みたいと思えば休めばいいし、わき見をしたければわき見すればいいと思っています。今日中にあそこまで行かなければならないと決めるやりかたより、自然のなりゆきに身をまかせるほうが、無理がありません。そのほうが私の性に合っています。規則正しい毎日がいい、とされていますが、なにをもって正しいのでしょう。毎朝、決まった時間に起きて、食事をするのが規則正しいのか。私は、一般的に規則正しい、とされていることからは、はずれた毎日を送っています。私の仕事は、絵を描くことですが、何時から何時まで描く、と決められません。描いているうちに、夜が明けてしまうこともあります。毎日、自分勝手な生き方をしています。規則正しい生活が性に合う人もいるでしょう。計画を立てないとならない事情も、ときにはあるでしょう。しかし、あまりがんじがらめになると、なにかを見過ごしたり、見失っていても、そのことに気がつきません。

・人は、用だけを済ませて生きていると、真実を見落としてしまいます。真実は皮膜の間にある、という近松門左衛門の言葉のように、求めているところにはありません。しかし、どこかにあります。雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わないほうがいいと思っています。無駄にこそ、次のなにかが兆しています。用を足しているときは、目的を遂行することに気をとらわれていますから、兆しには気がつかないものです。無駄はとても大事です。無駄が多くならなければ、だめです。お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。安いから買っておこうというのとも違います。無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく買ってしまう行為です。なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことです。しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生です。無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができます。私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。時間も無駄にしています。しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。つまらないものを買ってしまった。ああ無駄遣いをしてしまった。そういうときは、私は後悔しないようにしています。無駄はよくなる必然だと思っています。

・一体どうしたら、人にとって一番幸福なのかと考えると、わけがわからなくなります。どのように生きたら幸福なのか、「黄金の法則」はないのでしょうか。自分の心が決める以外に、方法はないと思います。この程度で私はちょうどいい、と自分の心が思えることが一番いいと思います。ちょうどいいと思える程度は、100人いたら100人違います。私はまだ足りないと思う人は、いくらあっても足りません。そういう人はいくら富を手にしても、お金持ちになった甲斐はありません。愛情を充分に与えられても、愛されていると自覚しません。まだまだ足りないと思っているのですから。これくらいが自分の人生にちょうどよかったかもしれないと、満足することのできる人が、幸せになれるのだろうと思います。

・植物の根は、地中、水中で、水分と養分を吸収して、植物を支えます。人もまた、置かれた境遇のなかで、つねに、さまざまな知識、経験などの養分を吸収して、自身を形成します。平安朝の名筆は、特に書家にとって、大切な養分の一つですが、それだけが根ではありません。養分をいかに吸収し、形成するかはその人次第です。私は、自分の根がつくり出す、かたちや線を可視のものにして見たい、と思いました。あれから80年近くが経ちますが、根は、他者にあるのではなく、その人自身の一切だと思っています。

・感覚は、自分で磨かないと得られません。絵画を鑑賞するときは、解説は忘れて、絵画が発しているオーラそのものを、自分の感覚の一切で包み込み、受け止めるようにします。このようにして、感覚は、自分で磨けば磨くほど、そのものの真価を深く理解できるようになります。感覚を磨いている人は、日常生活においても、有利に働きます。まず、間違いが少なくなります。知識や経験に加えて、感覚的にも判断することができるので、身の回りの危険、トラブルなどを察知し、さっと上手に避けることができます。昔は人間にも動物的な勘が備わっていましたが、文明の発達で、勘を使わなくても生きていけるようになったので、鈍ってしまったと言われています。虫が知らせる、虫が好かない、という表現がありますが、虫というのは感覚。自分のなかに虫がいて、それが非常に感覚的に優れていたから、虫にたとえた言い方をしていました。世の中の風潮は、頭で学習をすることが主体で、自分の感覚を磨く、ということはなおざりにされています。大変に惜しいことです。

・ロックフェラー家は、当時、世界一のお金持ちと称されていた一族でしたから、私は、偶然、同じチェック柄のスーツが続いたのだと思い、お付きの人に、「ミセス・ロックフェラーは、よほどチェック柄のスーツがお気に入りなのですね」と言いました。すると、「ミセス・ロックフェラーは、お気に召した洋服は、同じものを20着ぐらいはお作りになります」。それを聞き、私は、これは話にならない、と思いました。高級ブランドを取り換え引き換え着て装うという次元ではない。いつも同じ服、それでかまわなかったのです。自分を見せびらかすという感覚がない。乗せていただいた車もそうでした。型が古く、オールドスタイルと言っていました。しかし、エンジンは最新のものを搭載していました。美術家がゆえに、私は、こうした世にも稀な人に会うことができたわけですが、ジョン・D・ロックフェラー三世のご実家は、世界の美しいアートや工芸品に囲まれていたそうです。それは、ご自分たちが好きだったということもありますが、子どもたちが物心ついたときから、世界中の「美」に触れていれば、おのずと、その「美」を生み出した文化とその人々に対して、敬愛の念が培われるという、ご両親のジョン・D・ロックフェラー二世とアビー夫妻の教育信念によるものだったそうです。美しいものは、多少の好みはありますが、どの国の人も美しいと感じます。そうした敬愛の念を抱けるものが地球上で増えれば増えるほど、共通の心を持つ人は多くなり、価値観の違いや自己の利益を第一にした戦争は少なくなっていく。そう考えたのではないかと、私は思います。

・人への贈り物は、ただあげればいいと思って、適度に見栄がするものを選ぶ人、いい人なのだけれど気の回らないものを選ぶ人、そして、あの人はこういう人だから、こういうものを差し上げたいと、その人の気持ちに寄り添って選ぶ人がいます。人それぞれが持つ感覚によって、表れ方もずいぶんと変わってくるようです。そして、現実的には、誰しも、物をいただいて悪い気はしいあいものです。吉田兼好も「徒然草」に、よき友は物くるる友、と書いています。ちなみに、「徒然草」のよき友は、ほかに二つあります。医者と知恵のある友。どちらも現実的で、正直です。つくづく人間の本性は昔から変わらないものだと感じます。

・次から次へと、身内、友人を失くし続けて、私は、運命というものの前に、人はいかに弱いものか、ということを若くして知ったように思います。弱いというよりも無力で、なんの力もない。どんなに愛する人でも、さっと奪ってしまいます。運命にはあらがえない。私は、身の程をわきまえ、自然に対して、謙虚でなくてはならないと思いました。人が、傲慢になれる所以はないと思っています。

・それは、「治りますよ」という言葉でした。肺結核であることを直感して、「肺・・・」と尋ねた私に、彼女は「そう・・・」「でも治りますよ」と間髪入れずに言ってくれたのです。そして「幸いにして、ここは、空気はいいし、水もいいです。ヤギのミルクも卵も鶏もありますから、栄養を摂って養生すれば、結核菌を抑え込むことはできます」と、私が前向きに闘病するよう、希望を示してくれました。旧約聖書に、「時宜に適って語られる言葉は銀の器に盛る金のリンゴのごとし」という一節がありますが、彼女が言ってくれた言葉は、まさしくあの瞬間、私が必要としていた、金のリンゴでした。このほかにも、何回か生死を分けることがありましたが、その都度、私は人に救われ、生かしていただきました。私がこうして長生きしていられるのは、時宜に適って、救ってくれた人に巡り合えたからです。

良かった本まとめ(2016年上半期)

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つきじ丼匠(東京 築地場内)の海鮮丼はとてもオススメ!

2016年07月07日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内の6号館にある「つきじ丼匠」で早朝に朝食を楽しみました♪

この日は海鮮丼な気分だったので、行ったことがないと思っていた「つきじ丼匠」へ行ってみました♪

「つきじ丼匠」は、築地市場の仲卸が直営していて、岩佐寿しの姉妹店とのことです。
仲卸が直営なのでネタには信頼がおけます^_^)


↑店構え

メニューを見ると、海鮮丼の種類がたくさんあり悩みますが、豪快という言葉に惹かれて^_^;)、人気No2の豪快丼を選択しました♪
やっぱり豪快なものがいいですよね^_^;)


↑店の外のメニュー


↑店内メニュー


↑店内メニュー

 さっそくその豪快丼が運ばれますが、ウニ、イクラ、マグロ、中落ち、ホタルイカなどたくさんの色で美しい!
いろんな味を楽しめて嬉しいですね♪

ホタルイカは旬なので入っていると思います♪


↑豪快丼


↑豪快丼と味噌汁とお茶

海苔に隠れていて写真では分かりづらいかもしれませんが、ウニがたっぷり入っていて嬉しく、やっぱりウニが美味しいなぁと感じますね(^_^)

実は2009年に「つきじ丼匠」へ行き、ブログでも紹介していたことをすっかり忘れていました♪

当時からはやはり若干値上げしているのは興味深いですね。
昔は北海丼が値段が高かったのに、豪快丼と同じ値段となり、穴子丼は300円も値上げですね。
原材料が高騰しているのでしょうか。
ただ「あじたたき」は当時の値段と変わらないようです。

豪快丼 1900円⇒2200円
北海丼 2100円⇒2200円
穴子丼 1500円⇒1800円
うにいくら丼 2000⇒2200円
あじたたき丼 1000円⇒1000円

「つきじ丼匠」は新鮮で美しく、おいしい海鮮丼を楽しめオススメです!

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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大江戸(東京 築地場内)の海鮮丼はとてもオススメ!

2016年07月06日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内の8号館にある大江戸に行ってきました♪

店の前にはカラー写真のあふれんばかりの海鮮丼メニューがあり、一体どれを選べば良いのか非常に悩みます~♪
これはメニュー多過ぎでしょう^_^;)


↑店構え

しかも、A丼、V丼、R丼などがあり、訳が分かりません^_^;)
お店の方に理由を訊くと、外国人の方がアルファベットで注文しやすいようにそうした名前にしているとのことでした。
ナルホド♪


↑メニュー拡大


↑限定丼やトッピング


↑その他メニュー

非常にメニューが多くて悩みますが、店頭に店員さんがいて、懇切丁寧に説明してくれます♪
私の前の5人ほどの団体客にも一人ひとり丁寧に説明していました・・・。凄い♪

結局、函館丼プレミアム2650円にしました♪
プレミアムとは、どうやらシャケが大トロシャケになるもので、+150円です♪
函館丼プレミアムは、その大トロシャケに加えて、ウニやイクラ、マグロの切り落とし、卵からなる豪華なものです♪


↑店内の様子

そして、函館丼プレミアムが運ばれますが、おぉぉ美しい♪
ウニといいイクラといい、マグロも良い色が出ていますね♪
器もいい色を出しています♪


↑函館丼プレミアム

特に驚いたのは、大トロサーモンがかなり白くて、これは脂が乗っています~♪
ウニも想像以上に多くてかなり大満足です♪
これはかなり美味いです^_^)

とある雑誌によると、やはりこの大江戸では函館丼が一番人気とのことです♪
海鮮丼が食べたくなったら、大江戸の海鮮丼はとてもオススメです!

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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海鮮丼 大江戸 築地市場内店海鮮丼 / 築地市場駅築地駅東銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.5

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やじ満(東京 築地場内)のカキラーメン等はとてもオススメ!

2016年07月05日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内の8号館の真ん中あたりにある「やじ満」へ行って来ました♪

2月と寒い時期でカキラーメンを食べたかったのと、同じ築地場内の6号館の「寿司処やまざき」の板前さんが、まかない飯でこの「やじ満」のカキラーメンとジャンボしゅうまいがオススメと言っていたためです^_^)


↑店構え


↑店内

店内は、さすがにここは観光客はおらず市場関係のお客さんが多いのかもしれません。

メニューを見て、カキラーメン1200円とジャンボしゅうまい2個300円を注文します♪


↑メニュー

まず、ジャンボしゅうまいが運ばれますが、おぉぉさすがデカい♪
アツアツで、辛子と合って美味しい♪
このデカさが堪りませんね♪
ちょっとこれだけで、お腹いっぱいになりそうな感じです^_^;)


↑ジャンボしゅうまい

そして、いよいよカキラーメンの登場です♪


↑カキラーメン

牡蠣(カキ)が埋もれていて、すぐには分かりませんが、中の方には大きな牡蠣が確か4つ入っていました♪
かなりの大きさで、これが4つもあるとは、実はリーズナブルかもしれません^_^)


↑牡蠣

アツアツで濃厚なスープで、身体が温まり美味しいです♪
量もかなり多く、朝からお腹いっぱいです^_^;)

冬場には「やじ満」のカキラーメンとジャンボしゅうまいはとてもオススメです!


美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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やじ満中華料理 / 築地市場駅築地駅東銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.4


 
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中山道六十九次 街道あるき 日本橋~板橋 ①日本橋~旧万世橋駅

2016年07月04日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が企画する「中山道六十九次 街道あるき」の第1回目の日本橋~板橋 ①日本橋~旧万世橋駅について紹介したいと思います。

 今までは東海道五十三次のウォーキングについて紹介してきましたが、阪急交通社で中山道シリーズも始まるとのことなので、さっそくその第1回目に参加してきました♪

 中山道は全長約534kmで、東海道の約495kmと比べると約40km長いとのことです。
しかしながら、宿場町は東海道の53に対して中山道は69と、16多いのが特徴です。
というのは、やはり中山道は坂道が多いので、それだけ1日で歩く距離も東海道と比べると短くなるようです。

当時は、江戸から京都まで行くには夏場は中山道、冬場は東海道を歩くのが主流だったようです。
というのは、冬場は積雪のため中山道は避けられ、夏場は川の増水があり川を渡れなくなるため東海道は避けられたようです。

まず、9時30分に日本橋近くの公園に集合し、簡単な説明や準備体操をして10時に出発します♪
近くの日本銀行の横を通っていきます。
日本銀行は上空から見ると、「円」という形になっているのはさすがですね^_^)


↑日本銀行

そして、すぐに日本橋に到着します。
今や、その上を首都高速道路が走っていて、当時の面影はまったくありません。
日本橋は江戸時代の五街道(東海道、中山道、奥州街道、甲州街道、日光街道)の起点となり、近代でも日本国道路元標が設置され、同様の役割を果たしたようです。


↑道路元標

それから「ひげのかじさん」によるラジオイヤホンを使った解説がありました♪
上記の東海道と中山道の違いや、中山道は約30藩の大名行列があり加賀の前田家が有名だったとか、幕末の新選組も江戸から中山道を通って京都へ行った、中山道は碓氷峠までは坂道は大変ではない、草津で東海道と中山道が一つになるなどの話が、楽しく面白く語られました♪


↑ひげのかじさん

旅を楽しく続けるコツは以下の3つとのことで、確かにそうだと思いましたね^_^)
楽しく人生を続けるコツとも共通するかと思います♪

(1)プラス思考(雨の日にもいいことがあると考える)
(2)当時をイメージしながらウォーキング(街並みを想像したり、歩く人もちょんまげしていると想像する)
(3)自分の楽しみを見つける(甘味や地酒、各地のお土産など)

それから日本橋を渡って中山道を進みます。
現在の日本橋は明治44年に石橋となり、橋には麒麟像がありますが、この起点から全国に飛び立つという意味が込められているようです。
素晴らしい像だと思います。


↑日本橋の麒麟像

それから、日本橋は江戸時代の頃から明治時代は魚河岸だったという説明がありました。
江戸時代の頃は、まずは魚などは将軍や諸大名に調達され、その残りをこの日本橋で売り出したことに始まるようです。
江戸時代には一日に千両もの取引があったようですね。
 ところが、大正12年(1923)の関東大震災にこの界隈は焼失し、魚河岸は現在の築地へ移ったようです。
ちなみに「築地」という地名は江戸は湿地帯だったので、地面を固めた(築いた)ようで、そのため「築地」と言うようです。
 

↑魚河岸の碑


↑日本橋魚河岸の説明


↑当時の震災前の写真

それから旧中山道を歩きます。
三越や三井住友信託銀行の由緒あるビルがありますが、江戸時代には有名な呉服店の越後屋があったようです。


↑三越や三井住友信託銀行の由緒あるビル

 「越後屋」(ゑちごや)は、江戸時代の1673年(延宝元年)に創業し、「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名を馳せたお店です。
現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、広く一般市民のものにしました。
井原西鶴の日本永代蔵にも記述がありましたね♪

それから、追分に到着しました。
ここで、中山道と奥州街道、日光街道が分岐されたようです。
辺りはビル群で、当時の面影あまったくありませんね^_^;)


↑追分

それからしばらく歩くと、石町の「時の鐘」跡の説明がありました。


↑石町の「時の鐘」跡

江戸時代には、日本橋石町、浅草寺、上野寛永寺、本所、横川町、市ヶ谷八幡、目黒不動、赤坂田町、四谷天竜寺の9カ所に時の鐘があり、時刻を知らせていたようです。
その鐘が聞こえる所に住んでいる町人は、年間4文(当時の約100円)を支払わなければならなかったようです。
また当時の時刻はそんなに正確ではなく、特に市ヶ谷は尾張藩があり早く仕事を終わらせたかったので、早めに鐘を鳴らしていたようです^_^;)
そして四谷は酒を飲んでいる客が多いため、その客を早く帰らせるために、早めに鐘を鳴らしていたようです^_^;)
面白いですね。

それから、しばらく歩くと筋違門などの説明がありました♪
この辺りで風雨が強くなって大変でした^_^;)
この日は爆弾低気圧?が通過していて、雲の流れがかなり速かったですね。


↑筋違門の説明


↑筋違門前の広場など


↑筋違門

この辺りには江戸時代には筋違門(すじかいもん)とその門前の広場があったとのことです。
当時は江戸城三十六見附と言って、江戸には三十六の城門があり、江戸市中を出入りする人々を監視していたようで、その一つです。

この筋違という名は、日本橋から本郷に通じる中山道と江戸城から上野寛永寺に至る将軍家の御成道(おなりみち)が斜めに交差していたからで、当時はこの広場は筋違八ツ小路と言われ、江戸でも最も賑やかな場所だったようです。
八ツというのは、筋違門・昌平橋・淡路坂・駿河台紅梅坂・御成道・須田町・柳原土手・小柳町の八方向の道に通じていたためです。

この筋違門は、万世橋が建設された明治5年(1872)に石垣などが取り壊され、その後、東京でも屈指の繁華街だった須田町交差点前に中央本線のターミナル・万世橋駅ができたようです。


↑万世橋駅の説明

その広場には日露戦争の英雄、廣瀬武夫と杉野孫七の巨大な銅像が建ち、また東京市電(路面電車(ちんちん電車))の各系統が集まってますます賑わいを増したようです。
しかし、1914(大正3)年に東京駅が開業し、1919(大正8)年に中央本線が東京駅まで開通すると万世橋駅はターミナルとしての役割を終えて中間駅となり乗降客も減っていったようです。
しかも、1923(大正12)年の関東大震災で駅舎が焼失してしまったようです。


↑関東大震災で被災した万世橋駅

大宮にある鉄道博物館のミニ列車の駅名に万世橋駅というのがありましたが、当時はそんなに賑わっていたとは驚きましたね。
今ではその面影がまったくなく、ただ驚くばかりです・・・。

次回は、②神田神社~染井吉野です。


お勧めなお話(2016年上半期)

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「「世界の大富豪」成功の法則(城島明彦)」という本はとてもオススメ!

2016年07月01日 01時00分00秒 | 
「「世界の大富豪」成功の法則」の購入はコチラ

 「「世界の大富豪」成功の法則」という本は、「フォーブス」誌の「世界長者番付」にランキングされたビル・ゲイツらのトップ・ビリオネラや、いまや伝説となったロックフェラーを中心とした名門ビリオネラがどうやって巨富を手に入れその人生がどんなであったか、そして彼らの格言等を紹介し、そのほか成功各国のロイヤルファミリー、IT長者、遺産相続、アジア圏の長者についても書かれ、彼らから学べる点についてもまとめられています。

 特にビリオネラの格言は勉強になりますね♪

ちなみにフォーブス世界長者番付の歴代トップは以下の通りとのことです。
バブルの頃は日本人がずっとトップだったのですね♪
またマイクロソフト創業者のビル・ゲイツが長年トップを守り続けているのはすごいと思います^_^)

1987年~90年 堤義明(西武鉄道グループ元オーナー)
1991年~92年 森泰吉郎(森ビル創業者)
1993年~94年 堤義明
1995年~07年 ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)
2008年     ウォーレン・バフェット(投資持株会社バークシャー・ハサウェイ 会長兼CEO)
2009年     ビル・ゲイツ
2010年~13年 カルロス・スリム(通信会社テルメックス オーナー)
2014年~15年 ビル・ゲイツ

 また、フォーブス誌が発表した2015年の「ビリオネア国別人数」は、IT長者がひしめき合うアメリカが他国を圧し、以下の順位は次のようになっています。
アメリカや中国、ドイツが多いんですね。

 1位 アメリカ536人(人口3億2260万人)
 2位 中国  213人(人口13億9380万人)
 3位 ドイツ 103人(人口8270万人)
 4位 インド  90人(12億8740万人)
 5位 ロシア  88人(人口1億4260万人)
 6位 イギリス 53人(人口6350万人)
 7位 フランス 47人(人口6460万人)
 8位 台湾   33人(人口2330万人)
 9位 韓国   30人(人口4950万人)
10位 日本   24人(人口1億2700万人)

なお、対10万人でのビリオネア人数は以下となり、台湾がかなり健闘していることがわかります。
 1位 アメリカ  16人
 2位 台湾    14人
 3位 ドイツ   12人
 4位 イギリス   8人
 5位 フランス   7人
 6位 ロシア、韓国 6人
 8位 中国、日本  2人
10位 インド    1人未満

「「世界の大富豪」成功の法則」という本は、現在や過去のビリオネラがどうやって巨富を手に入れその人生がどんなであったか、そして彼らの格言等を学べ、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・ビル・ゲイツの「大富豪への12の成功方程式」
①人生は公平じゃないという処世訓を頭にたたき込んでおくことだ。
②貧しく生まれるのは君のせいじゃないが、貧しく死ぬようなら君のせいだ。
③直感を信じることが、しばしば必要になる。
④成功体験は困った教師のようなものだ。抜け目のない者を失敗するわけがないと信じ込ませてしまう。
⑤人と比較してはいけない。そんなことをすれば、自尊心を傷つけるだけだ。
⑥成功に酔うのは結構だが、失敗から学ぶ方がもっと有意義である。
⑦うまくできないなら、せめてよく見えるようにせよ。
⑧手元に金があると我を忘れてしまうが、金がなければ世間から忘れ去られる。それが人生というもの。
⑨ほとんどの人は、1年でやれたことは過大評価し、10年でできることを過小評価しがちだ。
⑩最も得るところが大きい顧客は誰かといえば、一番不満を持っている顧客ということになる。
⑪どれだけ忍耐できるか。それが成功の鍵を握っている。
⑫大きく勝とうとすれば、大きなリスクが付随することを覚悟しなければならない。

・カリロス・スリムの「大富豪への10カ条の成功方程式」
①危機は誰にも訪れる。問題は、その危機をバネにして強くなれるかどうかだ。
②失敗は誰にもある。人間的なことなのだ。失敗は小さくし、素直に受け入れ、修正せよ。そして、忘れるのだ。
③どんなビジネスにも誤りはつきものだ。大きな誤りをどうやって避けるのかが成功の鍵となる。
④精神状態を左右するネガティブな感覚・感情を抑制しないといけない。傷心は他人のせいで生じるのではなく、自分自身から生まれ、大きく膨らむのだ。
⑤人は、誰かと競い合うことで、いつも、いつだって、大きくなれる。たとえ競争相手が勝ってもだ。
⑥現実を直視し、達成可能な明確な目標を持て!
⑦楽観的であれ。おびえてはいけない。
⑧何でもかんでも自分でやろうとするな。むしろ、他人と連携し、共同でやるべし。
⑨競争を楽しむこと。そうすれば健康になり、自分自身やビジネスをもっと強くする方法を掴むことだ。
⑩ローカル発のグローバルを目指すのだ。

・「ウォーレン流投資戦略」が、誰にもわかる単純明快な正攻法である点も共感を得ている。コカ・コーラとかIBMといった「優良株」を、株価が安いときに買って長期間”塩漬け”にしておく。目先の動きには絶対に左右されないこと。それだけだ。
①信頼できる企業、10年20年経ってもみんながほしいと思う商品を作っている会社にしか投資しないこと。
②ルール1「絶対に損をしないこと」。
 ルール2「そのことを絶対に忘れないこと」。

・ウォーレン・バフェットの「大富豪への15カ条の成功方程式」
地道に確実に資産増やすための心得は、誰もが明日から実戦に応用できるので、少し多めにリストアップし、小見出しをつけてみた。
①興奮せず、欲張らず、身の丈で戦え
 投資家の大敵は、「興奮」と「資金」だと知っておいて損はない。
②あせらず、好機の到来を待て
 株式市場は見逃しのストライクがないゲームだ。すべての球を打つ必要はない-好球を待っていればいいのである。
③人を見る目を養うべし
 ウォール街というところは、ロールスロイスに乗る人が地下鉄に乗る人からアドバイスを受ける唯一の場所だ。
④無駄なことは聞くな
 散髪を必要とするかどうかを床屋に尋ねるような愚かな言動は決してしてはならない。
⑤頭がよくても、株で成功するとは限らない
 投資というのは、IQ160の男がIQ130の男を負かすゲームではないんだよ。
⑥ビジネス現場の生きた情報を活かせ
 ビジネスマンだからいい投資家でいられるし、投資家であるからいいビジネスマンといえる。
⑦コツコツ築いた評判を一瞬で崩すな
 評価を勝ち取るには20年もかかるが、その評価を失うには5分もあれば十分だ。そう考えることができたら、それまでと違ったやり方をするはずだ。
⑧先達への感謝の気持ちを忘れるな
 今、誰かが木陰に座って憩えるのは、昔、誰かがその木を植えたからだ。
⑨無謀なチャレンジは禁物だ
 私は7フィートのバーを飛び越すような真似はしない。周囲を見回し、簡単にまたげる1フィートの高さのバーを捜すだけだ。
⑩狭い視野に陥るなかれ
 ビジネス界の動きに敏感であろうとするなら、いつでも、フロントガラスから見るよりバックミラーの方から見るべきだ
⑪株は5年間のスパンで考えること
 私は、「株式市場が、明日閉鎖され、その後5年間、再開のめどが立たない」と想定して株式を買っている。
⑫間違った判断を減らす努力をせよ
 人生で心がけることは、正しくないことをできるだけ避け、正しいことを少しだけするようにすればいいのである。
⑬自分は自分、人は人
 他の人たちが熱くなっているときは、その雰囲気に呑まれないようにしなければならない。
⑭いかなる場面でもクールであれ
 「自分を見失うと危険」という警句を胸に刻んでおくことだ。
⑮物事を複雑に考えない習慣をつけるべし
 簡単なことを難しく考えてしまうのが、人間の弱さではないだろうか。

・ラリー・エリソンは、若い頃、日本で働いた経験がある。大学を中退したラリー・エリソンは、1973年、シリコンバレーのアムダールに就職。同社は、IBMをスピンアウトしたジーン・アムダールがその3年前に設立し、1年前から富士通と資本提携していた。そんな関係で、ラリー・エリソンは日本へ出張したのだ。だがアムダールは、技術的な問題をクリアできずに経営を悪化させ、ラリー・エリソンは解雇。プロ用ビデオ機器などをつくるアンペックスに転職した。同社は、1956年に世界で最初にVTRを商品化した企業である。人生、何が幸いするかわからない。ラリー・エリソンは、そこで知り合った気の合う仲間二人と語らって、1977年6月16日に起業。自己資金は1400ドル(約38万円)だった。同社は2度、社名変更し、1983年に「神託」を意味する「オラクル」という現在の社名となり、今日に至るのである。2015年4月上旬、ラリー・エリソンは来日、オラクルが開催したイベントで、こう話した。「日本企業での経験で経営者としての働き方を身につけた気がする。長時間努力を惜しまないトレーニングになった」ラリー・エリソンは、日本流のがむしゃらな仕事っぷりで成功したが、それほど稼ぎがない時分からスケールのでっかい目立つ遊び方をしてきた。「とことん働き、とことん遊ぶ」「オンとオフの切り替えが抜群にうまい」のがラリー・エリソンの特徴であり、そういうこともビリオネアになるために必要な条件といえるようだ。

・オラクルのラリー・エリソンの「大富豪への9カ条の成功方程式」
①人生は旅だ。自分の限界を見つける旅なのだ。
②人は夢を追う生き物だと信じて疑わない。私はそうしてきたのだ。
③望みを達成するためには、自分のやることを信じなければならない。
④ビジネス戦線では、ほかの人のまねをしていたら勝つことなどできない。人より先んじられる唯一の方法は、人とは違っているということだ。
⑤「金儲けより」も重要なもの。それは、ずっと一番であり続けることだ。
⑥革新的なことをやりたかったら、世間から変人呼ばわりされることを覚悟しないといけない。
⑦働いて働きぬかなければならないときは、今を置いてないと思え。
⑧ソーシャル・ネットワークは、現代のサービスアプリケーションのパラダイムである。
⑨大業へと人を駆り立てるものは何かといえば、成功を追い求める気持ちはさほどなく、失敗することへの恐怖の方が強い。

・ウォルマート創業者のサム・ウォルトンの「大富豪への10カ条の成功方程式」
①いつも仕事に忠実であること
②利益はすべての仲間(従業員)と分かち合い、彼らをパートナーとして遇すること。
③パートナーのやる気(モチベーション)を引き出すようにすること。
④パートナーにはできるだけ隠しごとなど一切せず、互いの気持ちが通い合うようにすること。
⑤仲間がした仕事は、どんな小さなことでも感謝する気持ちを忘れないこと。
⑥成功したら、思いっきり自分を褒めるようにすること。
⑦どんな社員の声にも耳を傾けるように心がけること。
⑧お客様の期待以上のことをしようとする心がけを持つこと。
⑨競合相手よりも節約する工夫を心がけること。
⑩チャンスの目は人がやろうとしないところにある、と考えること。

・カジノ王のシェルドン・アデルソンの「大富豪への6カ条の成功方程式」
①確実であることが何よりも重要だ。ビジョンを描き、間違いないと確信したら、実行せよ。
②あらゆるビジネスに共通することは、どれくらい継続させられるか。どうすれば現状を変えられるかということだ。
③人と違うようにするだけだ。ほかの人がやらない方法で人生に関わることをせよ。
④起業家に必要なのは、リスクとは報酬であり、報酬とはリスクであるとする考え方だ。
⑤誰も私を助けてくれなかった。すべて自力でやるしかなかったのだ。
⑥見本市には成長商品の種が転がっている。

・ロックフェラーが92歳だった昭和7年(1932年)の人気少年雑誌「キング」は、新年号付録「偉人はかく教える」のロックフェラーの項の冒頭に次の言葉を太字で記した。
「殖やさなければ減るのが金の性質である。」
その後の文章も紹介しよう。
「現代で一番よく到富の術を心得ている人の一人はロックフェラーである。もっとも彼は単なる金貯め機械ではない。
「うんと稼ぎ、うんと貯め、うんと寄付せよ」
それが彼の一生のモットーであった。だから月給25円の番頭時代から、彼は月々きちんきちんと貯金すると同時に、毎週2銭ずつ、教会に寄付することを忘れなかった。彼が一生のうちに稼いだ50億円のうち、30億円は寄付して、今の財産は20億円と言われる。

・ロスチャイルドの「大富豪への10カ条の成功方程式」
①人生の競争にあたって勇敢なれ
②ことに臨んで機敏になれ
③十分に考え、しかして速やかに決断せよ。
④進むに大胆なれ。
⑤巧みに時を使用せよ。
⑥自己の人物を実際以上に装うべからず。
⑦強き酒を飲むな。
⑧忍耐よく困難に耐えよ
⑨決して失意することなかれ
⑩ぎょうこうを頼みとするな
かくして精励すれば成功は期せずして得られるべし。

・ベンジャミン・フランクリンの「徳目」13カ条
①節制 頭の回転が鈍るまで食べるな。ぐでんぐでんになるまで飲むな。
②沈黙 自分にも他人にも無益なことを口にするな。くだらない会話を避けよ。
③規律 持ち物は場所を決めておけ。仕事は時間配分を決めてからかかれ。
④決断 やるべきことを実行する決意をせよ。決意したら、しくじずに行え。
⑤節約 自分にも人にも役立たないことに金を使うな。つまり、浪費はするな。
⑥勤勉 時間を無駄にするな。つねに有益なことをせよ。不必要な行動は控えよ。
⑦誠実 策略で人を傷つけるな。良心に恥じないよう公正に判断し、口を開くときは話す内容にふさわしい話し方をせよ。
⑧正義 他人の利益を邪魔したり、与えるべき利益を与えないなどして他人に損害をもたらすな。
⑨中庸 極端に走るな。不当に傷つけられ、憤って当然のときもじっと耐えろ。
⑩清潔 体、服、住まいを不潔にするな。
⑪平静 ささいなこと、ありふれた、避けがたい自己で取り乱すな。
⑫純潔 性の交わりは、健康のためか子づくりのためにだけ行え。むやみにふけって、頭脳を鈍らせ、心身を弱らせ、自分や伴侶の平和ないしは信用を損なわないようにせよ。
⑬謙譲 イエスおよびソクラテスを見習え

・アンドリュー・カーネギーの「大富豪への成功方程式」10カ条
①富を得るには、すべての卵をひとつのかごに積めて、大切に見守ることだ。
②やるべきことだけをするのではなく、少しでもいいからそれ以上のことをすることだ。そうすれば、未来はその人に微笑むだろう。
③他人をリッチにできない者に、リッチになる資格はない。
④幸せになりたいなら、まず目標を定め、全力を投入して、望みに燃え、自らを鼓舞せよ。
⑤笑顔を忘れるな。笑う門には福来る、だ。
⑥どんな素晴らしい才能があったとしても、やる気のない人間は、つまらない人生に満足するしかない。
⑦たったひとりで仕事をするよりも、他人の助力を得る方が一段と素晴らしい仕事ができると悟ったとき、人は大きな進歩を遂げるものなのだ。
⑧成功する秘訣は、自分の仕事に求めるのではなく、その仕事にふさわしい適材を見つけることにある。
⑨努力しない者を助けようとしても無駄である。はしごを上ろうとする意志がない者を誰かが押し上げることなど到底できっこないのだ。

・”アメリカのロイヤルファミリー”とまでいわれる名門ケネディ家の先祖は1849年にアイルランドからボストンへ渡ったパトリック・ケネディから始まる。だが、彼や長男はコレラで死に、次男パトリック・ジョセフが14歳から港湾労働者となって母と3人の姉を養いながら金を貯め、バーを開業すると、これが大当たり。店は上流階級の集まる社交場となり、20代でマサチューセッツ州議会の下院議員に出世する。洋酒輸入会社の買収、石炭会社の株式保有など事業・投資にも触手を伸ばした。これが、ケネディ家のルーツである。大富豪に成り上がるのは、パトリックの息子ジョセフの代だ。ハーバード大学を卒業すると実業界に飛び込み、弱冠25歳でコロンビア・トラスト銀行の頭取になる。子は父の背中を見て育つというが、ジョセフはその典型。酒や投資に目をつけ、今日ならインサイダーになる強引な手口で大儲けし、禁酒法時代にはマフィアと結託して密造酒で巨万の富を得た。相場勘も鋭く、1929年の大暴落直前に所有株を売り払っている。政治的野心も半端ではなく、ひそかに大統領の椅子をねらっていた。ジョセフは強引な手口で資産を増やし続け、ルーズベルトを資金面でバックアップして大統領に2度当選させた見返りとして、駐英大使のポストを手に入れるが、親ナチス・反ユダヤ的な発言を繰り返して失脚。野望の実現を長男ジョセフ・ケネディJrに託していたが、Jrは第二次世界大戦で戦死。次男ジョンの出番となり、見事、大統領になったのである。

・モナコは王国ではなく公国である。王や王女が統治する君主国家を王国と呼び、立憲君主制と絶対君主制があるのに対し、公爵などの貴族が君主として統治する国家を公国といっている。
立憲君主制の王国・・・英国、オランダ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、ベルギー、タイ、カンボジア、マレーシア、モロッコ。
絶対君主制の王国・・・サウジアラビア、ブルネイ。
公国・・・モナコ、リヒテンシュタイン

・2位のコーク一族にしろ、3位のマース一族にしろ、4位のカーギルにしろ、長く生き残るビリオネア・ファミリーには、共通する「成功方程式」が存在する。親子兄弟姉妹の仲がよく、遺産をめぐる争いを起こさないという点だ。「結束が固い一族」は、繁栄するのである。「ベスト20」の顔ぶれを創業時期の違いで分けると、次のようになる。
19世紀前半 デュポン、メロン、ジョンソン
19世紀後半 ブッシュ、ハースト、カーギル、コックス、SCジョンソン、ブラウン、ドランス。
20世紀前半 マース、コーク、ジフ、ハント、ニューハウス、プリッカー、ローダー、チャールズ&ルパート・ジョンソン。
20世紀後半 ウォルトン、ダンカン。

良かった本まとめ(2016年上半期)

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