ジョン・ダンカン 2013 東京
ジョン・ダンカン/非常階段/ジム・オルーク
1980年代の一時期ジョン・ダンカンは東京在住で私がバイトしていた吉祥寺Gattyに何度も出演していた。当時はLAFMSとの関係もさることながらピナコテカ・レコードとの関わりが印象に残っている。ピナコテカ発行のフリーペーパー「アマルガム」にはしばしばジョンの活動・リリース情報が掲載され、実際ピナコテカ経由でカセット「Music You Finish」、クリス&コージーとの共演EP「憂国」、ソロLP「Riot」を出している。地下1Fの湿り気を帯びたGattyで取り憑かれたように短波ラジオをチューニングしている姿が記憶に焼き付いている。彫の深いゴツい顔にいつも不機嫌そうな表情を浮かべているので何を考えているのか計り知れない不気味さがあった。1990年代にはヨーロッパへ拠点を移し時々音楽雑誌やサイトに近況がレポートされた。G-Modern誌で1996年アムステルダムで行ったパフォーマンス(インスタレーション?)で参加者と共に全裸で真っ暗な地下室に一晩中閉じ込もったという記事を読みアクション派芸術家のジョンらしいなと思った。
それ以降あまり情報が入らなくなったが2008年横浜トリエンナーレでヘルマン・ニッチェやマシュー・バーニーの血飛沫と肉欲に満ちた展示を観た時ジョンのことを思い出した。昨年FacebookにJohn Duncanの名前を発見しもしやあのジョン?と思い調べると1953年生まれカリフォルニア芸術大学卒業、職業アーティストとあり間違いなくジョン・ダンカン本人だった。それにより現在でも精力的に各地でアート活動をしていることが分かった。今回20年ぶりにジョンの来日公演が決まり非常階段と共演するというのはなかなかに感慨深い。非常階段とジョンは1984年に共演しセッション音源はアルケミーのコンピLP「錬金術」に収録されている。当時の非常階段はスキャンダラスなパフォーマンスから脱し純粋ノイズ・バンドとして活動を始めた頃だった。そんな時期に純粋実験芸術家のジョンと共演したことはその後の非常階段の方向性に影響を与えたように思う。
会場に入るとステージに向かって椅子席が準備されていて意外だった。スーパーデラックスの非常階段といえば客との乱闘騒ぎもあった2011年のライヴ(動画参照)の印象が強い。物販コーナーに座っていた広重に尋ねたら「今日は静かな演奏」とのこと。静かな非常階段って???狐につままれた気分で開演を待つ。
まずは壁面にフィルムが投射される。ガタイのいい白人男性がパソコンを破壊しベッドを切り裂き部屋中に血糊のようなペンキを塗りたくるショッキングな映像。最後のクレジットでこれがジョン・ダンカンによるパフォーミング・アートであることが判明。破壊衝動に駆られたハプニングではなく周到に用意された芸術であることになおさら恐怖がつのる。何とYouTubeにその動画があった。
●非常階段+ジョン・ダンカン
(写真・動画の撮影・掲載については出演者の許可を得ています。以下同)
ジョンの映像が産み出した重苦しい空気の中、非常階段の4人(コサカイフミオは欠席)とジョン・ダンカンが登場。てっきりトリだと思い込んでいたがイベント・タイトル通りこの日の主役はジョン・ダンカンであることに思い当たる。それにしても美術展のようにしつらえたステージをギャラリーが見守るライヴ形態は非常階段にとって極めて異例。広重が言ったように地を這うように陰鬱なノイズをJunkoのスクリームが引き裂く演奏でスタート。ジョンは体型こそコサカイに似ているが微動だにしない演奏スタイルは真逆。エアシンセなのか手をかざして演奏しているがPAから出る音ではどれかわからない。演奏は次第に熱を帯びドラムが激しく乱打し広重もギターを振り上げ叩き付けるが抑圧的な息苦しさは変わらない。最初はジャンプして騒いでいた数人の観客も鳴りを潜めてしまった。勿論演奏は素晴らしくそれをじっくりと鑑賞できたのも嬉しかったが会場全体を出口のない閉塞感が支配していたように感じたのは私だけだろうか。
●ジム・オルーク
続いてジム・オルークのソロ。シンセとエフェクターによる電子ノイズ。ジムの演奏はハーシュノイズではなくアンビエントである。微弱音の通奏低音の上に様々な電子音が重なり消えていくサウンドはクラウス・シュルツェやタンジェリン・ドリームの浮遊電子トランス音響を継承している。ジムがノイズではなくポストロックの出自だということがよく 判る。アンビエント的演奏家は日本では杉本拓やSachikoMくらいであまり多くないが欧米では根強い人気を持つスタイルで、サーストン・ムーアなども実験作品ではギタードローンによるアンビエント演奏が多い。といったことは理解しているが実際に聴いて面白いかといえば個人的にはちと辛い。40分間の演奏中何度か意識を失いかけた。
●ジョン・ダンカン
最後にジョン・ダンカンのソロ。一見ジムと同じテーブル・ノイズ演奏だが似て非なるものとはまさにこのこと。非常階段の時と同様にテーブルの上に手をかざして音をコントロールする。その音はエアシンセではなく鈍い低音ホワイトノイズの音高が微妙に変化するだけ。CDJを使用し時々ディスクを取り換えるがサウンドに大きな変化はない。気が塞ぐようなズーンと沈み込んだ重圧的な音響が続く。暗い照明に彫塑のような顔が不気味に浮かび上がる。非常階段の時の閉塞感の元凶がジョンにあったことが分かった。音楽家というより美術家・芸術家であるが故に冷酷にして無慈悲。芸術のためなら笑顔で人も殺しかねないほどの残忍さが滲み出ている。ジョン・ダンカンという孤高のアーティストの存在感の大きさに打ちひしがれる思いを抱えて戸外に出ると昼間の春の陽気とむせ返る煙霧が一転し凍えるばかりの冷風。人生はかくも辛いものだったろうか。
▼ジョン・ダンカンの機材
暖寒に
ダンカンと振り
納得す
4月のJAZZ非常階段featuring山本精一に急遽大友良英の参加が決まったそうな。自分がいないと広重×山本コンビに何を言われるかわからないから心配になったのかな?