その奥の奥
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ/川口雅巳ニューロックシンジケイト/愛のために死す/ソルジャーガレージ
「その奥の奥」とはShowBoat主催のイベントで今年1月18日の第1回に続き今回が2回目になるそうだ。唯一無二で同じ音を持つことの無いアーティストの世界を覗き観る、「その奥の奥」に触れてみたいという思いが込められているとのこと。なるほど確かに今回の顔ぶれはまさにShowBoatならではのセレクションである。同じ高円寺の20000V(現二万電圧)やUFO CLUBとは違ったShowBoatの魅力とは曲解を覚悟で言えば「気軽さ」と「包容力」ではなかろうか。当然出演者によって会場の雰囲気は変わるがハードコアの20000V、サイケのUFO CLUBに比べて同じアーティストが出演してもShowBoatでは独特のリラックスしたムードがあるような気がする。灰野敬二、三上寛、恒松正敏、友川カズキといったベテランが多いせいもあるだろうが彼らと若手が対バンしても違和感のない大らかな空気がここにはある。1970年代からの中央線の文士的・ヒッピー的・印度的・・・何と呼んでもいいが独特の風土が息づいていてとても居心地がいい。逆に言えば緊張感の欠如とも捉えられるが、何をしても自由、いざとなれば廻りが助けてあげるという包み込むような温もりがココの魅力である。またShowBoatの自慢は音の良さでもありそれは音に厳格な灰野敬二が誕生日と年末の重要なワンマンライヴをここで開催していることで明らかだ。
●ソルジャーガレージ
今回出演の4バンドはいずれもShowBoatで観たことがある個人的に思い入れのあるバンドばかり。若手中心のBeat Happening!のように未知のバンドとの出会いはないが故郷に帰り旧友に会うような気の置けないイベントである。春の嵐の予報に不安を感じながら馴染みの階段を下り扉を開けると馴染みの暖かい空気の中でソルジャーガレージ=清水沙が演奏中だった。彼を初めて観たのも昨年12月のShowBoatだった。その時はダンサーのしまえりことの共演で彼女の踊りに目を奪われたが今回はソロなのでソルガレの世界にじっくり浸ることができた。ジャズマスターに似たビザールギターを思い切り低く構えて深いリバーヴのかかった声で歌う姿に彼がロック美学に惹かれていることが伺えた。水晶のように煌めくギターの音は灰野の「ここ」に代表される最もリリカルな歌世界に似ているが磁力の低いシングルコイル・ピックアップのか細い音色には灰野の確信的な音とは異質のナーヴァスで傷つき易い無垢の心を感じる。ファズを踏み歪んだ音でシューゲイザーのように俯いたまま奏でられるノイズギターはロック的なペンタトニックスケールのフレーズを吐き出す。まるで初めてギターを手にした少年(少女でもいいが)が音を出す喜びに熱中するような耽溺ぶりに灰野よりもむしろ5年前に急逝した光束夜の金子寿徳に近いものを感じた。会場で配布された「ソルガレ通信」という8ページの小冊子には本業がイラストレーターである清水の非商業的?なコラージュが散りばめられ裏表紙に記された署名が「マッドナルシスト」となっており深く納得した。
(写真・動画の撮影・掲載については出演者の許可を得ています。以下同)
●愛のために死す
2番目は破天荒ロケンローラー弦人率いる愛のために死す。ベースの早川脱退後初めて観る。落合Soupでの自主企画「Frame Out」に何度か誘われたがなかなか行けず今回ShowBoatで半年ぶりに再会出来た。新ベースの石川は長身細身で愛ためのシャープなロケンローに見事にフィットしている。始まるなりステージに飛び出てジャンプする弦人は相変わらず威勢がいい。以前も感じたが彼らのサウンドには東京ロッカーズの香りがある。正確に言えばむしろLP「東京ニュー・ウェイヴ’79」のA面に収められたSEX、自殺、Painというバンド。この3バンドはサウンド的にはニューウェイヴというよりジャックス、頭脳警察、村八分、外道、RCサクセションといった日本の反骨ロックを継承しつつパンク的なアティテュードを加味したバンドだった。B面の8 1/2とボルシーが彼らより若くまさにパンク/ニューウェイヴ世代だったのと対照的だしLP「東京ROCKERS」の5バンドよりは少しだけ若かった。愛ためのサウンドと弦人のパフォーマンスも全く新しいものを創造するというよりもあくまで「ロック」への拘りを今の時代に蘇らせるものではないかと思う。同世代の下山やBO NINGENがエクストリームな世界を追求するのとは異なりより普遍的な素顔のロケンロー。交友のある壊れかけのテープレコーダーズやシベールの日曜日などと共に「ロック・ルネサンス派」とでも括れるのではないか(勝手なレッテルは貼りたくないし彼らも嫌がるだろうが分かりやすと思うので敢てこう表現させていただく)などと考えていたら隣に壊れかけのコモリが立っていたので驚く。直ぐ前で座ってヘドバンしていた女の子はキーボードの遊佐だった。以心伝心だろうか。
●川口雅巳ニューロックシンジケイト
続いて10日前に国立地球屋で観た川口雅巳ニューロックシンジケイト。この日も思わず背筋を正す真剣勝負の緊縛サイケロックが炸裂。地球屋ではフリーフォームなインプロを聴かせたがこの日は楽曲に従ったスタイルの演奏。楽曲という枠があることで逆にバンドの持つ自由度と卓越した即興技術が際立つ。特にガーンと来たのは川口のヴォーカル。地球屋に比べPAが大きいので轟音演奏に負けずにヴォーカルが明快に眼前に迫る。語られることは多くないが川口は極めて個性的なヴォーカリストでもある。深く朗々とした歌は得てして演奏重視になりがちな轟音系バンドの中では群を抜いて強烈な存在感を持っている。それは川口が愛するコリアンポップに顕著な「歌」中心の楽曲の重要性を提示しているかもしれない。ニューロックシンジケイト結成前に川口が参加していたバンドみみのことで最も印象的だったのは川口の歌声だったので2005年に彼がみみのことを脱退しスズキジュンゾが新ヴォーカリストに就くと聞いた時には「それって別のバンドじゃん!」と川口に食ってかかった覚えがある。この日はコリアンロックのスタンダードナンバー「美人(ミイン)」を韓国語で歌った。聴き覚えのある曲だが以前聴いたのは韓国で活躍する日本人バンド佐藤行衛&コプチャンチョンゴルの演奏だったかもしれない。
●マヘル・シャラル・ハシュ・バズ
最後は日本が誇るストレンジポップ集団マヘル・シャラル・ハシュ・バズ。10年前に観た時から、いや1980年代半ばに工藤冬里が国立で近所の若者を集めて初めて音を出した時から音楽性も方法論も変化していないであろう稀有なグループである。その徹底したテクニック無視のスタイルには全くブレがない。いいや彼らの前では「意識」とか「無視」とか形容すること自体が無意味であろう。常識的な音楽論やバンド論の枠から外れることを30年近く実践してきたのがマヘルという存在である。私が観てきた10年間恐らくメンバーチェンジは余りなかったような気がする。にも拘らずテクニックが向上した形跡はない。「上手くならない」のではなく「上手くなる」ことを目指してはおらず逆に「上手くならない」ように努力しているのでは?楽器でも何でも最初は初心者でも練習すれば嫌が応にも上達するものだ。楽器屋で初めてギターを手にした中学生の出す音が余りにノーニューヨークでビーフハートでシャッグスなので「頼むから上達しないでくれ!」と心の中で願ったことがある。しかし間違いなく彼は必死で練習しパンクかメタルかブルースか知らないが憧れのギタリストの真似が上手くなるのは必然である。成長とはそういうものだ。マヘルは成長を拒む。かといってピーターパンのようにいつまでも子供のまま留まる訳ではない。この日の演奏は歌に重点を置いたもので最初はワンコーラスずつ10人余りのメンバーが順番にヴォーカルを取る曲。「フライデー」と題された2曲目は♪先週の金曜日の夜私は...♪という台詞でメンバー全員が実際にしていたことを報告する曲で面白可笑しく語る者いれば忘れた者もおり最後は観客にマイクを渡し同じことを語らせるという聴衆参加型パフォーマンス。マイクを渡された外人客が一生懸命思い出しながら語るのが面白かった。その後もマヘルの代表ナンバーを工藤冬里が歌いメンバーが所々で唱和する。気紛れで奇矯な予測不能のパフォーマーというのが工藤冬里のパブリックイメージだがこの日のステージには冬里イズムが10人余のメンバーにきちんと伝わっていることが伺えた。長年かけて世間一般の意味とは違う形で成長してきた証である。
レポートを書いていて面白い事実に気がついた。先日来年齢・世代に思いを馳せているのだが、この日の出演者が愛のために死す・弦人=20代、ソルジャーガレージ・清水沙=30代、川口雅巳=40代、工藤冬里=50代と見事に世代が別れているのである。世代と音楽の関係については別項で考察したいが「その奥の奥」を探るイベントに4つの別世代が出演したことは偶然なのだろうか?
奥の奥
進んでみたら
出口なし
ShowBoatをはじめ高円寺の街は奥の奥を探索すればする程きりがない。