A Challenge To Fate

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THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのネ申ライヴDVD化!+『象物語』ロックとゾウのパオパオな関係

2013年10月03日 00時27分56秒 | ロッケンロール万歳!


解散から10年を経たロケンローレジェンド、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下TMGE)が2003年9月25日に京都磔磔で行ったライブ映像が『BURNING MOTORS GO LAST HEAVEN II LAST HEAVEN TOUR 2003.9.25 at KYOTO TAKUTAKU』としてDVD化された。この解散ツアーのラストギグは幕張メッセに37000人動員したというから、その百分の一のキャパでのギグはすぐに伝説となりファンや関係者の間で語り草になっていた。とにかく90年代後半から解散までのTMGEの人気は凄まじかった。1998年のフジロックを含め何度か観た中で最も印象に残ったのは、フジロックと同年にMTV JAPAN主催で再開発中の湾岸地区の空き地で開催された野外フェス。ザ・シャーラタンズがトリを務めたフェスでトリ前に出たのがTMGEだった。会場でのアルコール販売がなく、散々文句を垂れてふてくされてた観客がTMGEの登場と共に一気に爆発し津波のように前へ押し寄せた。形だけの柵やフェンスはなぎ倒され、ブロック指定も何もなくなり、暴徒化したモッシュの渦はカオスそのものだった。シャーラタンズ目当てだった我々は呆気にとられたままそれを眺めるしかなかった。TMGE終了と共に殆どの観客は会場を去り、おかげでトリは最前列で楽しめた。



このDVDに収められたのはそれから5年後、突然の解散ショックが駆け巡る中でのステージ。熱狂を超えた狂騒状態が画面から熱波の如く伝わってくる。冒頭から休むことなく大きく波打つ観客の海。バンドのテンションも異常にハイ。記憶に刻まれた人生の忘れられないいち場面のように、TMGE12年のヒストリーに輝く記念碑に違いない。





【論考】ゾウさん(Elephant)が結ぶロケンローの輪
エレファントカシマシ


TMGEと並ぶゾウさんロックの雄が宮本浩次率いるエレカシ。結成・デビューはTMGEよりかなり早いが、年齢は2・3歳しか違わない。盛り上がる客を「うるせぇ」と一喝し、バカと毒づく宮本の切れキャラが、男の怒りのロックと評価されたが、徐々に内に籠る情念を吐露するようになり、怒りよりも男のロマンを歌って大ヒットする。日本のロックの頼れる兄貴的存在。難聴のため現在ライヴ活動休止中。初期の傍若無人ぶりは町田町蔵みたいでカッケー。




●ケイジ・ジ・エレファント


ケンタッキー出身の現役ロックバンドがゾウの檻ことCage The Elephant。個人的にはゾウの敬二と呼びたい彼らは2005年結成の5人組で、レッチリやメタリカらを手がける大手マネージメント=Qプライムに所属。フーファイ(Foo Fighters)、ストテン(Stone Temple Pilots)、ブラキー(Black Keys)、シルピ(Silversun Pickups)らとのツアーや、ロラパルーザ、ボナルー、フジロックなどのフェスに参戦。ステージ・ダイヴや壁をよじ登るなど当たり前のハイエナジー且つ過激なライヴ・パフォーマンスで知られる荒くれロックンロール・ハリケーン。2011年の2ndアルバム『Thank You, Happy Birthday』は全米2位の大ヒット、ローリング・ストーン誌の年間最優秀新人に輝く。間もなく3rd『Melophobia』がリリースされる。彼らにインスパイアされて日本にもエレカシ、TMGEに続くゾウさんバンドが登場することに期待したい。




●エレファンツ・メモリー


ちょっと古いが元祖ゾウさんバンド。60年代末にニューヨークで結成されたアングラ・バンドだったが、政治運動繋がりでジョン・レノンとオノ・ヨーコと交流し、1972年ジョン&ヨーコの『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に参加し、そのままプラスティック・オノ・エレファンツ・メモリー・バンドとしてステージでバックを勤めることに。有名な1972年8月30日マジソン・スクエア・ガーデンでの「ワン・トゥ・ワン」チャリティー・コンサートにも出演し、その模様は1986年に『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』としてリリースされた。単体ではホーンを含む女性ヴォーカルのサイケデリック・ロックが心地よい。ジョン&ヨーコ・プロデュース作『エレファンツ・メモリー』(1972)は未CD化。




ーーーー続いてはゾウさんソング。ーーーー
●キング・クリムゾン


ゾウさんロックと聞いて真っ先に頭に浮かぶのが当時「再結成クリムゾン」と呼ばれた80年代前半ディシプリン期キング・クリムゾン。アメリカ人のエイドリアン・ブリューが参加し、変態ギミック・ギターと飄々としたヴォーカルを聴かせるラインナップは、「クリムゾンがトーキング・ヘッズ化した」と非難され、ジョン・ウェットンも英国人以外が参加しているこのラインナップをクリムゾンとして認めていない旨の発言をしている不遇の時期だが、当時の若いロック・ファンにとっては、プログレへの入り口だったし、MTVの影響で次々ポップ化する他の大物バンドに比べれば、真の前衛性を体現していたのは確かである。ブリューの人気と影響力は絶大で、プロアマ問わず多くのギタリストがトレモロアームとフランジャーを駆使してゾウの鳴き声を再現しようとした。私の得意技は、コーラスを2個かませたライオンの咆哮だった。




●トイ・ドールズ


元祖ファンパンクのトイ・ドールズは、ハードコア中心に政治色の高まるパンク・シーンに、Enjoy Punk Rock!と声高に宣言して、コミカルなルックスとサウンドで笑いをもたらした大バカものだった。「Yul Brynner Was A Skinhead」(ユル・ブリンナーはつるっパゲ)、「My Girlfriend's Dad's A Vicar」(俺のガールフレンドの親父は教区牧師)といった人を食ったタイトルのオリジナル曲もよかったが、誰でも知ってる有名曲のパンク・カヴァーが最高だった。デビュー・アルバムからの大ヒットが童謡「Nellie the Elephant」、邦題「ネリーだゾウ」。元気いっぱいの行進曲が面白く自分のバンドでカヴァーしてオープニング・テーマとして演奏していた。後にメンバーのオルガが今年結成25周年を迎えるロリータ18号のプロデュースをしたのも懐かしい。




●ストーン・ローゼズ


ゾウさんソングはクラブでも大ウケ。おマンチェの象徴、石と薔薇のSTONE ROSESが1988年にリリースしたのがゾウ石こと「エレファント・ストーン」。ニュー・オーダーのピーター・フック・プロデュースのカワイイ曲だが、エクスタシーをキメてクラブで踊る24時間パーチーピーポーにはマタタビの様な中毒性を発揮した。日本でもアゲ曲としてクラブDJ必携ナンバー。最近シューゲと並んで関連書籍の発行が続くマンチェ・スタイルが復活したら、押し入れの奥の当時の洋服が役に立つかも。




●少年ナイフ


大阪の脱力パンク娘。少年ナイフのデビューEP『Burning Farm』(1983)の収録曲が「象のパオパオ」。バナナ・フィッシュや亀の子タワシ、オウムのポリネシアなど非パンク的なテーマを歌った異色の手作りロケンローが海外で大評判になり、日本で一番無名な世界的人気バンドの地位を譲らず30余年、全日本ロケンロー御長寿バンド女性の部の優勝間違いなし。




以上の考察の結果、ゾウを歌うことのは海外での成功の大きなチャンスに結びつく可能性がある。ただし海外にうつつを抜かしている間に、日本国内での知名度・人気が急速にダウンする可能性があることを肝に命じていただきたい。ONE FOR ALL, ALL FOR ONE(一人はみんなのために、みんなは勝利のために)を心に刻んでロケンローに生きて死ぬのが夢です。

エレファント
ジャイアント
ペンダント

ぞうきんとは似てるけど別モノであう。ざんねーーーん!!!!!!!


コメント
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