A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

憂歌を巡る秋口の追憶 Part 2~ブルースはセイシュンである。

2013年09月08日 01時33分02秒 | 素晴らしき変態音楽


涼しさが増す初秋の夜、憂歌を巡る追想は留まることがない。音楽の歴史を紐解く内に、自分にとってブルースとは血と汗と涙であることを思い知った。Player誌で吾妻光良の連載を真に受け、入手困難なエルモア・ジェイムスやロバート・ジョンソンのレコードを苦労して手に入れ、劣悪な録音にもめげずコピったり、ジョニー・ウィンターの師匠がマディ・ウォーターズだと知り、とぼけたマディの写真を壁に飾った高校時代。ペンタ君はブルース循環カオスに絡めとられてしまった。



「生きながらブルースに葬られ(Buried Alive In The Blues)」という曲がジャニス・ジョプリンの名作『パール』に収録されている。この曲の歌入れ予定日にジャニスはヘロインの過剰摂取で死亡。暗示的なタイトル通りブルースに葬られてしまった。遺作となった『パール』にこの曲は歌の無いインストのまま収録された。テキサス州の田舎町に育ったジャニスは、思春期に入った頃、人種差別に反対したことをきっかけに、いじめの対象となってしまった。 当時の彼女はニキビ面で太めだった為、「黒人大好き女」や「ブタ」「売春婦」などと呼ばれ、 男の子たちの恰好のえじきとなっていたが、それでも、ジャニスは「くたばっちまえ!」と言い返していた。不良の仲間たちと出掛けたルイジアナのバーでブルース に出逢った。「ブルースは自分に正直な感じがする」と彼女は 17歳で唄い始めた。それから27歳で亡くなるまで、ジャニスの人生はブルースに捧げられた。青春時代のブルースとの出会いがジャニスの生き様を変えてしまったのである。ジャニスの人生を司った「ブルース」と「青春」の関係について考察してみたい。




●青江三奈「伊勢佐木町ブルース」



淡谷のり子に次いで「ブルースの女王」の座に輝いた青江三奈と青春の関係は、ひとえに筆者の個人的な体験に起因するが、70年代に思春期を過ごした男子なら誰もが覚えがあるに違いない。♪見えすぎちゃって 困ァるのォ~♪で有名なマスプロアンテナのTV-CMに出演、ゴルフでミニスカがめくれるお色気シーンに胸トキメかせた幼い日。同社のCMは雨に濡れて女性モデルの下着が透けて見えるパターンが基本で、親は困ァっただろうが、子供心にも「良くない、けれど見たい」CMだった。思春期に入り音楽に興味を持ち、父親のレコード・コレクションを漁った時に、クラシックと映画音楽の中に「伊勢佐木町ブルース」のジャケットを発見し、見てはいけない物を見てしまった罪悪感を覚えた。しかし両親の目を盗んで聴く溜め息は、エマニエル夫人の切り抜き同様、自分だけの秘かな愉しみであった。




●AKB48「マジジョテッペンブルース」



時代は変わって、現在の性少年のココロの憩い場であるアイドルのブルース。最大メジャーのAKB48がブルース・ソングを歌うことは、40年前と変わらずブルースがアーティストの必修科目であることの証明である。AKB48 主演ドラマ「マジすか学園」のスピンオフ・ソングで、メンバーがキャスト役柄そのままに、テッペンを目指す打倒ソング。ヤンキー校・馬路須加女学園(通称マジ女)の転校生(前田敦子)がヤンキーの抗争を通して友情を育む学園ドラマで、ツッパリ言葉とヤンキー仕様セーラー服がセイシュンを象徴している。



 
●浅香唯「Heartbreak Bay Blues」



セーラー服ドラマの先輩格が「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」主演アイドル浅香唯。大西結花・中村由真とのトリオで風間三姉妹として知られたが、最大の成功を手にしたのは浅香だった。カネボウ化粧品のCMでブレイクし、中山美穂、工藤静香、南野陽子と共に「アイドル四天王」と称された。CMソング「C-Girl」を含む自己最大のヒット・アルバム『Candid Girl』(1988)収録の ブルース・ソングが「Heartbreak Bay Blues」。同アルバムのイメージ・ビデオも制作され、海外ロケで水着やコスプレを披露、25年前の性少年たちが色めき勃った。




●近藤真彦「スニーカーぶる~す」



(元)性少年諸君には申し訳ないが、ココから先は野郎どもの憂歌特集。青春ドラマの更なる大先輩はF1に乗ったアイドルことマッチ=近藤真彦。1980年、オリコン史上初のデビュー・シングルで初登場1位を獲得したこの曲は、たのきんトリオ主演映画第1弾『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』の主題歌。アイドル人気に便乗した荒唐無稽な映画で、現在DVD化もされていないが、公開当時の劇場は大入り満員の少女たちが一斉に泣き叫ぶ修羅場の如きカオス状態だったと言う。




●斉藤和義『青春ブルース』



ブログ記事にBGMをつけるとすれば、この作品が本稿のサントラ盤に違いねぇ。2004年発表の10thアルバムにそのものズバリのタイトルを付けたのは、せっちゃんこと斎藤和義。この愛称は大学時代「セックスしたい」と言いふらしていたことからついたという、みうらじゅんの小説に出てきそうな、溜まり過ぎの青春時代を過ごした。中村達也とMANNISH BOYSを結成しベンジー&チバ主宰R&Rカオスに参戦を果たし、生来の下ネタ好きで、硬派サークルに新風を吹き込んだ。




●ブルース・マグース「恋する青春」


ブルース=青春の定理は洋楽ロックにも応用可能。NY出身のガレージ・サイケ・バンド、ブルース・マグースの1966年のデビュー・アルバム『サイケデリック・ロリポップ』はサイケデリックという言葉をタイトルとして初めて冠したアルバムだといわれる。そのリード・シングルが「恋する青春」。全米5位の大ヒット・ナンバーで、オリジナル・タイトルは「オレ等まだ何にもヤッてねぇし (We Ain't Got) Nothing' Yet」という欲求不満ナンバーだが、「恋」「青春」と臭い言葉を並べた邦題をつけたレコード会社担当者はリア充だったに違いない。ディープ・パープルがリフをパクったことでも有名。




●ブルース・スプリングスティーン『青春の叫び』



ブルースはブルースでもBluesではなくBruceだが、青春のひと文字=Spring(春)が含まれるので、本稿のテーマに完全合致。アメリカを代表するロケンローラー、通称ボス。アメリカ民衆の代弁者として名実共にBOSSになる前は、ボブ・ディランのあとを継いで青春群像の描写に際立った才能を示した。1973年の2ndアルバム『青春の叫び 』の原題は「野性的、無垢、そしてE通りのごちゃまぜ The Wild, The Innocent & The E Street Shffule」 。直訳じゃ使えないので、この臭い邦題はナイスかも。ボス作品中もっともチンピラ度数の高いストリート・ロックが炸裂。翌年のツアーを観たロック評論家ジョン・ランドーが「私はロックン・ロールの未来を観た。その名はブルース・スプリングスティーン」と絶賛した。




青春時代に
ブルースを
堪能しよう

Blues Experience=青い体験

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憂歌を巡る秋口の追憶~ブルースはカタチではなく、タマシイである。

2013年09月07日 00時16分04秒 | 素晴らしき変態音楽


女子高生ブルースロック・バンドDrop’sの「赤のブルース」、ZARD「君へのブルース」とネタが連続し、改めてブルース(憂歌)とはなにか?ということに思いを馳せている。最初のブルース体験は、中学卒業祝いで念願のエレキ・ギターを手に入れた時だった。教則本の1ページ目がブルース・スケールの練習で、その音さえ辿ればどんな曲でもそれらしいアドリブが弾けることを知った。小学校の通知表で「粘り強いが変に頑固」と評された性格ゆえ、ブルース・スケールを習得したところで教則本はお払い箱にして、あとは頑固に自己流で学ぶことにした。お手本にしたのがジョニー・ウィンターだったから必然的にブルースだった。覚えたてのブルース・スケールでたどたどしく弾いているうちに、パンク・ショックに感電し、テクニックは不必要、ギターソロは邪魔と決めつけ練習放棄。ひたすらカッコよくギターを構え、カッコよくジャンプをキメる練習に逆戻り。それ故いつまでたってもブルース・スケールから抜け出せず、ジミー・ペイジっぽい手癖フレーズ・オンリーの「ペンタ君」になってしまった。

ともあれ、ブルースとはペンタトニックでも12小節の3コード進行でもないことは明らかだ。ブルースとは形式(form)ではなく魂(Spirit)だということは灰野敬二のブルース・バンド、静寂を聴けば明らかである。実際”ブルース”とタイトルされる曲の多くに、形式の束縛に囚われない自由度が伺える。そんな緊縛レスのブルースナンバーを掘ってみた。




淡谷のり子「灰色のリズム&ブルース」



「ブルースの女王」といえば間違いなく淡谷さん。戦前から活躍するシャンソン歌手であり、発売禁止の女王であり、ゲルマニウム美容の先駆者でもある。著書に『生きること、それは愛すること:人生は琥珀色のブルース』とあるように波乱万丈の生き様をブルースに歌い続けた。
別れのブルース(1937年)、雨のブルース、想い出のブルース(1938年)、東京ブルース(1939年)、満州ブルース(1940年)、嘆きのブルース、君忘れじのブルース(1948年)、忘れられないブルース(1960年)、遠い日のブルース(1963年)など数多いブルース曲の中では、比較的新しい1971年、64歳のナンバーをディグ。後述するプログレブルースと同年なのは偶然だろうか。




キャプテン・ビーフハート&マジック・バンド「ダッハウ・ブルース」



淡谷のり子に対抗できるオーラを持つ”ブルース”シンガーといえば、牛心隊長ことキャプテン・ビーフハートしかいない。ハウリング・ウルフなどのブルースとサルヴァドール・ダリなどのシュールレアリズムの影響を併せ持つ乱調の美学の求道者が、1969年に世に問うた問題作『トラウト・マスク・レプリカ』の衝撃は、芸術のみならず、すべてのカルチャーに於いて同朋のフランク・ザッパ以上の影響力を及ぼしている。我が世の春と吠えまくる濁声こそ究極のブルース。




ピンク・フロイド「シーマスのブルース」



プログレッシヴ・ロックの道を切り拓いたピンク・フロイドの名前の由来は、ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルという二人のブルースマンにある。ブルースを愛したシド・バレットがドラッグ中毒で脱落したのちプログレ道の教祖となるが、依然としてサウンドのルーツにはブルースが流れていた。その証拠に他のプログレ・バンドに顕著なクラシックやジャズの要素がフロイドには希薄である。正面切ってブルースとは謳わないが、1971年の7thアルバム『おせっかい』収録の小品「Seamus」に「シーマスのブルース」と邦題をつけた担当者は彼らの本質を見抜いていたに違いない。フロイド自身、あからさまにブルースのルーツを見せたことに恥じ入ったのか、ライヴで演奏されたのは1回のみ、しかも犬をリード・ヴォーカルに起用し、タイトルも変更された。ハウンド・ドックが歌うブルースこそ世紀の憂歌である。




ゴング「ブルース・フォー・フィンドレイ」



プログレ偏屈王デヴィッド・アレン率いるゴングはでんぱ系ヒッピーの代表格。1971年バイク映画のために作られたサントラ盤が3rdアルバム『コンチネンタル・サーカス』。ティム・ブレイクやスティーヴ・ヒレッジ加入前の第1期ゴングによる長尺のブルース・セッションを収録。ブルースの形を借用してまったく異次元のスペース・ロックにトランスフォームするスタイルは、ラジオ・ノームの先駆けとして地球へ侵入したピクシー(異星人)ならでは。




戸川純「バージンブルース」



でんぱ系と通じる不思議ちゃんといえば戸川純。李香蘭とクレオパトラに憧れ女優を目指すうちに、日比谷公園で観たパンク・バンド8 1/2に痺れ渋谷のNYLON100%に通い詰め、気づいたら唄っていた。洗ってほしいお尻の気持ちを代弁したり、李香蘭の「蘇州夜曲」をテクノで歌ったり、家畜人ヤプーに化けたり、玉姫様の裏表を飾ったり、パンクスのオナペットを務めたり、さなぎに変態したり、サブカルアイドルとして一時代を築いた純ちゃんが♪ジンジンジンジン♪とロリ声で喚くブルースがこの曲。愛してるって言わなきゃ殺す執念の女の処女性の発露である。




MEG「スキャンティブルース」



ゼロ世代のファッション・アイコン、MEGの2002年のデビュー曲は岡村靖幸との共作によるブルース・ナンバー。けだるい歌とテクノ・ビートが後の中田ヤスタカとの出会いを示唆している。「スキャンティとは、スキャンダルを起こすような、あるいはおこさせないような精神的姦通、肉体的姦通を暗示するようなよろめきパンティである」という定義があるように、MEGちゃんの面妖&オサレなエロの萌芽がみられる。




遠藤ミチロウ「原発ブルース」



ブルースとはもともとアフリカから奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人たちの労働歌だったので、日常の出来事や感情を吐露するのが本筋。その意味ではプロテスト・ソングにブルース形式が多いことも頷ける。80年代ザ・スターリンでパンク革命に火を放ったミチロウが、還暦を迎えてひとりアコギで反骨心を歌うのも納得である。Project Fukushimaで配信リリースされたこの曲は、震災から丸3年たっても改善されない社会問題に切り込む元祖パンクスならではの反歌である。




ブルースに
カタチは無いぞ
ココロだぞ

ブルースなココロはBlue Hearts。
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アシッド・マザーズ・テンプル入門の手引き~AMTの夏フェス出演を実現させよう!

2013年09月05日 00時16分12秒 | 素晴らしき変態音楽


結成18年の歴史を持つ稀代のサイケデリック集団ACID MOTHERS TEMPLE(AMT)は、海外で絶大な支持を集め、毎年数カ月に及ぶ海外ツアーを敢行する。ホームページを参照すればわかる通り、様々な別名プロジェクトが存在し、それぞれ数多くのリリースがあるので、全貌はメンバー自身でも掴めないのではなかろうか?筆者の知り合いのイギリス人は、毎年AMTを観るために11カ月間働いて渡航費を貯め来日し、バックパックを背負って1ヵ月間日本各地を追いかけるほどのAMT信者である。



AMTの中核メンバー、河端一(g)、津山篤(b)、田畑満(b,g)、東洋之(syn)、志村浩二(ds)は無類のSNS好きでFacebookやTwitterでツアー中の写真を次々発信する。ルックスと衣装、アートワークやポスター、フライヤーなどAMTのイメージすべてがゲバゲバ&エロエロのサイケ感に彩られており、悪趣味且つお下劣の極み。悪ふざけの過ぎる関西弁MCと、延々と続くトリップ・セッションの果てにギター・クラッシュで終焉するステージは、プロジェクト名を問わずお約束になっている。GURU GURUのマニ・ノイマイヤーやGONGのデヴィッド・アレンなど、70’sロックの伝説が毎年のように来日する目的のひとつはAMTと共演することである。



正真正銘現代日本のロックの代表格でありながら、AMTを真正面からきちんと取り上げるメディアは日本には存在しない。海外で評価の高い地下芸術が国内で不当に低い評価を受けるのはAMTに限った話ではないので不思議ではないが、非常階段や灰野敬二やMERZBOWなどの情報が様々なネットメディアで広く拡散される現在、AMTという唯一神にももっと光が当たってもいい。メンバー自身がそういった評価を求めていない節もないわけではないが、膨大な情報量を含有した樹海の奥地の大寺院を目の前に、何処から足を踏み入れていいか途方に暮れる、筆者を含む多数の潜在的信者に門戸を開く努力は必要だと思う。

と書いたように、実は私自身、AMTの神髄を理解するに至っていないので、手始めに写真の羅列でAMT入門編とすることでお茶を濁したい。読者の理解を深めるために、2013年9月1日に43年の歴史に幕を閉じた東京タワー蝋人形館の写真をサブリミナルとして紛れ込ませてあるが、お判りになるだろうか?彼らは年内開設予定のロック博物館に住処を構えるとのことなのでご安心いただきたい。


(Live pix taken by fykfyk)

河端一はAMTの過激なアクションと大音量のサウンドについて、初めて雑誌やレコードでロックの写真を見た時に「ギターは爆音で暴れながら弾くもの」と誤解したことに原点がある、と語っている。筆者がギターを弾くのをジャンプの練習から始めたのとよく似たエピソードである。情報量の少ない時代だから可能だった幸福なる誤解にして「ロックは形から」という真理の正さを証明しているではないか。

●河端一超ロングインタビューはコチラ






酸母寺院(Acid Mothers Temple)
原子心母(Atom Heart Mother)
傾向賛美(In Praise of Learning)
電子夢幻(Zuckerzeit)
絶体絶命(Warrior on the Edge of Time)



★「AMT4SF」(Acid Mothers Temple for Summer Festival:アシッド・マザーズ・テンプルの夏フェス出演を実現させる会)会員募集中!(USO)
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割礼「ネイルフラン」LIVE@下北沢Shelter 2013.9.2(mon)

2013年09月04日 00時22分01秒 | 素晴らしき変態音楽


『HMV GET BACK SESSION 割礼「ネイルフラン」LIVE』

「HMV GET BACK SESSION」は、アーティストが自身のアルバム作品を収録曲順どおりに演奏する、LHE 主催のライブシリーズです。今回、よりコアな音楽ファンに愛される名盤に注目し、“HMV GET BACK SESSION independent”と題して、ロックの聖地「下北沢シェルター」にて開催いたします。
日本が誇るサイケデリックバンド「割礼」が、結成 30 周年を記念して今年 1 月に再発された歴史的名盤『ネイルフラン』と『ゆれつづける』を、9月公演と 10月公演に分けて再現いたします。ニューウェーヴの終わりの季節に制作されたこの2作は、前作からうって変わり早川岳晴によるチェロやウッドベース等の弦楽器によるドローンなアレンジなどをちりばめたプログレッシヴロック的な方向性で作られた名盤。当時の世のメインストリーム音楽の流れと全く無縁のオリジナルなスタンスは、「HMV GET BACK SESSION independent」に相応しい。



割礼 『ネイルフラン』(1989)
パンク/ニューウェーヴの喧騒に耳を塞いだかのような「間」と静寂とスロウビート、そしてアコースティックな響きも垣間見る美しいアルバム。
01. 溺れっぱなし
02. 悲しみの恋人たち
03. 目かくし
04. 太陽の真ん中のリフ
05. バラ色の宇宙
06. ネイルフラン
07. 君の写真



今年結成30周年を迎えた割礼は2月にBorisと下山(Gezan)を迎え、リイシュー盤発売記念を兼ねて特別ライヴを開催した。充実のラインナップだったが、対バン・イベントなので割礼ワールドにどっぷり溺ることは叶わなかった。その欲求不満を一気に解消するライヴ企画が実現、しかも2晩。数年前の5時間ライヴに匹敵する歓びである。80年代後半のインディーズ~バンドブームに沸いた音楽業界の青田買いが嵩じてメジャー・リリースされた割礼の2作は、縦ノリビートパンクか根明バカロックばかりだった当時のシーンでは極めて異色の存在だった。かと言って、アングラの湿った澱みに安穏としていた訳でもない。


(写真・動画の撮影・掲載については出演者の許可を得ています。以下同)

割礼は原爆オナニーズ、THE STAR CLUBなどパンク全盛の名古屋で1983年「割礼ペニスケース日曜日の青年達」として結成された。初期はパンク/ニューウェイヴ色のあるサウンドだったが、徐々にテンポが遅くなり、宍戸幸司のディープな”うた”を活かすサイケデリックなサウンドに移行。2nd『LIVE’88』(1988)で現在の割礼の原型が完成した。その頃、確かビクターからS.O.S.シリーズと銘打って、インディー・バンドのコンピCDが数作リリースされた覚えがある。ニューエスト・モデル、幻覚マイム、マネキン・ノイローゼ等と共に割礼も収録されていた筈。



恐らくそこで割礼の評判が良かったのだろう、ビクターからリリースされたのが『ネイルフラン』『ゆれつづける』の2作。流石メジャーだけありサウンド・プロダクションは遥かに向上、極めて完成度の高い作品を産み出した。早川岳晴のチェロを加え展開する幽玄で芳醇な世界は日本サイケデリアの最高峰といえる。割礼にとっての『リヴォルヴァー』と『サージェント・ペパーズ』と例えてもいい。しかし極度に個性的なサウンドは、たとえバンドブーム期ではなくとも、常にシーンの流行やトレンドから逸脱している。余りにも異端の存在感は、ごく一部のファン以外には評価されようがない。30周年やリイシューの話題で「日本が誇る」「伝説の」「歴史的名盤」などの煽り文句がネット上を飛び交うにも関わらず、現場は今までと変わらずひっそりとしたまま、献身的なマニアだけが共有出来る甘く隠微な空気に包まれている。



2001年に初めて観た時から宍戸幸司(vo,g)、山際英樹(g)、鎌田ひろゆき(b)、松橋道伸(ds)というラインナップは不変である。過去に何度もメンバーチェンジや活動停止・再開を経験した30年選手としては、コンスタントに活動するこの13年間は安定期と呼べる。その間リリースしたアルバム3枚に加え、宍戸ソロを含む新録CDR3作、初期音源CDRは物販・通販で購入可能。地方ツアーは余りやらないが、都内では年間10本以上のライヴを行ない、メンバーのソロや別プロジェクトなど課外活動も盛んである。東京に住んでいれば毎月一回は割礼浴をすることが可能。



開演前のSEのブリジット・フォンテーヌはメンバーの趣味だろう。ミニマルな室内楽のBGMで4人が登場。特に挨拶もなく、時間をかけて楽器のセッティングをした後、おもむろに立ち上がった宍戸が一呼吸おいてクリアトーンのストロークを奏でる。割礼の典礼の始まりだ。一曲目「溺れっぱなし」のタイトルそのままに、シェルターがサウンドの波の中に溺れてゆく。深いリバーヴは、例えば人間存在の深層に忍び込む灰野敬二のそれとは違い、会場の隅々まで割礼の世界を浸透させる溶液の作用を持つ。何も考えずただその潮騒に身を任せ漂っていればよい。溺れてゆれつづけることが、割礼のサイケデリック・ワールドの開眼法なのである。



日常的にこの陶酔感を求めるようになったら危険だが、12年聴き続けても今のところジャンキーになることなく、年数回深く潜水することで満足している。海女ちゃんの本気獲りが年一回しかないことに比べれば、若干中毒気味かも。南部ダイバーよろしく精神潜水遊戯に耽溺した2時間の至福体験だった。10月に再び南部もぐりさながらに、割礼で溺死することができれば極楽浄土である。



encore01
08.ベッド
09.アラシ
10.風船ガムのドジ

encore02
11.GPU

割礼の
魅力は観なきゃ
分からない

<ライヴ情報>
●割礼
10/6(日)東高円寺UFO CLUB 「U.F.O.CLUB presents 石原洋・割礼 2マン」
石原洋 with Friends(石原洋+見汐麻衣+北田智裕+山本達久)/割礼

10/29(火)下北沢Shelter 『HMV GET BACK SESSION 割礼「ゆれつづける」LIVE』

●鎌田ひろゆき
ハーネス1周年記念ライブ
9/8(日)阿佐ケ谷 harness 鎌田ひろゆき with さねよしいさ子/古明地洋哉
9/15(日)阿佐ケ谷 harness 鎌田ひろゆき/小山卓治
9/28(土)阿佐ケ谷 harness 鎌田ひろゆき/塚本晃(NOWHERE)

●血と雫 Je prie pour que la goutte ne tombe pas:森川誠一郎(Z.O.A)+山際英樹(割礼)+高橋幾郎
9/6(金)池袋 手刀 「the night of tempest」 血と雫/アネモネ/highfashionparalyze/加納キカイ

9/21(土)新宿 JAM 「CLUB WALPURGIS presents "Doppelganger"~闇の中のドッペルゲンゲル第二夜~」
LIVE:血と雫 / MADAME EDWARDA/MIDNIGHT BUTOH:TAIZO/DJ:Zinny Aerodinamica/TAIZO/NERO&More/GUEST DJ:EVE EVANGEL
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静岡ノイズ&サイケ東京公演~庭/UP-TIGHT/裏窓@新宿URGA 2013.9.1(sun)

2013年09月03日 01時18分43秒 | 素晴らしき変態音楽


FLAG OF NOTHINGNESS 84

UP-TIGHT/庭/KnowMeZ/裏窓/69distortion



変態音楽の辺境、静岡の2バンドの対バンツアー東京編。ヘイトスピーチのメッカ新大久保にほど近いURGAに行くのは5年前のBastard Noise来日以来なので、道を間違えてホテル街に迷い込み、浮き世の春を楽しむ男女を目の当たりにした。会場に着くと既に2バンドが終了し、丁度庭がセッティングしていた。物販でUP-TIGHTのアナログLPを購入。青木智幸に尋ねて、1枚しか残っていない別のLPも購入。いずれもヨーロッパ盤の限定リリースなので買える時に買っておかないとあとで涙を飲むことになる。

●庭

(写真・動画の撮影・掲載については出演者の許可を得ています。以下同)

今回のUP-TIGHTとのスプリットCDと数枚のCD-Rで音は聴いていた静岡ノイズの急先鋒の庭のライヴ初体験。編成はKohoki.M(Electronics,Voice)、EfujiEi(Guitar),Pujart(Analog Synth)の3人。ルックスを含めた佇まいが奮っている。センターのKohokiは床に機材を置いて、その上にかがみ込んだままのたうつようにノイズを鳴らす。Efujiは耳栓代わり(?)のヘッドフォンを付けたままギターを構えるが、弦は一切弾かず、エフェクター操作のみでフィードバック音を奏でる。[9/3追記:本人の弁明によれば、ヘッドフォンは耳栓ではなくモニターとして爆音で鳴らしていたとのこと。ただでさえモニター・スピーカーの爆音が渦巻くステージで、何故わざわざヘッドフォンで聴く必要があるのか、理解不能な奇行である。実はモニターではなく、爆音で演歌やアニソンを聴いていた可能性も捨て切れない。静岡の闇は深い。]あまちゃんの潜水土木課高校教師、磯野"ISSO"心平(皆川猿時)を思わせるルックスのPujartは途中で演奏を辞め無表情に立ち尽くす。発するサウンドは無慈悲なノイズとしか呼べないもの。大抵のノイズ演奏は、起承転結はなくても多少のエントロピーやクライマックスやカタルシスを伴い、無機的なサウンドに演奏者の感情が籠っているものだ。Incapacitantsのプロレス的パフォーマンスをはじめ、MERZBOWや非常階段もそうである。しかし、庭のノイズには流れも盛り上がりもない。感情表現は極力抑えられている。あるとすれば、カフカ『変身』のグレーゴル・ザムザの如く毒虫と化したKohokiの地に這い反吐のように雑音を垂れ流す暗い狂気だけ。演奏というより「場」の創造。田中泯の場踊りは「場所で踊るのではなく、場所を踊る」をテーマに自らの肉体を場の一部と化す身体表現だが、庭の演奏は「場ノイズ」とでも呼ぼうか、どこで演奏しようと場全体をノイズと化す「現象」としての演奏体。意図的なものではなく、庭を名乗った時点で全てをノイズ化せざるを得ないという自然の摂理に基づく。「ノイズは音ではなく存在である」という思い込み(誤解)が静岡という独立文化圏で育まれ、庭という希有な現象を産み出した。畸形であるが故に、あまたあるノイズ/実験音楽/非音楽学派の中でも一際目立つ珍獣である。UP-TIGHTの青木の話では「今日の庭の音はキレイ過ぎた。普通は余りの大音量に演奏後話が出来ない」、とのこと。




●裏窓


バンド名でググっても音楽関係で引っかかるのは浅川マキとゴールデン街のバーだけ。初見のバンド裏窓は、ロングヘアー男女がフロントの一癖ありそうなルックス。ギターのYOJI KUBOTAが80年代末に結成しメンバーチェンジを繰り返しながら、現在はトリオ編成。20年以上の経歴を持つだけに、ヘヴィーロック/メタル/サイケデリック/ハードコア/プログレ/スラッシュと引き出しの多い演奏。ジミヘンを思わせるギタープレイは強烈に上手い。ドラマーのパワフルな叩きっぷりも爽快。ノーチェックだったのが悔やまれるコアなロックバンドとの出会いは天の祝福だった。




UP-TIGHT


静岡(浜松)の至宝、青木智幸率いるUP-TIGHTがトリ。以前も書いた通り、2000年代初頭の伝説のフィードバック・ブームで注目されたご当地ラリーズの一翼を担ったUP-TIGHTは、同期のバンドが次々解体・変質する中で、唯我独尊自らのスタイルを追求し続けた希有なバンドである。黒装束にサングラスにタバコというロック美学に頑固なまでに拘る青木は日本地下音楽が産んだロック・アイコンである。庭同様に地元に軸足を置く実直な活動は、日本国内よりも海外で高い評価を誇り、欧米のレーベルから多くの音源がリリースされている。ラリーズ、不失者、ヴェルヴェッツ、シド・バレット、アモン・デュール等異形ロックを現代に継承する担い手として、或は青木のナルシスティックなパフォーマンスによりロックの初期衝動を体現する究極のロケンローラーとして、日本随一の存在だといえる。20分に亘るラストナンバーでは、暴力的なファズギターに不確定パルスビートを絡めるリズム・セクションがカオス空間を創出、地獄のマインドトリップへいざなった。




静岡の
謎が深まる
新宿の夜

TOKYOーSHIZUOKAーNAGOYAーOSAKA
ンポ、ンポ、ンポッミュージッ!
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残酷な少年のテーゼ~牛田智大、ホールデン・コールフィールド、ジルベール・コクトー、そして谷口宗一

2013年09月01日 01時27分06秒 | こんな音楽も聴くんです


昨年3月12歳でCDデビューし、史上最年少ピアニストとして話題になった牛田智大君がNHK「朝イチ」に出演し、"美しすぎてヤヴァい"と驚愕とともに大きな話題になっている。今年6月にセカンド・アルバム『献呈~リスト&ショパン名曲集』、8月には初のDVD『献呈~牛田智大ピアノ名曲集』がリリースされたばかり。そのプロモーションの一環だが、『あまちゃん』効果で視聴率急上昇の『朝イチ』に出たことで、まったく無防備の一般視聴者に大きなショックを与える効果があった。

視聴者の声:
ーNHK朝イチで13歳のピアニスト、牛田智大くん。女の子のような可愛らしい容貌、まだ声変わりしてない黄色い声、アイドルばりの作り笑顔で、で、話すと、内容も話し方も大人びてて。世の中には、こんな無菌室で純粋培養されたような少年が存在するんだな、と驚愕。これからの成長、要チェックだな。
ー牛田智大くん、画像検索の時点で雰囲気がなんかこれヤバいな、昔の少女マンガに出てくる美少年みたいな感じで、二次元感すごいし、とはいっても単純にカワイイとか綺麗ーとか言えない感じあるな なんだこれ

単に美少年というだけでなく、日経新聞を愛読し、驚くほど丁寧なことばづかいで話し、そして漬け物とみそ汁が大好きだという、13歳とは思えないキャラクターに誰もが驚愕したわけだ。好きなアイドルとして、作家重松清の名前を挙げ、AKB48については「知らない」と言う世俗にまみれていないイノセントな魅力は、天野アキの天真爛漫さと同様、現代社会に於いて限りなく貴重な果実である。



勿論「ショパン国際ピアノコンクール in Asia」において、史上初となる5年間続けての1位受賞記録を持つピアノ演奏の素晴らしさは世界的に有名な音楽家からも絶賛を浴びる。

ー彼は才能豊かでピアノの技術は高度です。さらに美しいタッチで演奏します。(ラン・ラン)
ーあなたの演奏に多くの可能性と才能を感じることができました。素晴らしい点はそれぞれの音にしっかりとした意思と主張があること、そして多様な色彩感にも溢れていることです。技術面においても申し分なく、情感豊かに旋律を歌っていた点が優れていると感じました。(アンジェイ・ヤシンスキ/第14-16回ショパン国際コンクール審査委員長)

それにしてもデビュー時と現在のポートレイトを見比べると、少年の1年間の成長ぶりに恐ろしい程の戦慄を覚える。少年期とは一生で最も残酷な季節である、とはジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』を読んでの筆者の感想だが、牛田君はそれを体現する"アンファン・テリブル(Les Enfants Terribles)"に違いない。




●ホールデン・コールフィールド


"牛田"を英訳すれば「Cow Field(カウフィールド)」。連想すべきは「コールフィールド」、すなわち3年前に逝去したJ・D・サリンジャーの代表作『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』の主人公、ホールデン・コールフィールド(Holden Caulfield)である。1952年の初邦訳版は『危険な年齢』と題されたこの小説でコールフィールドは16歳の高校生として描かれる。高校をドロップアウトして放浪し、攻撃的な言動を繰り返し、アルコールやタバコを乱用する生き様は、一見牛田君の純粋さと対極にあるように思えるが、自身の落ちこぼれ意識や疎外感に苛まれる少年らしい潔癖さやデリケートな感性は、間違いなく残酷な季節を生きる恐るべき子供の肖像である。思春期特有の断罪意識ゆえ精神に支離滅裂な破綻を生じたコールフィールドがもし音楽を奏でたら、慈愛に満ちたフレーズが流れ出したかもしれない。






●ジルベール・コクトー


色白で長髪の自意識過剰な美(非)少年だった高校時代の筆者に同級の女子が付けたニックネームは「ジルベール」。当時人気を博した少女漫画『風と木の詩』(竹宮恵子作)の主人公のひとり、ジルベール・コクトーに由来する。フランスの上流階級の2人の主人公、華麗なジルベールと誠実なセルジュの切ない愛を描いたこの作品は、「少年愛」のテーマを本格的に扱った漫画作品であり、少年同士の性交渉、レイプ、父と息子の近親相姦といった過激な描写でセンセーショナルな衝撃を読者に与えた。現在のレディコミックならば保守的過ぎる描写だが、当時は「ベッドで男女の足が絡まっているのを描いただけで作者が警察に呼び出された」(竹宮恵子)という時代であり、如何にスキャンダラスな挑戦だったか想像して欲しい。中でも少女のように美しい妖艶な14歳の少年で、多くの男達と破滅的な関係を持つジルベールこそは、禁断の愛の象徴であり、時代の改革の急先鋒だった。現在でも数多くのオマージュ作品やコスプレの対象になっている。






牛田智大君とホールデン・コールフィールドとジルベール・コクトー。この三者はすなわち「最も残酷な季節」を形作るトライアングルの三つの辺に他ならない。そして季節は巡る。小説や漫画の登場人物とは違い、牛田君には成長という更なる残虐の掟が待ち受けている。彼が人生の荒波を如何に生き抜くか、芸術的感性の成長と共に温かくも守りたいと思う。

いつまでも
子供のままじゃ
いられない

●谷口宗一&BAKU


永遠の少年であることを追求したものの、成長と共に永遠い夢を食べ続けることを断念せざるを得なかった谷口宗一率いるBAKUも残酷な季節の徒花だった。




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