午前6時を少し回っております。
ただいまの気温は零度だ。
きょうは曇りのお天気で日中の最高気温プラス6度の予想だ。
とりあえず暖冬のようですが…
さて、
おぢと同世代の皆さんは記憶にあるでしょうが、1968年から69年にかけて日大は学生運動のきっかけになった。
そんときおぢはまだ高校生。
当時の日大の使途不明金は20億円超、定員の3倍という水増し入学、右翼学生がばっこする異常事態だったとウキペディアなどにある。
使途不明金はヤミ給与にも使われたという。
そんなことで68年5月23日に学生約2000人によるデモが行われ、25日には5000人に膨れ上がり、日本大学全学共闘会議ができる。
いわゆる「日大全共闘」だ。
議長に秋田明大がなって、全学バリケードストライキに突入。
この事態を迎え大学側は学生との団体交渉に応じる。
大衆団交と呼ばれました。
この大衆団交では、両国講堂に3万5000人の学生が集まり、大学側は全理事が出席して翌日午前3時まで12時間続いた。
これに大学側は全面的に屈服、経理の全面公開や検閲制度の廃止、全理事の退陣などを全共闘は獲得した。
もっともその後、当時の佐藤栄作総理が「この大衆団交は暴力集団の集まりであり許せない」との発言を受けて大学側は確認書を白紙撤回し全理事もそのまま居座ったそうだ。
佐藤栄作は安倍晋三の大叔父だ。
日大闘争は学生側の敗北に終わる。
そんなこんなで、こうした動きはまたたく間にニッポン中の大学に広がり、おぢのいた高校さえ無縁ではなかった。
当時は学生の怒りが全国に広がったけど、コロナ禍のいまは学生の集会もおぼつかない。
またぞろ出てきた日大の不祥事ですが、いまの学生は沈黙を続けるんだろか?
若いってことは「バカ」ってことだと思ってたけど、いまどきの若者はもっと賢いのかしらん。
あの学生運動では、死者も出たし、その後の運命が大きく変わった人も大勢いた。
なんだったんだろねぇ、、、あの時代…
そしてまたまた繰り返される日大の不祥事、どう決着するんでしょう。
学生はネットでこそこそグチってる場合でもないと思うけど…
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