浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

差別

2018-08-10 09:06:17 | 社会
 差別構造がなくなっても、差別はなくならない。構造が差別意識を生み出すのだが、構造がなくなっても差別意識はなかなかなくならない。意識の問題はあんがい厄介なのだ。

 最近、様々なかたちで差別の問題が明らかになった。東京医大は、その構造の中に女性差別を位置づけていた。

 差別を公然と語っている女性国会議員が、さらに差別を雑誌に書き、みずからの差別意識を公然化させた。そういう差別を助長するような文を載せたというだけで、その雑誌はアウトである。差別を助長するのに一役買ったということである。

 国会議員は、「公」である。「公」が差別を公然と話し、書く。差別を是としていないなら、その輩が属している政党や政党幹部は、それを全面的に否定しなければならない。差別が悪であることを、明確にすべきなのだ。

 しかしその政党もその総裁(首相)も、差別に対して怒らない、否定しない。差別を悪とする意志はない、ということだ。

 かくて、わが日本社会は、差別は悪ではなく、差別することを公権力が認めているということになる。かくて、差別主義者達は、差別意識を公然化する。「公」が認めているから、彼らはみずからに正当性を感じていることだろう。

 そういう差別主義者達が、わが日本を牛耳っている。

 森友問題も、加計問題も、差別である。安倍政権と同じような右翼的な思想を持つ者に、国家権力が大幅に国有地を値引きしてあげる、京都産業大学を蹴散らして加計学園に獣医学部をつくらせる、差別することがいけないことであるという意識を全く持たない者たちが政治を行っている。

 かくて、日本社会は差別意識をより強化していくことだろう。あらゆる面で、日本は時代に逆行していく。日本国民が、それをよしとしているのだから始末が悪い。

安倍首相はやっぱり杉田水脈議員のLGBT差別を容認している! 会合で同席して「なんでみんな騒いでるの」

 差別を認めている日本。
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