良い本である、ということをまず記しておかなければならない。
副題は、「「空気」が支配する国から、「気配」で自爆する国へ」とある。山本七平が『空気の研究』だったか、日本のとらえどころのないある種の社会的雰囲気について論じたのは、ずっと前だ。日本は、これといった主義主張ではなく、空気というものが支配していて、社会全体がそれに流されていく。そういう趣旨だったように思う。
私は、同じような内容を、山本の「空気」ではなく、「時流」として表現している。一定の「時流」ができあがるとそれが良かろうと悪かろうと、ほとんどの人がそれに呑み込まれて社会が動いていく。
しかし今は、忖度というか気配というか、「時流」ができる前に、支配権力に連なる者たちが「気配」を感じて動いていく。武田は、そうした動きの果てに「自爆」があると言いたいようだ。
読んでいて参考になる箇所はたくさんあるが、実を言うと、その参考になるはずの箇所が、私の脳髄に入ってこないのだ。私の脳髄と武田の文体が切り結ばないのだ。いつもは朱を入れて読んでいくのだが、そうした箇所がほとんどない。おそらく武田の文は、論理的ではないのだろうと思う。重要な情報はあるのだが、その情報が表面だけに流れている、ぐいっと深みにもっていかないのである。立体的な文ではないということなのだろうか。
社会に起きている問題とすべきことの、その表層を批評していくという文といえばよいだろうか。問題は、社会の構造などとつなげていくことが大切ではないかと思う。
何度も書くが、良い本であり、よい情報もたくさんある。ただ私とはあわない、ということだ。
副題は、「「空気」が支配する国から、「気配」で自爆する国へ」とある。山本七平が『空気の研究』だったか、日本のとらえどころのないある種の社会的雰囲気について論じたのは、ずっと前だ。日本は、これといった主義主張ではなく、空気というものが支配していて、社会全体がそれに流されていく。そういう趣旨だったように思う。
私は、同じような内容を、山本の「空気」ではなく、「時流」として表現している。一定の「時流」ができあがるとそれが良かろうと悪かろうと、ほとんどの人がそれに呑み込まれて社会が動いていく。
しかし今は、忖度というか気配というか、「時流」ができる前に、支配権力に連なる者たちが「気配」を感じて動いていく。武田は、そうした動きの果てに「自爆」があると言いたいようだ。
読んでいて参考になる箇所はたくさんあるが、実を言うと、その参考になるはずの箇所が、私の脳髄に入ってこないのだ。私の脳髄と武田の文体が切り結ばないのだ。いつもは朱を入れて読んでいくのだが、そうした箇所がほとんどない。おそらく武田の文は、論理的ではないのだろうと思う。重要な情報はあるのだが、その情報が表面だけに流れている、ぐいっと深みにもっていかないのである。立体的な文ではないということなのだろうか。
社会に起きている問題とすべきことの、その表層を批評していくという文といえばよいだろうか。問題は、社会の構造などとつなげていくことが大切ではないかと思う。
何度も書くが、良い本であり、よい情報もたくさんある。ただ私とはあわない、ということだ。