学生時代の友人逝去の報が寄せられた。K君。3年前、スキルス性の胃がんだということで、千葉県までお見舞いに行った。それからしばらくして、仕事に復帰したという報せを受けた。胃がんを克服したと思っていた。
大学を卒業してから一度も会っていなかったが、お見舞いに行ってから年賀状のやりとりをしていた。しかしそれも二度で終わりになった。
K君は弁護士を目指し、司法試験の勉強をしていたが、中途であきらめ中小企業の団体に勤めていた。その方面では大いに活躍していた。
良き人であった。
私の知る良き人が亡くなっていく。現実の政治や社会の矛盾に対して、ノンを突きつけていた人が消えていく。寂しさが重なる。
人間にとって、死はいつかは訪れるものではあるが、いつであるかは不明である。死がみずからの命を奪うまで、生き続ける。
人間は、主体的に生きているのか、それとも生かされているのか、ふと疑問に思う。I was born.やはり人間の生は、受け身なのか。
大学を卒業してから一度も会っていなかったが、お見舞いに行ってから年賀状のやりとりをしていた。しかしそれも二度で終わりになった。
K君は弁護士を目指し、司法試験の勉強をしていたが、中途であきらめ中小企業の団体に勤めていた。その方面では大いに活躍していた。
良き人であった。
私の知る良き人が亡くなっていく。現実の政治や社会の矛盾に対して、ノンを突きつけていた人が消えていく。寂しさが重なる。
人間にとって、死はいつかは訪れるものではあるが、いつであるかは不明である。死がみずからの命を奪うまで、生き続ける。
人間は、主体的に生きているのか、それとも生かされているのか、ふと疑問に思う。I was born.やはり人間の生は、受け身なのか。