浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

名古屋

2018-09-08 21:35:35 | その他
 「名古屋、また「行きたくない街」トップに 市長は危機感」という記事が、朝日新聞デジタルにあった。

 名古屋と東京23区、札幌、横浜、京都、大阪、神戸、福岡の各都市を比較するもので、「「最も魅力に欠ける都市」に選んだのは31・9%(同30・1%)で最も多く、2番目に多い福岡(15・7%)の倍」、「「体験したい名古屋観光」(複数回答可)では、「名古屋城」の33・1%(同38・6%)がトップだったが、次いで多かったのが「特にない・思いつかない」の28・1%(同22・1%)」。

 確かに、観光では名古屋には行かない。私が名古屋に行くときは、愛知県立美術館、徳川美術館などで行われる美術展、あるいはコンサート、そして毎年9月の橘宗一墓前祭(今年は9月16日)くらいだ。名古屋での観光なんて考えたことはない。そういえば、徳川家康の関係で寺(寺の名は忘れた)に行ったことがあったか。

 要するに、名古屋はそういうところなのだ。今から観光がどうのといっても、それは無理だ。イベントを企画するしかないだろう。

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田中一村

2018-09-08 20:47:35 | その他
 今日は滋賀県守山市にある佐川美術館に行った。田中一村の展覧会があったからだ。

 もう10数年前になるか、菊川にある常葉美術館で田中一村展があった。まだそんなに知られていない画家であった。亡くなってから評価されるようになった画家。晩年は奄美大島に居住し、亜熱帯の植物や鳥などを独特の筆致で描いた作品で名高い。

 確かに、晩年の作品は、一村独自の画風を確立し、ああこれは一村の絵だと云えるような境地に至っている。そういえば常葉美術館で展示されていたものは、晩年の作品がほとんどだったような気がする。

 佐川美術館では、子どもの頃の絵からずっと晩年まで(といっても、晩年の一村の絵!というものはほとんどなかった。そのかわり数点の複製が展示されていた)の絵が展示されていた。

 子どもの頃に描いた作品は、子どもの描いた絵とはまったく思えない(今でも、本当だろうかと疑っている)もので、すでに熟練が見えた。天才だと思った。

 幼い頃からの絵を見ていて、一村は言うまでもなく、自信をもっていた。だからこそ、様々な画題に挑戦した。一連の絵を見ていて、晩年の画風につながるようなものが早い内に描かれていたと思った。

 しかし彼の絵は、画壇になかなか認められなかった。だから彼は画壇を見限って、自分自身の絵をさがして絵を描き続けた(孤高)。確かにそれらの絵は、これは一村だ!という特徴のあるものは少ない。とはいえ、もちろんそれぞれの絵は才能溢れる魅力的なものが多く、それぞれの絵の前で立ち止まらざるを得なかった。

 子どもの頃の絵、若い頃のものは見たことがなかったので、図録を買おうと思ったがそれはつくらなかったようだ。市販の画集が売られていた。また絵はがきは1枚150円。今までは100円だったのに・・・・これも買わず。

 田中一村、画家としての自信をもち(当然だが)、だからこそ様々に挑戦をくり返し、しかし中央の画壇にも認められず、自らの絵をめざし孤高に生きた。

 


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