今日、『週刊金曜日』9月21日号が届いた。コラム「風速計」には、発行人北村肇氏の文、発行人をやめる、『週刊金曜日』を去るとのこと。
また編集後記としての「金曜日から」でも、退職するという記事があった。そういえば、最近の「金曜日から」には、「このほど退職します」と書いてあった文が続いていた。いったい何人が去っていったのだろうか。
おそらく『週刊金曜日』を購読する人が減っているのだろう。それも大幅に。
書店に行けば、ネトウヨ的な雑誌が積まれている。こんなにも積まれているということは、よく売れるということなのだろう。『新潮45』が、ネトウヨの杉田某に書かせ、さらにその記事に問題がないかのような居直りをしているのは、よく売れるネトウヨ雑誌へと変えようとしているのだと推測される。
品性の下劣な雑誌が売れて、真面目に政治や社会のことを報じる雑誌の購読者が減っていく。それが日本の現状なのだろう。経済的に貧しくなっているだけではなく、知性も品性も貧しくなっている、それを出版業界が後押しするという驚くべき時代に、日本は入りこんでいるのだ。
しかしそういうネトウヨ雑誌を読む人々だけではなく、その反対側にいる人たちも知性を衰退させているように思う。いろいろな政治的、社会的問題が起こったときに、どう考えたらよいのかを、自らが主体的に学び考え
る習慣がなくなっている。人に尋ねることはするが、みずから本を読んだりはしない。依存体質なのだ。
だから『週刊金曜日』も、部数が伸びないのだ。
私にとっては、『週刊金曜日』は読み捨てにする雑誌である。いろいろな雑誌を読んでいるが、保存しておこうという気持ちをもたないのが、『週刊金曜日』である。『現代思想』、『Journalism』、『世界』は捨てない。時々購入する『法学セミナー』や『法律時報』も捨てない。『週刊金曜日』だけは、読んだら捨てていく。
この違いは何か、といえば、『週刊金曜日』が資料的価値を持たないからだ。掲載されている論考も中途半端な内容のものが多い。週刊誌という特徴から、長文の原稿を避けているのだろうが、心にしみ込むような内容のものがほとんどない。
『週刊金曜日』発刊の時に編集長だった和多田進さんに依頼されて、本多勝一や筑紫哲也両氏の講演会を開催したことがあった。もちろんその後も長い間『週刊金曜日』を購読していたが、購読をやめた時期がある。その理由は、掲載されている記事の内容が浅い(報じることに力点がおかれ、考える材料を提供するということが疎かになっている)、資料的価値がない、ということだった。
今購読している理由は、そうした傾向がなくなったからではなく、時に知らなかった事件が報じられるからだ。今週号で言えば、たとえば城西大学の内紛。
編集委員となっている方々は、もっと書くべきではないか。毎号、本多勝一氏と石坂啓氏、佐高信氏が書いているが、石坂、本多両氏の文は全く読まない。
メールでもいいから、読者に意見を求めたらどうかと思う。購読者数が減ったことなど、編集部内での危機を、読者を含めた危機にしないところに問題があるのではないか。
また編集後記としての「金曜日から」でも、退職するという記事があった。そういえば、最近の「金曜日から」には、「このほど退職します」と書いてあった文が続いていた。いったい何人が去っていったのだろうか。
おそらく『週刊金曜日』を購読する人が減っているのだろう。それも大幅に。
書店に行けば、ネトウヨ的な雑誌が積まれている。こんなにも積まれているということは、よく売れるということなのだろう。『新潮45』が、ネトウヨの杉田某に書かせ、さらにその記事に問題がないかのような居直りをしているのは、よく売れるネトウヨ雑誌へと変えようとしているのだと推測される。
品性の下劣な雑誌が売れて、真面目に政治や社会のことを報じる雑誌の購読者が減っていく。それが日本の現状なのだろう。経済的に貧しくなっているだけではなく、知性も品性も貧しくなっている、それを出版業界が後押しするという驚くべき時代に、日本は入りこんでいるのだ。
しかしそういうネトウヨ雑誌を読む人々だけではなく、その反対側にいる人たちも知性を衰退させているように思う。いろいろな政治的、社会的問題が起こったときに、どう考えたらよいのかを、自らが主体的に学び考え
る習慣がなくなっている。人に尋ねることはするが、みずから本を読んだりはしない。依存体質なのだ。
だから『週刊金曜日』も、部数が伸びないのだ。
私にとっては、『週刊金曜日』は読み捨てにする雑誌である。いろいろな雑誌を読んでいるが、保存しておこうという気持ちをもたないのが、『週刊金曜日』である。『現代思想』、『Journalism』、『世界』は捨てない。時々購入する『法学セミナー』や『法律時報』も捨てない。『週刊金曜日』だけは、読んだら捨てていく。
この違いは何か、といえば、『週刊金曜日』が資料的価値を持たないからだ。掲載されている論考も中途半端な内容のものが多い。週刊誌という特徴から、長文の原稿を避けているのだろうが、心にしみ込むような内容のものがほとんどない。
『週刊金曜日』発刊の時に編集長だった和多田進さんに依頼されて、本多勝一や筑紫哲也両氏の講演会を開催したことがあった。もちろんその後も長い間『週刊金曜日』を購読していたが、購読をやめた時期がある。その理由は、掲載されている記事の内容が浅い(報じることに力点がおかれ、考える材料を提供するということが疎かになっている)、資料的価値がない、ということだった。
今購読している理由は、そうした傾向がなくなったからではなく、時に知らなかった事件が報じられるからだ。今週号で言えば、たとえば城西大学の内紛。
編集委員となっている方々は、もっと書くべきではないか。毎号、本多勝一氏と石坂啓氏、佐高信氏が書いているが、石坂、本多両氏の文は全く読まない。
メールでもいいから、読者に意見を求めたらどうかと思う。購読者数が減ったことなど、編集部内での危機を、読者を含めた危機にしないところに問題があるのではないか。
ほんとにテレビなんか見ないで正解だと思っているのだが、時々権力に従順な輩に対して、鋭く抗議する方々もいるんだ。
八代弁護士と千原せいじが消費税で「たかだか2%」と暴論はき総スカン! 遙洋子は八代に「権力に従順な男やのぉ」
八代弁護士と千原せいじが消費税で「たかだか2%」と暴論はき総スカン! 遙洋子は八代に「権力に従順な男やのぉ」
アベ応援団の一人である小川栄太郎なる人物が書いた文は、一般の出版物に載せるべきではない。人権意識は微塵もなく、杉田を擁護するために万人が認めないようなことを平気で並べている。
新潮社に、こういうものを特集し、載せる輩がいるんだ。ずっと購読していた『芸術新潮』、近年、特集の内容が変化してきたので購読をやめたのだが、わたしはそこにも販売部数を増やしたいという意思を感じていた。ひょっとして、販売部数を増やせという命令があるのかもしれない。
出版社が、本が売れなくなっているので、どこでも低劣な本を出すようになっているような気がする。あの岩波書店でも、である。栗原康の本なんか、低劣極まりない。
新潮社公式アカウントが「新潮45」批判を怒涛のリツイート 「中の人がんばって」の声援寄せられる
新潮社に、こういうものを特集し、載せる輩がいるんだ。ずっと購読していた『芸術新潮』、近年、特集の内容が変化してきたので購読をやめたのだが、わたしはそこにも販売部数を増やしたいという意思を感じていた。ひょっとして、販売部数を増やせという命令があるのかもしれない。
出版社が、本が売れなくなっているので、どこでも低劣な本を出すようになっているような気がする。あの岩波書店でも、である。栗原康の本なんか、低劣極まりない。
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