今日は久しぶりの晴天。とても湿度が高い。そのなか、名古屋に行った。名古屋の気候は決して優しくはない。夏はとりわけ暑い。
今日は、1923年9月16日に大杉栄、伊藤野枝とともに権力に虐殺された橘宗一の墓前祭である。
新幹線で名古屋へ。名古屋から地下鉄東山線で覚王山日泰寺駅へ。名古屋から栄までは、東京の国電(今はJRか)並の混雑である。
下車してから日泰寺までの間にあるコンビニでサンドウィッチなどを購入。日泰寺の門付近の木陰で食事。その後ここからマイクロバスで墓に向かう。日泰寺の墓域はとても広くて、歩いてなんか行けないのだ。
1時前に開始。坊さんの読経するなか献花。
その後、名古屋市栄のYWCAホールで講演会。飛矢崎雅也氏の講演である。大杉の思想を語る。大杉の思想を捉えることはなかなか難しい。どういう切り口から迫るか、その問題意識によっていろいろな側面が見えてくる。講演を聴きながら、どういう点に留意しながら、こうした思想家の思想を分析していくのか、その方法論を考えていた。
講演後の質問の中で、どうして大杉らが虐殺されたのかという質問が出された。飛矢崎さんは、大杉らの生き方、生きるスタイルを、権力は許せなかったのではないか、ということであった。私も部分的にはそれを肯定する。権力を畏怖もせず、自由に動き回る(といっても官憲からはいつも監視されていた)大杉らの生き方を、権力はとても目障りだと思っていたことは確かだろう。しかし一面肯定はしても、しかしそれは推測でしかない。この虐殺については推測するしかないのである。
朝鮮人・中国人の虐殺、平沢計七らの虐殺、そして大杉らの虐殺、それらを総合的に見通すこと、同時にその相違を考えること、さらに日露戦争後の歴史の中に位置づけること、そういうなかできちんと見定めることが必要だろう。しかしそれでも推測であることは間違いのないことだ。決定的な史料は出ていない。
その後、懇親会。19時過ぎ、名古屋を後にした。
今日は、1923年9月16日に大杉栄、伊藤野枝とともに権力に虐殺された橘宗一の墓前祭である。
新幹線で名古屋へ。名古屋から地下鉄東山線で覚王山日泰寺駅へ。名古屋から栄までは、東京の国電(今はJRか)並の混雑である。
下車してから日泰寺までの間にあるコンビニでサンドウィッチなどを購入。日泰寺の門付近の木陰で食事。その後ここからマイクロバスで墓に向かう。日泰寺の墓域はとても広くて、歩いてなんか行けないのだ。
1時前に開始。坊さんの読経するなか献花。
その後、名古屋市栄のYWCAホールで講演会。飛矢崎雅也氏の講演である。大杉の思想を語る。大杉の思想を捉えることはなかなか難しい。どういう切り口から迫るか、その問題意識によっていろいろな側面が見えてくる。講演を聴きながら、どういう点に留意しながら、こうした思想家の思想を分析していくのか、その方法論を考えていた。
講演後の質問の中で、どうして大杉らが虐殺されたのかという質問が出された。飛矢崎さんは、大杉らの生き方、生きるスタイルを、権力は許せなかったのではないか、ということであった。私も部分的にはそれを肯定する。権力を畏怖もせず、自由に動き回る(といっても官憲からはいつも監視されていた)大杉らの生き方を、権力はとても目障りだと思っていたことは確かだろう。しかし一面肯定はしても、しかしそれは推測でしかない。この虐殺については推測するしかないのである。
朝鮮人・中国人の虐殺、平沢計七らの虐殺、そして大杉らの虐殺、それらを総合的に見通すこと、同時にその相違を考えること、さらに日露戦争後の歴史の中に位置づけること、そういうなかできちんと見定めることが必要だろう。しかしそれでも推測であることは間違いのないことだ。決定的な史料は出ていない。
その後、懇親会。19時過ぎ、名古屋を後にした。