浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

今日は名古屋へ

2018-09-16 21:46:57 | その他
 今日は久しぶりの晴天。とても湿度が高い。そのなか、名古屋に行った。名古屋の気候は決して優しくはない。夏はとりわけ暑い。

 今日は、1923年9月16日に大杉栄、伊藤野枝とともに権力に虐殺された橘宗一の墓前祭である。

 新幹線で名古屋へ。名古屋から地下鉄東山線で覚王山日泰寺駅へ。名古屋から栄までは、東京の国電(今はJRか)並の混雑である。

 下車してから日泰寺までの間にあるコンビニでサンドウィッチなどを購入。日泰寺の門付近の木陰で食事。その後ここからマイクロバスで墓に向かう。日泰寺の墓域はとても広くて、歩いてなんか行けないのだ。

 1時前に開始。坊さんの読経するなか献花。

 その後、名古屋市栄のYWCAホールで講演会。飛矢崎雅也氏の講演である。大杉の思想を語る。大杉の思想を捉えることはなかなか難しい。どういう切り口から迫るか、その問題意識によっていろいろな側面が見えてくる。講演を聴きながら、どういう点に留意しながら、こうした思想家の思想を分析していくのか、その方法論を考えていた。

 講演後の質問の中で、どうして大杉らが虐殺されたのかという質問が出された。飛矢崎さんは、大杉らの生き方、生きるスタイルを、権力は許せなかったのではないか、ということであった。私も部分的にはそれを肯定する。権力を畏怖もせず、自由に動き回る(といっても官憲からはいつも監視されていた)大杉らの生き方を、権力はとても目障りだと思っていたことは確かだろう。しかし一面肯定はしても、しかしそれは推測でしかない。この虐殺については推測するしかないのである。

 朝鮮人・中国人の虐殺、平沢計七らの虐殺、そして大杉らの虐殺、それらを総合的に見通すこと、同時にその相違を考えること、さらに日露戦争後の歴史の中に位置づけること、そういうなかできちんと見定めることが必要だろう。しかしそれでも推測であることは間違いのないことだ。決定的な史料は出ていない。

 その後、懇親会。19時過ぎ、名古屋を後にした。



 
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アベ政権を支える創価学会

2018-09-16 09:08:15 | その他
 創価学会の方々の家々には、必ず公明党のポスターが貼られている。創価学会=公明党は、ファシストのアベと手を組み、アベのために粉骨砕身動いている。

 創価学会=公明党は、日本の民主主義と平和の破壊者となっている。

沖縄県知事選で創価学会の大幹部が沖縄入り! 盟友の菅官房長官と連携して玉城デニー潰しのステルス作戦を総指揮か
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旧暦

2018-09-16 08:26:18 | その他
 昨日の『東京新聞』に、旧暦使用のすすめ、の記事があった。
 
 旧水窪町、今は浜松市に併合されてしまったが、そこに無形文化財の「西浦の田楽」がある。夜夜中、ずっと踊り続けるという芸能である。ずっと若い頃に見たことがあるが、とても感動したことを覚えている。この田楽、今も旧暦で実施している。

 盆という行事も、この辺では新暦でやっているが、旧暦でやってるところもある。

 記事に、七夕のことも記してあった。

 「七夕も今年は8月17日が本来の日だった。季語は秋で、旧暦の七日は上弦の月。夜空を見上げると、東の空にわし座の一等星アルタイル(ひこ星)とこと座の一等星ベガ(織り姫)が輝いている。はくちょう座の一等星デネブ(カササギ)の仲立ちで、両者は一年に一度の逢瀬を楽しむ。だが月は夜十時ごろに沈む。そのときまで見えていなかった天の川が突然現れ、二人の間を遮ってしまう。こうした天体ショーをもとに七夕の話は出来上がっている。」

 新暦の7月7日は、梅雨の最中で、星空は見えない。

 この話は知ってはいたが、実際にそうした天体ショーがあったことは知らなかった。実際にこの天体ショーを見たら感動したことだろう。しかしたとえ8月17日に夜空を見ても、今はもう星々はほとんど見えなくなっている。文明は、こういうものも消し去った。

 旧暦は循環的な暦、新暦は直線的だ。新暦の採用は、一世一元の制と共に、明治になってから採用された。新暦の中で、近代日本は戦争をくり返し、1923年9月16日、大杉栄や伊藤野枝を虐殺した。

 広島大学名誉教授金田晉さんは、旧暦を新暦と併用しようという。私も賛成である。旧暦の時代、日本は対外戦争をしていない。

 アベ政権になってから、対外戦争の危険が高まっているが、日本の伝統を見つめたい。日本の伝統とは、古代と秀吉の時代を除き、対外戦争がないように、海外派兵はしないのである。

 政府は「明治150年」をいうが、その150年の半分は血塗られた時代であった。もっと長いスパンで日本の歴史を見つめ直すことが必要だと思う。



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