この連続ドラマは、ときにハリウッド映画張りの場面もあり(銃撃戦)、とてもよくできていると思った。これを週一で見ているとすると、それぞれ一話が終わる度に、おそらく次の展開がどうなるかがとても気にかかってしまっていただろう。
しかし、である。私たちはこのドラマの背景にある問題を見つめる必要がある。なにゆえに、同じ言葉を話す一人の男性と一人の女性が出会って愛情の絆に結ばれているのに、会うことができないのか。
朝鮮民族を分断する38度線。同じ民族であるにもかかわらず、敵国として認識し合わなければならない現実。同じ民族であるのに、電話もメールもその他一切の連絡が絶たれている現実。38度線は、一つの民族を分断し、それぞれをもっとも遠い存在へと押しやる。
このドラマでも、会うことができるのはスイス。それぞれがスイスに行く理由をつくっての邂逅である。
この分断の責任は、日本にもある。植民地支配、敗戦直前の日本軍の配置、そしてアメリカのソ連との占領区域の線引き。その後につづく冷戦。
北朝鮮の水道もガスもない、日本の高度経済成長以前の姿がいまもって続いている様子が描かれる。しかし朝鮮半島というのは、そこに住む人が一つになっていて自給できる。つまり農業は南部が担ってきたのであり、北朝鮮が食糧不足に苦しむのは自然や地形上やむをえない問題なのである。
このドラマの制作者は、不条理な分断に対する問題意識を持っているのだろう。
「愛の不時着」を見ながら、朝鮮半島の歴史的現実を直視するべきなのである。