簡素な舞台。舞台が示す場面。ほとんど高校の美術教室だが、そうでない場面は、ひとみの自宅、梓の自宅、そして宮島の海岸、そこからは恐ろしいキノコ雲が見えたところだ。登場人物は6人。ストーリーも簡単。3人の高校生が被爆者の話を聞いて、それを絵に表すまでのプロセスを描く。
戦争が終わって77年。戦争体験者がこの世から去って行くにつれて、戦争を知らない者が威勢が良いことばを吐くようになっている。
私の世代は、戦時下を生きた親からその体験を聞いて育ってきた。しかし今は、そうした直接体験者から話を聞くことは難しくなっている。記憶から記録へ、ということが論じられるようになった。
私も、戦争を記録してきた。膨大な史資料と対座して、あるいは直接体験者から話を聞き、それらを記録し文書にしてきた。その思いは、二度と戦争をしてはならないというものだ。
ロシア軍が侵攻したウクライナの民衆がどれほどたいへんな状況のもとにあるかを見て、とにかく戦争はしてはならないという気持ちを強くする。戦争に勝者はいないといわれるが、少なくとも庶民は戦争においては常に被害者となる。戦争は、庶民にとってはソンしかない。
さてプーチンは、ウクライナへの侵攻に関して、核兵器の使用をチラつかせた。以前にも書いたが、核兵器は戦争の抑止ではなく、実際に使われる可能性をもった兵器であることが、プーチンによって示された。もはや核兵器は廃絶しかない。ということだ。
それはなぜかと言えば、ヒロシマ、ナガサキの原爆被爆の惨状が、核兵器の使用は絶対にあってはならない、ということを示しているからだ。
しかし原爆投下により、いかなる状況が現出するのかを知る人は少なくなっている。どのように、被爆の真実を伝えていくか、そのひとつの方法がこの演劇で示された。被爆者の記憶を、絵にとどめておくこと。
約2時間の劇。高校生の世界をうまく描きながら、ストーリーを丁寧に組み立てていた。現代日本の平和に関わるマイナスの動きをきちんと問題意識にとりこみながら、原爆投下というものの意味をきちんと訴えていた。
コンパクトにまとまった良質の劇であった。青年劇場の作品は完成度の高い、考えさせられるものばかりだ。
プーチンや、核兵器がもたらす惨状を知らない人々に見せたい。