今日のニュースで、20代の女性が殺された(?)、その女性とつながりがあった30代の会社員が逮捕された。二人の関係はSNSから始まったというものがあった。
まったく見知らぬ人とSNSで知り合うということを、私は理解できない。SNSそのものも、私は理解していない。
LINEもSNSのひとつのようだ。LINEを私は利用しているが、子どもなど血縁関係のある者とだけである。
SNSで知り合い犯罪に巻き込まれたというニュースをよくみる。なぜ見ず知らずの人と会ったりするのだろうか。
最近の世の中は、わからないことが多くなっている。
TwitterもSNSなのだろうが、これもあまりよいものとは思えない。いろいろな人のTwitterを見たりするが、短い文で書かなければならないので、対立点だけが浮かび上がるようだ。Aという人とBという人とは同じような考えだと思っていても、Twitterの記述をみると、なぜか批判的な意見が書き込まれていることがある。ひとり一人意見が異なることは当然である。しかしその意見がどういうところから導き出されたのかを知れば、意見の違いは無用な対立は生まれないだろう。
書簡や直接的な会話からは、無用な対立は生まれないと思う。意見が異なっても話し合うことでわかりあうことはできる。Twitterは、それを妨げるのではないか。
無用な対立の存在は、私のこころを暗くする。そういうものを知れば知るほど、そういうものから逃れたいと思う。
今日は雨が降っていたから畑には行かなかったが、畑で大地を耕したり、草をとっていたりすることがいかにすばらしいことかを実感している。
そこには、みずからを自慢する人はほとんどいない。なぜほとんどというのかというと、そういう男がひとりいたからだが・・。
畑を耕す人たちは、作物を融通し合い、作業を手伝ったりする。ある種の信頼関係が出来上がり、精神の安定を得ることが可能になる。
それ以外の場では、とりわけ男の関係の中では、優劣をつけたり自慢したりする人が必ずでてくる。人との付き合いがイヤになるときがある。
話題が変わってしまった。歳をとった!