浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

SNSというもの

2022-06-18 22:14:59 | 社会

 今日のニュースで、20代の女性が殺された(?)、その女性とつながりがあった30代の会社員が逮捕された。二人の関係はSNSから始まったというものがあった。

 まったく見知らぬ人とSNSで知り合うということを、私は理解できない。SNSそのものも、私は理解していない。

 LINEもSNSのひとつのようだ。LINEを私は利用しているが、子どもなど血縁関係のある者とだけである。

 SNSで知り合い犯罪に巻き込まれたというニュースをよくみる。なぜ見ず知らずの人と会ったりするのだろうか。

 最近の世の中は、わからないことが多くなっている。

 TwitterもSNSなのだろうが、これもあまりよいものとは思えない。いろいろな人のTwitterを見たりするが、短い文で書かなければならないので、対立点だけが浮かび上がるようだ。Aという人とBという人とは同じような考えだと思っていても、Twitterの記述をみると、なぜか批判的な意見が書き込まれていることがある。ひとり一人意見が異なることは当然である。しかしその意見がどういうところから導き出されたのかを知れば、意見の違いは無用な対立は生まれないだろう。

 書簡や直接的な会話からは、無用な対立は生まれないと思う。意見が異なっても話し合うことでわかりあうことはできる。Twitterは、それを妨げるのではないか。

 無用な対立の存在は、私のこころを暗くする。そういうものを知れば知るほど、そういうものから逃れたいと思う。

 今日は雨が降っていたから畑には行かなかったが、畑で大地を耕したり、草をとっていたりすることがいかにすばらしいことかを実感している。

 そこには、みずからを自慢する人はほとんどいない。なぜほとんどというのかというと、そういう男がひとりいたからだが・・。

 畑を耕す人たちは、作物を融通し合い、作業を手伝ったりする。ある種の信頼関係が出来上がり、精神の安定を得ることが可能になる。

 それ以外の場では、とりわけ男の関係の中では、優劣をつけたり自慢したりする人が必ずでてくる。人との付き合いがイヤになるときがある。

 話題が変わってしまった。歳をとった!

 

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憎悪をまき散らす政党

2022-06-18 19:08:18 | 社会

 先ほど郵便受けを見たら、憎悪をまき散らす政党のチラシがあった。はじめてのことだ。浜松市でもイナカであるこんなところにもチラシが入る。憎悪は、私の近辺にも出現しているということだ。

 昨日記した『地獄への潜入』の「はじめに」にこういう記述があった。

 (極右のracistらは)ひどく愚かな人でもなく、極度の貧困に苦しむ人でもなく、深刻な社会問題に悩まされる人でもなく、社会的・経済的に特定の階層に属する人でもなかった。 モンスターではなく、人間だった。この国、この世界のいたるところにいる平凡な人間で、大部分が男性だが、女性もいる。他人を憎み、人生の意味を憎しみに求め、憎しみをもとに連帯感を共有し、日々の生活の中では優しく気を配りながらも憎しみを深めていく人だ。まったく異なる歴史観を持ち、怒りをかき立て、人殺しを煽ることだけを目的とする、偏ったプロパガンダの世界で活躍する人だ。金持ちもいれば、貧乏人もいる。職人もいれば、会社員もいる。十代の若者もいれば、中年男性もいる。食事をして、睡眠をとり、酒を飲み過ぎる時もあれば、しらふの時もある。孤独な人もいれば、異性に目がない人もいる。落ち込んだり、困惑したり、喜んだりする。つまり、彼らは、あなたや私と全く同じような人間だった。あなたが知らないだけで、彼らは隣の部屋で働いているかもしれないし、授業で隣の席に座っているかもしれない。 あなたが知らないだけで、あなたの近所に住み、スポーツチームに参加し、深夜になると、笑いながらリンチ殺人の写真を野球カードのようにトレードしているかもしれない。

 だが私はもうそんな男性や女性を知っている。彼らが何を書き、どんなふうに話し、何を読み、どんな風に歌うのかえさえ見てきた。 私は、彼らの人間性そのものに大きな怒りを感じている。彼らが広める憎しみや、彼らが求める暴力は、人間によるたくさんの小さな選択の積み重ねなのだ。

 憎悪に凝り固まった人が周囲にいる?

 なぜそういう人間になるのか、どうしてそういう人間でいつづけることができるのか。私には理解できそうもない。

 そうした人間に対しては、「出る幕がない」という状態にしなければ、憎しみをもって生きている人びとをどこからか発掘し、みずからの集団に引き込んでいくかも知れない。

 憎しみが蔓延する社会は、決して生きやすいものではない。レイシストと同じ社会に生きることは、私にはできない。

 

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