東洋経済がネットで、学校では非正規教員の割合が驚くほどに高いという記事を載せている。その記事の対象は公立の学校である。
子供も親も知らない「卒業式にいない先生」の正体 担任、部活顧問も担う「非正規教員」の実態
しかし、私学ではもっともっと多い。私学は非正規の教員の方が多いのではないか。要するに、経費を出来るだけかけないで学校経営を行う。その背後に、カネ儲けが潜んでいるのかも知れない。
私学の場合も取材してもらいたい。
東洋経済がネットで、学校では非正規教員の割合が驚くほどに高いという記事を載せている。その記事の対象は公立の学校である。
しかし、私学ではもっともっと多い。私学は非正規の教員の方が多いのではないか。要するに、経費を出来るだけかけないで学校経営を行う。その背後に、カネ儲けが潜んでいるのかも知れない。
私学の場合も取材してもらいたい。
ウクライナに対するロシアの侵攻が終わる見通しはまったくみられない。嘆かわしいことだ。戦争は、庶民の生命と生活を破壊する、庶民にとっては良いことは何もない。それは、ウクライナだけではなく、ロシアも同様である。政治権力を掌握している者たちは、みずからの野望と威信を維持するために、戦争を続ける。
一旦戦争が開始されると、戦争は、だからなかなか終わらない。日本の対米英戦争もそうであった。1941年12月に開始された戦争は、翌年6月のミッドウェー海戦まで日本は勝利し続けたが、それ以降はひたすら負け戦を戦った。とりわけ1944年7月のマリアナ諸島が米軍の占領下に入り日本の敗戦が確定したにもかかわらず、翌年8月迄戦闘は続き、多くの戦死者、被災者を生みだした。戦争による被害がどれほど大きくなっても、それよりは為政者の野望と威信の確保が優先される。「国体護持」がその象徴で、ほんとうに悲しい事実だ。
悲惨な戦争が終わらない。国際社会はプーチンの野望を止めることができないでいる。国際連合も、安全保障理事会の拒否権を持つ常任理事国が戦争を率先して始めるのだから、その力を発揮できていない。
第一次世界大戦以降に確立されたと思っていた「戦争の違法化」は、第2次大戦後、常任理事国によって無効化されてきた。とりわけアメリカは、無効化の先頭を走っていた。英仏も、アメリカと歩調を合わせていた。ソ連=ロシアもチェコ、チェチェンなどで同じようなことをしてきた。世界は平和を享受できていない。
私は『現代思想』の臨時増刊号「ウクライナから問う」を再読し始めた。酒井啓子は「色褪せた規範のゴミを紛争地に捨てるな」で、「ウェストファリア体制を指摘するまでもなく、現在の国際秩序は西欧の国家間関係の歴史の上に成立したものである。その国際社会が基盤とする秩序概念は、国家主権の絶対性であり、国家領域の不可侵性であり、民族/国民の自決性である」と記す。
私は、西欧発祥のものであっても、第2次大戦後はこの国際秩序が曲がりなりにも平和を導いていくと思っていたが、その西欧が、アメリカを中心にその秩序を無視する行動をとり続けてきた。イラク、アフガン、ソマリア、イエメン、リビア、シリア・・・・そしてロシアもアメリカなどが敷いた線路を走り始めた。
同書には、塩川伸明・池田嘉郎の対談がある。両者ともロシアなど東欧史の研究者である。ウクライナがみずからのアイデンティティを確立するために、ソ連時代に抑圧されていたウクライナ語の使用を強化する施策をしてきた。それは同書の松里公孝の論文にも記されている。他方、同じようなことがロシアでも展開されてきたことを塩川や池田が指摘している。「歴史上の愛国主義を象徴する人物を褒め称える」、それを行っているのがメディンスキーであり、ロシア軍事史協会などである。
池田はこう語る。
「ヨーロッパ的価値観の世界秩序でとりあえずはやっていこうという時代が2010年代頃からどんどん解体していき、今後はそれぞれの地域、それぞれの国が自分たちのナショナリズムや過去の解釈を用いて国民統合し、強大な国になればいいのだという新しいモードが どこでも多かれ少なかれ出てきたなかで、メディンスキーというのはロシアにおいてそれを率先して行なってきた人物だと思います。とにかくロシアの統合や偉大さを強調できればそれでいいという開き直った歴史観を打ちだしている」
「クリミア併合以降のロシア全体の社会を愛国ムードで固めてきたのがメディンスキーなのです」
つまり開戦前に、それぞれがナショナリズムを高揚させてきていた、それが2月24日に火を噴いた、ということになる。ウクライナ側は全面的なロシアの軍事侵攻を予想していなかったようだが、ロシアの側はそれを想定した動きを、たとえばばく大な国家予算を投入して「愛国主義を涵養する」事業を行ってきていたのだ。
私は、ナショナリズムの高揚、愛国主義を涵養する「右翼」的な動きを、だからこそ日本においても警戒しなければならないと思う。ナショナリズムの高揚、愛国主義の涵養は、戦争へとつながっていくのだ。
そして戦争が開始されれば、国民のなかに生みだされたナショナリズムや愛国主義が、権力者の戦争継続を後押しする。
戦争は、平和のうちに準備されるのである。
ロシア=プーチン政権によるウクライナ軍事侵攻は、終わりが見えない。国際社会は、その終わりをつくろうとしていない。
またもしウクライナがロシアに降伏すれば、ロシアの占領下では想像を超えるような事態がつくられるのではないかという危惧もある(シベリア抑留を想起する)。おそらくウクライナの人びとはそれを予想して徹底抗戦しているのだろうが、しかしそうであっても、早く終わって欲しい。
矛盾のなかにある私は、ウクライナの状況をネットで注視し続けている。