冬、畑から帰宅するとき、西の空が真っ赤に染まる。
私は夕焼けが好きだ。もうずっと前のことだが、職場の窓から何ともいえない美しい夕焼けを見て、生まれてきて良かった、と思ったことがある。夕焼けは、生きる希望をもたらしてくれる。
アウシュビッツ収容所のユダヤ人、たしかフランクルの『夜と霧』だと思うが、早朝、点呼のために収容所の広場に、寒かろうと暑かろうと、長時間たたずむ。員数があうまでずっと立たされる。そんなとき、白々と明けてくる朝焼けを見ることができて、フランクルは生きていることに、生きることに希望をもった。
夕焼けも、朝焼けも(といっても、夜型人間の私は朝焼けをほとんど見たことがない)、生きていることに感動をもたらす。
さて、昨日の『東京新聞』の「こちら特報部」の記事で、夕焼けを見られない人がいるということを知った。1945年3月11日、東京に向かって走る列車が止まった。東京大空襲の日である。東京方面が、夕焼けのようにあかく染まっていたという。その光景を脳裡に刻んだ子どもが、夕焼けをみると「その時」が記憶の底からわきあがってくるというのだ。
その光景を見た方は、今、ウクライナでそういう子どもたちが夕焼けを見られなくなるのでは、と心配している。
夕焼け、いつみても同じ夕焼けはないその夕焼けに、ひとは希望をつないできた。夕焼けは、生きていることの素晴らしさを実感させるものであり続けて欲しいと思う。