浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

補助金に群がる民間企業

2016-12-25 09:21:20 | その他
 民間企業の経営を導入する、民間企業に経営を委託する・・・・など、新自由主義的な経済政策がまん延する中で、民間企業はここぞとばかりに政府や自治体の財政に群がりはじめた。新自由主義的な思考だと、民間企業は効率的で無駄のない合理的な経営をするということになっているが、実際はそんなことはなく、電通でもみられる如く労働者を酷使し、補助金がないかと探し回り、ウソをついてまでカネもうけに邁進する。

 そういう姿こそ、実は民間企業のあり方なのだ。民間企業のあり方とは、あくなき利潤追求が本質であるからだ。

 その姿が、この記事にもあらわれている。


灯油補助金、1・7億円ムダ…会計検査院調べ

読売新聞 12/24(土) 15:49配信

 過疎地などに灯油を安定供給するための資源エネルギー庁の補助事業で、国の補助金計1億7530万円が無駄な支出だったことが、会計検査院の調べでわかった。

 人口減などを背景に、過疎地を中心にガソリンスタンド(GS)の廃業が相次いでいるため、同庁は2013年度から、GSに対して灯油を運ぶタンクローリーの購入費の一部を補助し、過疎地での配送量や配送先を増やす事業を行っている。

 検査院が13~15年度に実施された814件を調べたところ、GSが補助金を利用してタンクローリーを購入した後、経費節減のためそれまで所有していた車を売却するなどしたため、配送できる灯油の総量が増えなかったケースが46件(交付額1億4249万円)あった。また、購入したタンクローリーを補助事業の対象ではない重油の配送専用に使うなどしていたケースも8件(同3281万円)見つかった。
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内田樹氏に同意。

2016-12-24 21:06:12 | その他
 内田氏のいうとおりだと思う。

https://dot.asahi.com/aera/2016122200068.html?page=1
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久しぶりの書店

2016-12-24 20:35:35 | その他
 昨日、久しぶりに書店に行った。今、本はほとんどAmazonで買っている。書店に行ってもない本が多いからだ。

 昨日購入したのは2冊。ひとつは三島憲一『ニーチェかく語りき』(岩波現代文庫)、もう一つは中野敏男『詩歌と戦争』(NHKブックス)である。

 ニーチェは、ファシズムとの近しい関係が指摘されているが、フーコーはじめ多くの思想家がニーチェを読み、それをもとに論じている。現代思想にとって、ニーチェは無視できない存在だ。

 三島は、イサドラ・ダンカン、ハイデッガー、フーコー、バタイユ、三島由紀夫、リチャード・ローティ、フランクフルト学派が、どのようにニーチェを読んだのかを記していく。250ページにも満たない文庫版なので詳細に論じられているのではないが、参考になるかと思って買ってみた。

 まず「三島由紀夫のニーチェ」を読んだ。三島の作品はそんなにたくさん読んでいるわけではないが、有名な『潮騒』や『午後の曳航』などにもニーチェの影響があると記されている。これらは高校生の頃に読んでいるから、ニーチェの影響なんてまったく知らなかった。日本の文学は、海外の文学の動向にひきづられて、あるいは影響を受けて展開してきているが、三島も然り、であるということだ。

 絢爛豪華、多色刷りの三島作品。みずからが美と見做すものををひたすら書き続けてきた三島。三島にニーチェの影響が強いということは、振り返ってみれば、彼の背伸びしながらの無理な生き方から、なるほど、と分かる気がする。

 何ものかを書くために本を読んでインプットする、のではなく、そういう仕事とは関わりなく本を読んで思考を自由に飛翔させることの楽しさ。

 
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都合の悪い情報は出さない

2016-12-24 20:31:56 | その他
 都合の悪い情報は、廃棄するか秘密にするか。安倍政権の、情報遮断による専制政治がまた明らかになった。今日の『東京新聞』朝刊の記事。

 
PKO部隊の日報廃棄 南スーダン7月の武力衝突 防衛省「目的終えた」

2016年12月24日 朝刊
 アフリカの南スーダン国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊部隊が、首都ジュバで七月に大規模な武力衝突が発生した際の状況を記録した日報が、廃棄されていたことが分かった。陸自の文書管理規則が定める三年間の保存期間に満たない。治安が悪化する同国でのPKOは派遣要件を満たしていないと疑問視する声が強いが、日報の廃棄でさらに批判が高まる可能性がある。 

 南スーダンPKOは半年ごとに部隊が交代しており、七月に活動していたのは十次隊。ジャーナリストの布施祐仁(ゆうじん)氏が情報公開法に基づき、同月七~十二日の日報を九月末、防衛省に開示請求したところ、今月二日付で「既に廃棄しており、保有していなかった」とする通知を受けた。

 同省によると、陸自の文書管理規則では、PKO関連文書の保存期間の基準は三年間。一方で「随時発生し、短期に目的を終えるもの」や「一年以上の保存を要しないもの」は、例外的に一年未満で廃棄できる。

 同省統合幕僚監部の担当者は、廃棄の理由について「上官に報告した時点で、使用目的を終えた」と説明。これ以外の日報も、紙や電子データを含め、同様に廃棄しているという。

 陸自は、日報に基づき、後続部隊ヘの教訓をまとめた「教訓要報」を作成しており、当時の現地状況もこの中である程度記載される。しかし、原本に当たる日報が廃棄されてしまえば、治安の実態や自衛隊の行動について国民が正確に把握することが難しくなる。

 布施さんは「これが許されるなら、あらゆる報告文書はすぐに廃棄されてしまう。国民の検証のために公文書を保管する意識が欠如している」と批判する。

◆黒塗りより深刻

 日報廃棄の問題からあらためて浮かび上がるのは、活動継続への疑念が強い南スーダンでのPKOについて、国民に正確な情報を届けて理解を得ようという意識が、安倍政権に依然として薄いことだ。

 ジュバで最初の大規模衝突が起きた、二〇一三年十二月に派遣されていたPKO五次隊の「教訓要報」には、隊員らが防弾チョッキと鉄帽を着用したり、撤退経路を偵察したりという対応が記されている。

 これを作成する材料となった日報が存在していれば、国民は当時の状況をより詳しく知ることができた。

 まして今回、日報の廃棄が判明した六日間は、陸自の宿営地の隣にあるビルで銃撃戦が起きるなど、一三年に劣らず緊迫していた状況が明らかになっている。日報の廃棄が、検証を難しくした可能性は大きい。

 PKO関連文書の保存期間を原則三年間と定めた、文書管理規則が形骸化している事実も見逃せない。今回のように「上官に報告したから」という理由での廃棄がまかり通れば、組織にとって都合の悪い文書はすべて公開せずに済む「抜け道」になりかねない。

 南スーダンPKOを巡っては、これまでも現地報道を基にした地図を黒塗りにして公表するなど、情報公開に消極的な政府の姿勢が批判されてきた。黒塗りどころか、将来公開される可能性を摘む「廃棄」は、より深刻な問題だ。 (新開浩)
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「おまえは歌うな」

2016-12-24 08:36:46 | その他
 メールを開いたら、町田の住人から、この詩が送られてきた。中野重治の「おまえは歌うな」である。


  おまえは歌うな
  おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
  風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
  すべてのひよわなもの
  すべてのうそうそとしたもの
  すべてのものうげなものを撥(はじ)き去れ
  すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
  もつぱら正直のところを
  腹の足しになるところを
  胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
  たたかれることによつて弾ねかえる歌を
  恥辱の底から勇気を汲みくる歌を
  それらの歌々を
  咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
  それらの歌々を
  行く行く人びとの胸廓(きようかく)にたたきこめ


 プロレタリア作家であった中野らしい詩である。しかし、中野が詩を詠み始めるのは、室生犀星の影響である。犀星も「風のささやき」や「ひよわなもの」、「風情」などをうたっている。

 中野も、当然、そういうものをうたっていたからこそ、「おまえは歌うな」、つまり自分自身に対して、そういうものをうたうことを禁じようとしたのであろう。

 人間、「恥辱の底から勇気を汲みくる」だけでは、生きてはいけないのだ。

 夢二も、荒畑寒村ら社会主義者とも交流している。
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叱る

2016-12-23 21:12:49 | その他
 今日の『中日新聞』は、来年度予算の報道・解説に大きなスペースを費やしている。安倍政権のもとで、軍拡そして福祉の後退などが継続的に行われている。これは予想されていたことである。

 品性も知性もない人物が首相となり、明らかに先日の日露交渉が何も獲得しなかったのに、あたかも成功であるかのように語る安倍は、いったいいかなる人物なのか、と思う。

 今までの人生の中で、明らかにあらゆる点で劣っているにもかかわらず、驚くべき自信を示す人物に会ったことがある。安倍はそういう人物のような気がする。ある意味で、宗教創始者ではないか。あのオームの創始者のような。

 そういう輩が、国家財政を決めている。何とかならないのかと思っても、何もできない。無力感が先に立つ。

 昨日、竹久夢二について書いたら、町田の住人から、夢二を評価するなんて理解できない、というメールが来た。

 しかし、人間は多面的である。私は今、音楽を聴きながらこれを書いている。リチャード・クレーダーマン、おそらく町田の住人は知らないだろうが、彼の叙情的な美しいピアノが流れている。

 先ほどまでは、今日届いた『竹久夢二詩画集』(岩波文庫)をさらさらと眺めていた。

 いざよいの晩、
 私は泣きながら生れた。
 その時、みんなは笑つた。

 死ぬ時には、
 私笑つてゐ
 たいとおもふ。

 そして、みんなを
 泣かせてやりたい。



 こういう詩に、うーんと唸り、

 「花のゆくえ」にもすばらしいと感動している自分がいる。

 ほろり ほろり と、花がちる。
 花にゆくえを聞いたらば。
 空へ舞ふのは、蝶になる。
 海へ落ちれば桜貝。
 花はのどかに笑ふてる。
 ほろり ほろり と、花がちる。


 こういう詩をよむと、夢二の背後には、孤独がまとわりついている感じがする。

 人間は、そう、孤独だ。ひとりで生まれ、ひとりで苦しみ、ひとりで死んでいく。だから生きているあいだ、ひとりを意識しないでいられるときが必要だ。そこにもうひとりがひつようだ。それが愛かもしれない。

 こんなふうに想念を重ねていくと、ふと、今日の新聞記事のことが思い出される。

 現実をどうするんだ!と、叱る声がする。

 町田の住人からの、罵声が聞こえてくる。

 しかし・・・いいものはいいのだ。


 
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竹久夢二展

2016-12-22 16:35:44 | その他
 浜松市の隣、磐田市に香りの博物館がある。そこでなぜか「竹久夢二展」。今日行ってきた。

 夢二との出会いは高校生の頃。デパートが夢二の展覧会をやっていた。何気なく見に行って、そこに描かれたはかなげな女性の絵に感じ入って、絵はがきを買った。その絵はがきはまだ残っているが、それから、ずっと関心を抱き続けてきた。

 ずっと前、岡山大学で研究会があったとき、早く到着しタクシーで夢二美術館に行った。夢二の生家も残っているようだが、そこには行けなかった。もう一度岡山には行ってみたい。

 東京の夢二美術館にも行ったことがあるが、時間がなくてじっくりみることができなかったので、ここももう一度行ってみたい。

 夢二の絵の世界は、時間の流れがゆっくりであったり、止まっていたりする。時が滞留しているのである。ということは、想いが詰まっているということだ。その想いとは、もちろん男女間のそれである。その想いを絵全体が語る。そういう絵だと思う。

 

 今日は、2017年の暦を買った。もちろん夢二の絵が描かれているものだ。2017年は伊藤野枝を語るべく勉強するつもりだから、2018年には、夢二について語ることができるようにしたい。一年間、夢二の絵を見ながら考えよう。
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誰も責任をとらない

2016-12-22 08:35:44 | その他
 『東京新聞』記事の一部。1兆円を投入して、結局失敗。失敗は最初の頃から分かっていたのに、20数年間もカネを投入し続けてきた。その失敗について、誰も責任をとらない。

 「アジア太平洋戦争」の頃の「無責任体制」が、日本ではずっと続いている。
 
もんじゅ廃炉決定 税金1兆円投入、稼働250日 2016年12月22日 朝刊

◆核燃サイクル 失敗認めず維持

 政府は二十一日、原子力関係閣僚会議を開き、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)を廃炉にし、より実用炉に近い「高速実証炉」の開発に着手する方針を決めた。発電に使った以上の核燃料を生み出す「夢の原子炉」と言われたもんじゅは国民の税金を一兆円も投じながら、稼働日数二百五十日で退場する。しかし政府は使用済み核燃料を再利用する「核燃料サイクル」事業は続ける方針だ。



 だからこそ、日本の政治は「利権政治」なのだ。「世のため、人のため」はまったく考えず、自分のため、一族郎党のため、利権を求めて頭を下げて寄りつく者たちのために、国家財政や地方財政はつかわれる。今までもそうしてきたし、これからもである。なぜか。日本国民は、それでも怒らないからである。

 今月号の『DAYS JAPAN』には、ベトナムでの原発建設がなくなったことが記されている。賢明な判断である。しかし日本政府や東芝などの原発産業は、儲ける機会とばかりに前のめりに推進してきた。その調査を行っていたのが、「日本原子力発電」という会社。

http://www.japc.co.jp/index.html

 ベトナムの原発可能性調査ということから、2009年から28億5000万円ものカネが、日本原電に渡されたという。その契約は非公開で、調査報告書は非開示だそうだ。

 こうして、莫大なカネが、利権集団に注ぎ込まれる。そして失敗しても、誰も責任をとらず、失敗するまで利権集団が利権を貪り続ける。そうした国が、わが日本なのだ。

 だから、失敗のつけを、国民に負担させても平気なのだ。だって、怒らないから・・・

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201612/CK2016122002000123.html

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【本】エマニュエル・トッド『グローバリズム以後』(朝日新書)

2016-12-21 22:39:22 | その他
 またトッドの本である。欧米の状況を分析的に理解するには、この人の本はとても参考になる。

 今回は、全体的な内容ではなく、一部について言及する。

 36ページに、「エリートは急に、自分たちの人々に責任を感じなくなった。そして、いわば帝国的な視野に立つようになった」と記されている。エリートとは、官僚や企業のトップなど支配層の人々のことだと思うが、そのエリートがその国の人々や企業の一般社員に関して、思いをはせることをしなくなったということなのだろう。そして、そのエリートが、支配者の立場に立って国家を運営していく、そういう思考をするようになった、というのである。

 これについては、私は理解できる。というのも、経済政策関連の本をよく読んでいた時期がある。1980年代後半から90年代前半射かけてであるが、その頃、日本経済が国際的な競争に勝つにはどうしたらよいかなどと、私は考えていた。まさに日本という国家をどう運営していったら、国際競争に勝ち残っていけるのかを真剣に考えていたことがあったのだ。もちろん私はエリートでは全くないのだが、新自由主義的な動きが強まってきたときに、一時的にその動きに乗せられてしまった。まさに支配層の思考であった。それは同時に「帝国的な視野」をもつものであった。

 もとよりエリートでもなく、庶民の1人である私は、そうした思考の愚かさに気がついたのだが、しかし私と同じような経験をし、そのまま支配層の思考を持ち続ける人々がいてもおかしくはない。企業に勤めている人々は、そうした思考にはまりやすいのだと思う。

 いずれにしても、しかしその指摘の時期は、まだ日本全体のことを考えようとしていたのだろうが、その後、エリートは国家の運営という視点すら捨て去り、自らの私利私欲を優先させるようになっていった。

 新自由主義を唱えたシカゴ大学のミルトン・フリードマンその人が、みずからの利己的な私富追求にその人生を「捧げた」ことが、たとえば、内橋克人・宇沢弘文の『始まっている未来』(岩波書店、2009年)で、シカゴ大学で彼と同僚であった時期をもつ宇沢が回顧している場面が記されている。

 新自由主義が今後どうなるかはわからないが、リーマンショックを経てからは、少なくともそのピークは過ぎたと思われる。しかしその後、新自由主義を克服する、新たな経済学・経済政策が未だ出てきていない。

 宇沢の経済学は、その点で参考になる学問である。

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オスプレイの事故率

2016-12-21 22:22:10 | その他
 オスプレイの危険度は上昇している。

https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/osprey-mod-why?utm_term=.xf1VMAl8r#.suzgE6KyO
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浜松市だけの「偉人」

2016-12-21 09:48:10 | その他
 浜松市だけで知られている偉人がいる。金原明善、というひとだ。私財をなげうって天竜川の治水を行った人として、郷土の偉人としてたたえられている。しかし、私が調べたところでは、そうたいして偉人ではない。明治時代の実業家という側面でなら評価してもよいが。

 私財をなげうって、といいながら、彼は多くの私財を蓄えたのだが、それは今、財団所有となって、遺産相続にかからないようになっている。

 さて、その人の生家が今も残っていて、生家の裏にはかなり広い林があった。この辺では、もうそのようなものは残っていない、ある意味で貴重なところだと思っていたのだが、最近それがなくなり、なにやら工事が始まった。

 昨日自転車で通りかかったので、そこの工事内容を示す掲示板を見たら、何とローソンができるようなのだ。

 そして以前あった金原明善記念館も取り壊され、なにやらがつくられている。これはまだ確かめてない。

 ひょっとして、さらなる蓄財を考えはじめたのだろうか。
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【本】二宮敦人『最後の秘境 東京藝大』(新潮社)

2016-12-21 09:46:38 | その他
 どこかの書評で、「面白い」とあったので読みたくなって、図書館から借りてみた。東京藝術大学なんて、私にはまったく無関係。一度も足を踏み入れたことがない。そういう大学の住人に関する情報が満載だというので読んでみた。

 たしかに面白い。美術や音楽に高度の才能と力を持っている人々の生態が描かれている。そのなかには、まあ普通の人もいるが、そうではなく、おそろしく発想が奇抜な人、とてつもなくおかしいひと・・・・そういう人間がいる。それはそうだろう、とくに美術というのは、その人だけの個性的な作品を制作してなんぼの世界だから、その個性は、よほど「特異」でないといけない。
 音楽の方は、まあ常識人が多いようだ。しかし、音楽の方はいつも競争にさらされている。才能の上に、ものすごい努力が必要となる。他の人がやらないような分野なら世に出る可能性は高くなるが、ピアノやヴァイオリンなどは大変だ。とりわけカネがかかる。親は大変だろう。子どもの頃から大金を投入する。しかし投入されたカネのもとを取ることができる人は多くはない。

 そういう人物が描かれてはいるが、それだけではなく、音楽や美術の世界の裏話めいたものも記されていて、へえそうなのか、という感慨を持ったりした。たとえば膠(にかわ)の特徴、バロック音楽は即興的な面が強いこと、オルガンの奥深さ、など。

 読んで損はしない。

 しかし、10ページ目の「藝大の生協にはガスマスクが売っているのだ」はないだろう。「ガスマスクが売られているのだ」にしないと。


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【本】エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か?』(文春新書)

2016-12-20 09:40:39 | その他
 今年1月に出版された本である。H氏に勧められて読んだ。確かに読むべき本である。

 昨年1月に、フランスの『シャルリ・エブド』が襲撃された。この事件のあと、「私はシャルリ」を掲げた大規模なデモがあった。確かにテロは否定されるべきであるが、ムハンマドをからかうような絵を何度も何度も描くことは、ムスリムの人々をからかうことでもあり、私はそうした行為は「表現の自由」の行使といえるか疑問である。フランスがいくら世俗化が進んだとしても、キリストを揶揄するような絵は、信仰者に不快な念を抱かせるのではないだろうか、と思っていた。「フランス人であるとは、冒涜を権利として持つだけでなく、義務として負うことなのだ」とヴォルテールが言っていたそうだ。ふーん、そうなのか。

 本書の副題は、「人種差別と没落する西欧」である。

 トッドは、「自分自身の宗教に対する冒涜の権利は、とりわけ今日のフランス社会のように困難な社会経済的文脈に於いては、他者の宗教に対する冒涜の権利と混同されてはならないはずだった。差別されている弱者グループの宗教の中心的人物であるムハンマドを毎度繰り返して冒涜することは、裁判所が何と言おうと、宗教的・民族的・人種的憎悪の教唆と見做されなければなるまい」と書く。トッドがまともな考えを持っている人物であることが判明する。

「冒涜」と「批判」とは異なり、宗教を「批判」することはあり得る、それは「批判」により何ものかを創造する可能性があるが、「冒涜」というのは、そうしたものを生み出さない。「冒涜」は、「上から目線」であり、「差別」である。

 そうした「冒涜」が、フランスでは広がっているようなのだ。「レイシズム(人種差別)は社会構造の上の方へ、また下の方へ、同時に拡散している」(32)と、トッドは記す。

 あのデモに、中産階級(この中産階級というのは、日本での「中流」ではなく、社会的なエリート層のすぐ下に存在する富裕層である)がたくさん参加したそうで、「今日、フランスの中産階級は「ネイションのポジティブな諸価値」を担うというにはほど遠く、基本的にエゴイスティックで、他者の意見に耳を貸さず、高圧的な態度を取りがちだ。平等の原理を捨て去ったとさえいえる」(35)。しかし、これはフランスだけではなく、日本でも同様な事態が起きている。日本の「中産階級」もみずからの資産の増加を画策し、平等というポジティブな価値観を捨て去っている、それがよく見えるようになっている。

 フランスはカトリックの国であるが、しかしそれはほとんど、地域的なアンバランスはあるが、崩壊しているという。その崩壊の間隙を縫って、外国人恐怖症が急増しているのだそうだ(49)。

 トッドは、フランスの宗教の現状をもとに分析を加えるのだが、日本人として学ぶという観点から見れば、ほとんど無宗教の日本において、その分析は効用がないと思われるので割愛する。

 さて、「私はシャルリ」のデモには、労働者たちではなく、中産階級によるものであったそうだ。そしてその後に記述されているが、国民戦線への投票が労働者の中で増えているそうなのだ。逆に社会党は、そうした中産階級によって支持されているという。

 「極右が労働者層を支持基盤にしたのは、フランス史上新しい現象である。この現象が確認できるようになったのはかなり早く1980年代末のことだった。」(189)

 極右の国民戦線の得票率は、平等主義の土地柄の地域で高いのだという。

 そして、イスラム恐怖症について語るのだが、ムスリムはきわめて多様であり、「フランスのイスラム教徒たち」という十把一絡げの認識は間違いであり、多様な人々にそういう「レッテル貼り」することは間違いであることを指摘する。

 その他にもいくつかの論点が記されているが、フランスの現況から、私たちが学ぶことは多い。

 今後も何度か、この著書に言及することがあるだろう。




 
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破廉恥安倍政権

2016-12-19 11:35:25 | その他
 政権の無策を反省もせずに、民間の善意の動きを利用しようと画策する安倍政権。

http://buzzap.jp/news/20161219-kodomo-shokudo-maff/
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オスプレイ飛行再開だって

2016-12-19 11:30:22 | その他
共同通信配信。しかし共同も「不時着事故」と書いている。共同も、安倍政権の支配下にある。


オスプレイ飛行、午後に全面再開

政府容認、沖縄は反発

2016/12/19 11:07

 沖縄本島北部沿岸部での不時着事故後、運用が停止されていた米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の新型輸送機オスプレイについて、在沖縄米軍は19日、同日の運用再開を発表した。政府によると再開は午後の見込み。13日夜の事故後1週間が経過する前に、詳しい事故原因の判明を待たずに再開することで、沖縄県側は強く反発している。

 防衛省沖縄防衛局の中嶋浩一郎局長は19日午前、県庁で謝花喜一郎知事公室長面談し、飛行再開を容認する政府方針を伝えた。謝花氏は記者団に「県民不在だ。憤りを感じる」と述べた。

 防衛省によると、米軍は空中給油以外の訓練を再開すると連絡してきた
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