窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

いくら回されても針は天極を指す

2009年06月10日 | その他
  先日子供の学校に行ったとき、「いくら回されても針は天極を指す」と題して教頭先生からこんなお話がありました。

  私の高校になる息子がまだ小学生の頃、仏壇に置いてあった200円を息子が盗って買い食いをしたことがありました。その話を妻から聞いた私は、仕事で面白くないことがあったこともあり、ついカッとなって息子に「いいか、お前がどれだけ悪いことをしたのか父さんが教えてやる。いまからお前に庭の池の水を五杯かける」というなり息子をパンツ一枚にして庭に飛び出しました。時はまだ2月の非常に寒いとき、妻は「そんなことをしたら息子が死んでしまう」と泣いて止めましたが、私はききません。「それなら、お前を育てたのはこの父さんだから、父さんがまず池の水を五杯かぶる」といって、私も服を脱ぐと氷のような池の水を頭からザブザブとかぶりました。

  ふと息子の方をみると、息子は極寒の中、私のかぶる水のしぶきがかかるのをよけようともせずただ涙を流しながらじっと立っているではありませんか。私は不憫に思いましたが息子にまず水を三杯、あとの二杯は半分位にしましたがそれでも約束どおり五杯の水をかぶせました。そしてかぶせ終わるや息子を抱いて風呂に駆け込みました。すると息子は自分もずぶ濡れであるにもかかわらず、やはりただ涙を流しながら手拭で私の腹を拭いているのです。私は思わず息子を抱きしめました。この時ほど「ああ、こいつは俺の血を分けた息子なのだ」と思ったことはありません。それからというもの、息子はたとえ床に落ちている物でも自分の物でないものは一切盗ったりはしなくなったのです。

  閏覚えなので一部不正確な部分もあると思いますが、あるPTAであったお話だそうです。「いくら回されても針は天極を指す」というのは詩人高村光太郎の言葉だそうですが、つまり方位磁石がいかに回されても必ず北の方角を指すように人として狂わせていけないものは必ず守る、これが教育であるということでした。いいお話だったと思います。

  「天地の道は恒久にして已まざるなり」といいますが、いかに変化の激しい時代であろうと価値観をぶれさせない心の羅針盤をしっかりと持っていきたいものです。

 繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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