いつも記事の最後に書いている「繻るに衣袽あり」とは何ですかという質問を時々いただきますので、今日はそのお話をしたいと思います。
これは『易経』63番目の卦(か)である「既済」の六四(この卦を下から数えて四番目の陰をあらわす爻(こう))、「繻有衣袽、終日戒」から引用したもので、「繻(も)るに衣袽(いじょ)あり」と読みます。
「繻」は訓読みが「うすぎぬ」であるように、本来は「生地の薄い絹」という意味です。しかし、「既済」の「済」は「わたる」と読み、「川をわたる」という意味があるため、これは「繻」ではなく「濡」(ぬれる)の誤りであろうという説が有力です。したがって、「もる」ではなく、「ぬる(れ)る」と読ませる場合もあります。
「衣袽」は「ぼろぬの」という意味です。ですから、そのまま読めば「川を渡るのに舟が漏るのを防ぐため、ボロ布を用意して一日中警戒する」という意味になります。「既済」は「川を渡り終える」ということから転じて「物事が成就する」という意味になります。それだけをとらえると誠にめでたい言葉のように思われますが、頂上はすなわち下降の始まりということでもありますから、『易経』は成就に驕ることなく、下降(繻る)に備えて(衣袽あり)警戒せよと戒めています。また「繻るに衣袽あり」は「有事を未然に防ぐために備える」ということで、「縁の下の力持ち」となる仕事を細心に果たしなさいという風にも解釈できます。
僕はぼろ屋ですから、文字通り「衣袽」を扱うのが仕事です。繊維リサイクルはいつも社会の「縁の下の力持ち」となる存在ではないかと感じています。また、『易経』はそれが吉であれ凶であれ、行き過ぎを戒め「中庸」を貴びます。これは当社の基本理念である「エコソフィー」の考えにも通じる思います。私たちにとって「エコソフィー」とは、「エコロジー」と「エコノミー」がいずれも行過ぎることなく中庸を行くためにどうしたらよいかを考えることだからです。
このように「繻るに衣袽あり、終日戒む」は、『論語』の「われ日にわが身を三省す」ではありませんが、自分自身を反省させてくれるよい言葉だと思っています。そういうわけで、日々の仕事にピッタリな表現でもありますし、そんな風に生きられたらいいな、ということで一日の終わりに「繻るに衣袽あり」とつけさせていただいています。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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これは『易経』63番目の卦(か)である「既済」の六四(この卦を下から数えて四番目の陰をあらわす爻(こう))、「繻有衣袽、終日戒」から引用したもので、「繻(も)るに衣袽(いじょ)あり」と読みます。
「繻」は訓読みが「うすぎぬ」であるように、本来は「生地の薄い絹」という意味です。しかし、「既済」の「済」は「わたる」と読み、「川をわたる」という意味があるため、これは「繻」ではなく「濡」(ぬれる)の誤りであろうという説が有力です。したがって、「もる」ではなく、「ぬる(れ)る」と読ませる場合もあります。
「衣袽」は「ぼろぬの」という意味です。ですから、そのまま読めば「川を渡るのに舟が漏るのを防ぐため、ボロ布を用意して一日中警戒する」という意味になります。「既済」は「川を渡り終える」ということから転じて「物事が成就する」という意味になります。それだけをとらえると誠にめでたい言葉のように思われますが、頂上はすなわち下降の始まりということでもありますから、『易経』は成就に驕ることなく、下降(繻る)に備えて(衣袽あり)警戒せよと戒めています。また「繻るに衣袽あり」は「有事を未然に防ぐために備える」ということで、「縁の下の力持ち」となる仕事を細心に果たしなさいという風にも解釈できます。
僕はぼろ屋ですから、文字通り「衣袽」を扱うのが仕事です。繊維リサイクルはいつも社会の「縁の下の力持ち」となる存在ではないかと感じています。また、『易経』はそれが吉であれ凶であれ、行き過ぎを戒め「中庸」を貴びます。これは当社の基本理念である「エコソフィー」の考えにも通じる思います。私たちにとって「エコソフィー」とは、「エコロジー」と「エコノミー」がいずれも行過ぎることなく中庸を行くためにどうしたらよいかを考えることだからです。
このように「繻るに衣袽あり、終日戒む」は、『論語』の「われ日にわが身を三省す」ではありませんが、自分自身を反省させてくれるよい言葉だと思っています。そういうわけで、日々の仕事にピッタリな表現でもありますし、そんな風に生きられたらいいな、ということで一日の終わりに「繻るに衣袽あり」とつけさせていただいています。
易―中国古典選〈10〉 (朝日選書)本田 済朝日新聞社このアイテムの詳細を見る |
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