窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

唐津城(舞鶴城)

2012年10月23日 | 史跡めぐり


  JR筑肥線唐津駅より徒歩10分強、唐津湾に突き出た満島山の地形を利用し、まさに海沿いにそびえる唐津城。



  上の地図を見て分かるとおり、三方を海に囲まれた堅固な平山城でした。



  唐津城は寺沢広高によって、1608年(慶長13年)に完成しました。広高は肥前名護屋城の普請も務めた、豊臣秀吉の側近で、この唐津の地に封ぜられていましたが、関が原の戦い(1603年)で徳川方につき、家康から天草4万石を加増され、同時に唐津城の築城にも着手しました。

  築城に当たっては、廃城となった名護屋城の解体資材が使われたとされ、上の写真や地図からも分かるように、なかなか堅固な城でしたが、天守については天守台のみで、天守閣は存在しませんでした。これは仙台城(青葉城)などもそうですが、この時代の特に外様大名の城には一般的なことです。



  お城が好きな方ならすぐに分かると思いますが、現在の天守閣は1966年(昭和41年)に建てられた模擬天守に過ぎません。その他、石垣、堀、櫓や門などが一部再建されています。



  天守閣より唐津湾の眺望。文禄・慶長の役では兵力や物資の輸送を担当、西国諸大名との折衝や土木工事など実務能力に長けていた広高は、この唐津の新田開発にあたり、海辺に厚い防風林を造成しました。これが日本三大松原として現在も残る「虹の松原」です。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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