会議中やし
いわゆる標準語というものがあって、それ以外は方言だとすると、日本人なら、標準語と、自分の生まれ育った地域の方言、仕事の関係などで長く生活した地域の言葉は聞き取るのにそんなに苦労はしないでしょう。また、関西弁はテレビで聞く機会も多く、日本人にとってなじみのある言葉になっているのではないでしょうか。ですから、何を言っているのか全く分からないということはありませんね。
ディクテーションの対象になるのは、講演のような、標準語で丁寧に話しているものばかりではありません。会議やインタビューなどもあるので、方言で、しかもふだんの会話に近い話し方でわいわいがやがやというものもあります。こうなると、聞き慣れていない方言の場合、特殊な言い方はもちろんですが、接続詞も、語尾もほとんど聞き取れません。したがって、話の流れがつかめず、それでまた余計に聞き取れないという悪循環に陥ります。
私は、東日本の方言にはなじみがないので、例えば、東北の人が「分からんでしょうね」と言っても、よほど録音状態がよければ別ですが、そうでなければ「分かるんでしょうね」と聞こえます。これがなぜ「分からんでしょうね」だと分かったかというと、たまたまインタビュアーが直後に「分からない、そうですか」と言ったからです。え、分からないって言ったのか、今のは・・・、それで、もう一度注意して聞き直すと「分からんでしょうね」と聞こえる、こういう具合で、日本は狭いようで広いなぁ、っていうか、もっとちゃんと録音してよ~。
いわゆる標準語というものがあって、それ以外は方言だとすると、日本人なら、標準語と、自分の生まれ育った地域の方言、仕事の関係などで長く生活した地域の言葉は聞き取るのにそんなに苦労はしないでしょう。また、関西弁はテレビで聞く機会も多く、日本人にとってなじみのある言葉になっているのではないでしょうか。ですから、何を言っているのか全く分からないということはありませんね。
ディクテーションの対象になるのは、講演のような、標準語で丁寧に話しているものばかりではありません。会議やインタビューなどもあるので、方言で、しかもふだんの会話に近い話し方でわいわいがやがやというものもあります。こうなると、聞き慣れていない方言の場合、特殊な言い方はもちろんですが、接続詞も、語尾もほとんど聞き取れません。したがって、話の流れがつかめず、それでまた余計に聞き取れないという悪循環に陥ります。
私は、東日本の方言にはなじみがないので、例えば、東北の人が「分からんでしょうね」と言っても、よほど録音状態がよければ別ですが、そうでなければ「分かるんでしょうね」と聞こえます。これがなぜ「分からんでしょうね」だと分かったかというと、たまたまインタビュアーが直後に「分からない、そうですか」と言ったからです。え、分からないって言ったのか、今のは・・・、それで、もう一度注意して聞き直すと「分からんでしょうね」と聞こえる、こういう具合で、日本は狭いようで広いなぁ、っていうか、もっとちゃんと録音してよ~。