以前に広電宮島口駅の周辺整備工事の進捗状況を時折り紹介していたが、長らく御無沙汰であった。昨日久しぶりに訪れたがこの画像撮影時に大粒の雨が突然に降り出し傘もなく早々に退散した。画像を見ると競艇場側に高い防潮堤が出来ており、観光客用アクセス道路(赤崎3号線)周辺は何かの整備が行われるのであろうか。
以前に広電宮島口駅の周辺整備工事の進捗状況を時折り紹介していたが、長らく御無沙汰であった。昨日久しぶりに訪れたがこの画像撮影時に大粒の雨が突然に降り出し傘もなく早々に退散した。画像を見ると競艇場側に高い防潮堤が出来ており、観光客用アクセス道路(赤崎3号線)周辺は何かの整備が行われるのであろうか。
昨日紹介した鳴川の石畳があるところに弾丸鉄道用地の範囲を示すコンクリート杭が数ケ所みられる。また、八坂神社参道登り口脇にもコンクリート杭が数ケ所みられる。弾丸鉄道は日中戦争に伴う軍事輸送の激増に対処するために計画された高速新幹線で、用地買収もされていたが後に別のルートで現在の山陽新幹線が開通したのである。
大野地区の海岸線の多くは護岸工事が行われており自然海岸はところどころのわずかしか残されていない。昨日紹介したフマキラー広島工場の西側に自然岩礁の蛭ケ崎鼻が残されており、工場側にある潮廻し部分も自然岩礁のようである。
フマキラー広島工場沖の堤防道を進んでいるとフマキラー広島工場内にガラス張りで見たことが無いような近未来的な外観の工場内施設があった。なんと工場周囲の外構塀にもガラス板が嵌め込まれたものであった。
大野地区の大国新開先端護岸に設置されていた新開鼻灯台がなくなっており、基礎のコンクリート破片が残されていた。大野瀬戸の最狭部にあったここの灯台(中画像)は明治32年(1899)5月に設置されていたが、平成20年(2008)10月に廃止撤去されたようである。
国道2号線下を通る宮島口連絡地下通路の壁面に「厳島94迎(むかえる)」と「厳島94歓(よろこび)」と題した大きな壁画が設置掲示されている。厳島神社の蘭陵王の舞人を多く描いている洋画家北田和広が平成6年(1994)に制作したもののようである。
国道2号線下を通る宮島口連絡地下通路の壁面に「いもせの滝」「べにまんさくと湖」と題した陶画が設置掲示されている。近くにある宮島焼(お砂焼)の窯元川原浩二氏の作品のようである。
宮島口旅客ターミナル前のロータリーに設置されている舞楽「蘭陵王」の像で宮島口ライオンズクラブにより寄贈されたもののようであるが、作者については定かでない。厳島神社蔵の陵王面は国の重要文化財に指定されている。(厳島神社発行絵葉書・芸藩通誌より)
時折り紹介している新設なった広電宮島口駅の周辺整備工事の進捗状況で、現在国道2号線から分岐しての観光客用アクセス道路(赤崎3号線)の工事が行われている。現在アクセス道路の宮島口駅側の工事が行われているようである。
時折り紹介している新設なった広電宮島口駅の周辺整備工事の進捗状況で、現在国道2号線から分岐しての観光客用アクセス道路(赤崎3号線)の工事が行われているが、現状ではどのような道路形状になるのかは不明である。
沖塩屋2丁目付近にあった宮島耐火煉瓦工場で大正6年(1917)に設立され装飾煉瓦の製造を約10年間くらいしていたようであるが事業不振で閉鎖されたようである。どのような装飾煉瓦を製造していたのか定かでないが下画像は煉瓦焼成窯のようである。
国道2号線から宮島競艇場前の広電宮島線赤崎第2踏切を渡った所に大野海岸(柿ノ浦地区)高潮対策事業護岸工事と表示された看板があった。以前に国道2号線の丸石浜で台風や強風時に高潮による通行止めが報道されていたことがあったが、ここの護岸でも高潮対策の工事が行われるようである。
時折り紹介している新設なった広電宮島口駅の周辺整備工事の進捗状況で、現在国道2号線から分岐しての観光客用アクセス道路(赤崎3号線)の工事が行われていた。現状ではどのような道路形状になるのかは不明である。
現在国道2号線から分岐しての観光客用アクセス道路(赤崎3号線)の工事が行われていた。既設道路部分のみに残されていた宮島線のレールもすでに無くなっており仮設の自動車道と歩道が設けられていた。
立体駐車場の脇には管理棟であろうか足場がなくなり建物が現れだしていた。
以前に旧宮島口駅構内に古レールを加工した架線用の電柱が6ケ所残されており、その内の2ケ所はまだ電線が残されているので通電中なのであろうかと記した。現在も2本が残されており通電中のようであり、昨日紹介した電線共同溝との関連があるのかも知れない。