『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

羅漢渓谷の旧国道を歩く-②

2022年01月27日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

羅漢渓谷の小瀬川沿いにある雪が所々残る旧国道を歩いていると道脇に石仏が祀られたお堂がみられ、石仏には天明八年(1788)申九月と刻されていた。人里から離れた山中であり江戸期の地誌によると栗栖村の山中で木地屋が稼業していたことが記されているので、天明の飢饉の際資力のあった木地屋によって建立されたのではなかろうか。

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羅漢渓谷の旧国道を歩く

2022年01月26日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

羅漢渓谷の小瀬川沿いの国道186号線で山が迫って拡幅不能ケ所は別ルートで開通しており、雪の残った旧国道を久しぶりに歩いてみた。国道時代名残りの国道186号ルート標識と注意標識が残されていた。旧国道脇にはバブル期に設けられたものであろうか庭園風に造られた某店の天然水(湧水)汲み場があるが現在は訪れる人もないようで荒れ気味である。

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謎の石像再び

2022年01月25日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

先日紹介した謎の石像については帰り際に見たので、再度訪れてカフェテラス北山のオーナーにお尋ねしたが、前所有者時代のもので良く分からないとのことであった。宮崎県や鹿児島県でみられる田の神像のようであるが古い時代のものではなさそうだ。
カフェテラス北山のカシミールカレーは具の肉や野菜もゴロゴロと大粒であり、スパイシーな香りとコクと深みて汗をかきながら美味しく頂き癖になりそうな味である。

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謎の石像

2021年12月13日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

羅漢渓谷の小瀬川沿いにあるカフェテラス北山の駐車場脇に見たことが無いような石像2体がみられた。両石像共に杓子を持っているのでネットで調べてみると他地方でこのような像が田の神として祀られているようであり片方はスリコギを持っているようである。
当地域では見たことが無い像であり石質も当地方で産出するものではないので他地域から移設されたのではなかろうか。

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防災ポスト

2021年11月01日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

飯山地区内に郵便ポスト、掲示板と見たことがない黄色のポストが設置されており、ポストには防災ポストと記されていた。緊急避難するときに所定の用紙に避難先を記してポストに投函するようで、超限界集落地といわれる地に設けられているようである。

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飯山河内神社の秋祭り

2021年10月31日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

飯山地区にある河内神社を参詣したら山鎮神事、世計神事など秋祭りの祭礼が行われたようである。拝殿に架けられている注連縄や神木に巻かれた藁蛇が細い縄で作られており在住者が少なくなって作成が難しくなっているようである。

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針山集落の今

2021年10月29日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

昨日紹介したこしき峠からかつて針山集落の中心部とされていたところを遠望。針山集落には昭和49年の戸別地図をみると20数軒が居住されていたが、現在は県道119号沿いに4軒の空き家がみられるのみである。かつて画像向うの家は商店を手前の家はバイク店をされており、商店の向う側には中道小学校があったところであったのであるが・・・

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こしき峠碑

2021年10月28日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

中道地区手前にある針山地区の尾根越えに建立されているこしき峠碑で江戸期の地誌に井手として「下こしき」と絵図に「コシキ」地名がみられる。
佐伯町誌などではこのこしき峠に向かう「こしき坂」で、頼山陽が若き日津和野を経て有馬温泉に行くときに『甑坂』「行覚渓雲脚下生 危巌夾水一橋横 登登峡路天将黒 聞断渓童搗紙声」と詠ったとされている。はたして津和野街道からはずれたこのような脇道を通ったのであろうか・・・ また、浜田往還の浜田市旭町の越木坂で詠ったとの説もある。

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市域の旧町村誌(史)-佐伯町誌

2021年05月27日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

 

旧佐伯町で刊行された佐伯町誌で資料編一は昭和56年(1981)3月31日、資料編二は昭和59年(1984)3月31日、本編が昭和61年(1986)3月31日に発行されている。資料編一には重要文化財に指定されている文書、村関係資料、諸家所蔵文書、転載文書など収録、資料編二には佐伯町所有資料、諸家所蔵文書、碑文・社寺遺文などが収録されている。
本編には私たちの町・佐伯町編で佐伯町の生い立ち、佐伯町の自然環境など4章、町域の歴史編で前史時代、古代、中世、近世など記述、文化編、民俗編など記述されている。

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金太郎-絵馬と蔵飾り

2021年02月14日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

昨日金太郎の蔵飾りを紹介したので以前にも紹介したが金太郎関連の絵馬と蔵飾りを紹介する。上画像は所山地区の河内神社に掲額されている「山姥と金太郎図」で嘉永7年(1854)に描かれ奉納されている。下画像は原地区にある民家土蔵の蔵飾りで牛に乗った金太郎が漆喰細工で表されている。

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文字の蔵飾り

2021年01月24日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

玖島地区を走っていると民家土蔵の蔵飾りで福寿と表されているものがみられる。当家の幸福で長寿を祈念して表示されたものであろう。他所の蔵飾りでは福の字・寿の字のみのものもみられ何れも縁起の良い漢字でありこの字が用いられたものとみられる。

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旧石州往還道(県道294号・虫道廿日市線)探訪

2021年01月21日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

泉水峠付近で林道工事が行われていることを以前紹介した。玖島方面から車が通れる道で泉水峠との中間付近から藪化した旧石州往還道(県道294号・虫道廿日市線)が残されている。林道工事で消滅してしまうかも知れないので探訪してみた。往還道跡は小笹や雑木が茂ってほとんど藪漕ぎ状態であり一部画像のようなところもみられた。途中で松の倒木に大きなサルノコシカケが生えていた。

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玖島診療所跡

2021年01月10日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

昨日紹介した玖島村の中枢であった玖島村役場跡の地にかつて玖島診療所があったが平成31年(2019)に閉院となって建物が無くなっていた。昭和49年(1974)の住宅地図にみられる玖島地区の唯一の医療施設が無くなってから広島市の医師が地元の要望に応え昭和56年(1981)に開設されていたようであるが・・・

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旧玖島村の中枢-玖島村役場跡

2021年01月09日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

かつて玖島村の中枢であった玖島村役場の跡で、昭和49年(1974)の住宅地図をみると派出所、保育所、東公民館、法務局などがあったようである。現在は平成24年(2012)に廃園となった玖島保育園の建物と訪れる人が少ない佐伯歴史民俗資料館があるのみである。

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布ぞうり

2021年01月08日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

玖島地区にある佐伯歴史民俗資料館の上履き箱に懐かしい布ぞうりが沢山並べてあった。当ブログ主が子供の頃は藁ぞうりを履いて遊んでおり、小学校低学年のころ上履きはボロギレで編んだ布ぞうりを履いていたものである。

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