旧玖島村の中心地であった村役場や法務局の東側には大地主で庄屋、割庄屋、戸長を務め貴族院議員を輩出した八田家の屋敷がある。
屋敷には当時の長屋門と米蔵が残されており、門柱には明治期の武一騒動の際に切り込まれたという刃物の痕が残されている。
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