山口市大内氷上にある大内氏の総氏寺であった氷上山興隆寺・北辰妙見社の現在で、妙見社と中興堂、鐘楼が残されている。大内氏全盛時代には古伽藍図をみると多くの塔頭が並んでいたようであるが、大内氏滅亡後に衰退し江戸期には脇坊が5坊あったが明治期の神仏分離令で寺社領がなくなり昔の面影は無くなったようである。鐘楼の梵鐘は享禄5年(1532)に大内義隆が寄進したもので国重文に指定されている。先日紹介した桜尾山の妙見社は大内氏の氏神である北辰妙見社を勧請して祀られたものと思われるのである。
山口市大内氷上にある大内氏の総氏寺であった氷上山興隆寺・北辰妙見社の現在で、妙見社と中興堂、鐘楼が残されている。大内氏全盛時代には古伽藍図をみると多くの塔頭が並んでいたようであるが、大内氏滅亡後に衰退し江戸期には脇坊が5坊あったが明治期の神仏分離令で寺社領がなくなり昔の面影は無くなったようである。鐘楼の梵鐘は享禄5年(1532)に大内義隆が寄進したもので国重文に指定されている。先日紹介した桜尾山の妙見社は大内氏の氏神である北辰妙見社を勧請して祀られたものと思われるのである。
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