昨日紹介した厳島大明神夏焼社脇の覆屋の中にある鉄燈籠の笠、火袋、中台、基礎部分が残されており、錆で表面はボロボロになっている。江戸期の寺社由来によると当神社には4基の鉄燈籠があったようでその内の一基である。寺社由来にかつての銘文が記されており「永享九丁巳年八月吉、山代庄宇佐村長兼、大工藤原朝臣安信」とあり、この鉄燈籠を寄進した長兼は宇佐の刀祢職を務めた讃井氏(後に宇佐川氏を称す)とみられ、大工の安信は、「信」の通し字を用いている廿日市鋳物師の山田氏とみられるのである。 拙稿「宇佐の鉄燈籠鋳工についての一考察」参照(山口県地方史研究 第65号・安芸国鋳物師の鋳造活動 所収)
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