上平良大原地区にある都地蔵で田舎にあるのになぜか都・・・
江戸期の地誌にはミヤコ垣内という地名がみられ、明治期には都垣内という地名と都姓の家があったようである。近くにミヤコ井手があり井手の守り地蔵であるという人もいた。
大正頃に藤岡文学士(学者であろうが詳細は不明)は「国庁所在地ハ大原都地蔵ノ辺ナランカト思ハル」と滑稽な説を出している。
この地蔵さんは県道廿日市環状線の用地内になるためいずれどこかに移転することになるようだ。
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