先日来紹介してきた宇佐八幡神社と玉蔵寺は西中国山地で挽造活動していた木地屋との関りがあった。匹見町の某家所蔵の筒井公文所木地屋由緒書(縁起書)の末尾に「・・・文政二己卯龍五月吉日、此木地師小椋十七八、周防国玖珂郡山代宇佐八幡宮神主、広瀧口、藤原勝猛、七十壱歳」とあり、筒井公文所が発給した承久二年とある由緒書を文政2年(1819)に何故か宇佐八幡宮神主が複写しているのである。
玉蔵寺の境内墓地には2基の木地屋墓碑がみられ、また当寺に葬られたと記されているが墓碑を確認できなかったものもあり、当寺は山代木地屋の菩提寺であったようである。
拙稿「西中国山地の木地屋」参照(廿日市の文化 第24集)
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