太田川沿いの県道296号吉和・戸河内線を下っていると道路脇に打梨小学校舎跡と中学校舎跡及び付属建物が残されている。両校が設置されてからの沿革などは不明であるが、昭和40年(1965)に中学校が、昭和46年(1971)に小学校が統合廃校となっているようである。小学校舎は改装されて集会所として使用されていたようであり、中学校舎のポーチ屋根部分や軒裏、床下換気口など設置された当時の洒落たデザインなどをみることができる。周辺の谷沿いには集落跡はあまり見られずどこから小中学生は通っていたのであろうか。
太田川沿いの県道296号吉和・戸河内線を下っていると道路脇に打梨小学校舎跡と中学校舎跡及び付属建物が残されている。両校が設置されてからの沿革などは不明であるが、昭和40年(1965)に中学校が、昭和46年(1971)に小学校が統合廃校となっているようである。小学校舎は改装されて集会所として使用されていたようであり、中学校舎のポーチ屋根部分や軒裏、床下換気口など設置された当時の洒落たデザインなどをみることができる。周辺の谷沿いには集落跡はあまり見られずどこから小中学生は通っていたのであろうか。
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