浅原地区小田原の道路わきに旭日中授章授章記念碑があった。地元で長年政治家活動をされた安井耕造氏の顕彰碑である。
昨夜は宮島の花火大会が行われ遠く離れた地からきれいな花火を眺めた。昨日の朝フジグラン付近を徘徊していたら、宮島の対岸にあたる護岸に花火見物の場所取りが行われていた。いやなものをみた。
吉和地区内には何ケ所か木造の公衆便所が設置されている。この地は木材資源の豊富なところでありこれらを使用した斬新なデザインのものである。
廿日市市役所の南側、木材工業団地の一角にある作業所の屋根に小さな風力発電機が設置してある。どの程度の発電量があるのかはわからないけれど、海から吹く潮風を受けてプロペラは回転していた。
友和保育園前に大きなタヌキが交通安全を呼びかけている。このタヌキは呑み助か交通安全の呼びかけに大きな酒徳利を持っているが・・・飲酒運転は厳禁ですよ!
七尾中学校の校舎で西広島バイパス側の古い校舎が現在解体中である。昭和30年代後半から40年代前半に建築されたものであるが、バイパスの騒音や老朽化によって撤去されるのだろう。
旧佐伯町の公共の汚水・雨水排水管マンホール蓋である。旧佐伯町の「町の木」は赤松、「町の花」はサツキで、特産品は錦鯉でありこれらがデザインされたマンホール蓋である。
御手洗川沿いにある道路を通っていると歩道の手すりに鮮やかな花の絵が浮かび上がってくる。手すり子一本一本に描いてあるのだが近づくとなんだか解らない・・・が、斜めから見ると絵になって道行く人の目を楽しませている。
毎日うだるような暑さであるが宮内地区の工場では屋根上にスプリンクーラーを設置し散水していた。工場の屋根はスレートと鉄板であり作業場内は相当の高温になるために散水して温度をさげ作業効率をあげているのだろう。
地御前地区の道路と建物との境に懐かしい津田式ポンプが残っていた。吐口を下ろして上側の口から出る水をパイプで風呂に汲んでいた。子供の頃風呂の水汲みはきつい手伝いであった。
居舟の滝は経小屋山の北側から松ケ原地区に流れる小さな谷川にある滝である。大きな岩の斜面を流れるような滝であるが水流が少なく水質もあまり良くないようである。大野町史には「大野では原の滝といわれ松ケ原では湯舟の滝といわれている」とあり、現在では湯舟の滝と呼称されている。しかし、芸藩通志には居舟(すゑふね)瀑と記されておりいつの時代かに誤った現在の呼称になったのである。
津田から浅原に向かっていたら屋根、壁がスレート仕上げの一見作業場風の建物にこの地特産品である錦鯉と仏像が描かれていた。波板にうまく描かれており看板状のものが建物内にみられるので看板画家の工房だろうか。
旧吉和村の「村の木」は八郎川流域で産出される八郎杉であり、この杉を利用した案内表示のポールが吉和保育所前に建てられている。八郎川流域では広葉樹林から杉の植林がされて、八郎杉と名が付けられるような木材になって産出しているのだろうか。
大野地区の中山川上流で王舎城の脇を進んで行き林道の終点付近に白糸の滝はある。上部3分の1部分が垂直に落ちており、下部3分の2部分は岩斜面を白しぶきをたてながら流れている滝である。
佐伯地区の浅原にある重山川に架かる河原橋で、通常はコンクリート製であるがこの橋は近辺では見られないような立派な橋である。橋石柱には旧佐伯町の花「さつき」が彫られており、欄干には特産品である錦鯉が飾ってある。
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