宮島サービスエリアの下り線広場になぜか朱の大鳥居が建立されている。鳥居の先には厳島神社のある宮島が見られるが鳥居額には交通安全とある。隣接地には大きな石造のモニュメントがあったが取除かれてこの鳥居が・・・・ポチッとね!
須賀地区にあり現在廿日市聖母マリア幼稚園の車庫として使用されている。広電バスの廿日市営業所を起点として営業していた郊外バスの車庫で、昭和40年代頃まで使用されていた。ポチッとね!
佐伯地区の所山から助藤に向かう途中の小瀬川支流大虫川渓谷「万古渓」にある孫淵と言われている大きな甌穴である。長い年月の水流によってこのような自然の景観が造られたのだが・・・・コンクリートの遊歩道は・・・・ポチッとね!
廿日市木材港には外国からの輸入木材が山積みにされており、ここで木材の防疫消毒をしている。廿日市を中心として大繁殖しているアルゼンチン蟻も木材から進入だそうだ。アルゼンチン蟻の大行列をみると体全体がかゆくなる・・・・ポチッとね!
吉和地区で草葺きの民家は数棟しか残っておらず、吉和インター近くで主の居なくなった草葺き民家が崩壊し始めている。農山村には草葺き屋根の民家がよく似合うのだが・・・・しかし、維持管理は大変だ。ポチッとね!
山陽道下り線宮島サービスエリアの宝くじ売り場から当たりくじが何本か出ておりよく当たる売り場だそうだ。ここで宝くじを買って唐津市の宝当神社にお参りしたが・・・・・ポチッとね!
対岸には宮島を望む地御前地区の海沿い高台に斬新なデザインの建築がある。目の前は海で対岸には宮島をはじめ瀬戸内の島々が一望できる絶景の地であるが・・・潮風は強く当たりそう・・・・ポチッとね!
宮浜温泉の一角にある京都大学原爆災害綜合研究調査班の遭難記念碑で、この地にあった陸軍病院で原爆被災者の診療・調査・研究にあたっていた。しかし、台風による土石流で多くの犠牲者がありこれらを追悼するためにこの記念碑が建立された。ポチッとね!
浅原地区の小田原にある民家の築山石積みの上にずらりと石臼が並べてある。農家で使っていたものより少し大きめなものとみられるが何に使用されていたものだろうか・・・・ポチッとね!
御手洗川と市道の間に散策小公園のようなスペースがあり中ほどに洒落たデザインの石組みがある。市域にホッとするような空間がどんどん作られるといいな・・・ポチッとね!
津田地区にある教覚寺の山門は江戸時代に建てられたといわれ、いまどき珍しい草葺きの屋根である。草葺き職人の減少と防火上の問題があり、今は草葺き屋根をみることはほとんどできない。ポチッとね!
原地区から葛原に向かう酷道(国道)433号線に架かる小さな橋のたもとに「さるわたりはし」と刻された自然石が立てられている。地名が「さるわたり」なのだろうがなぜたてられたのだろうか?・・・・ポチッとね!
中道地区の最奥部で見られた丸木橋である。昔はこのような丸太で作られた木橋が多く見られたが、現在ではあまり見ることがない。ポチッとね!
木の町廿日市、木材団地内にある木材会社の前庭に立てられているトーテム・ポールである。北米から多く木材が輸入されていたことからこのトーテム・ポールが立てられたのだろうか・・・・ポチッとね!
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