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不動明王像
矜羯羅童子像
制多迦童子像
多聞天像
増長天像
玖珠町からほど近くの九重町松木の道路脇にある瑞巌寺摩崖仏を探訪した。凝灰岩の崖窟に彫られた5体の摩崖仏があり、中央に不動明王像と両脇に脇侍の矜羯羅童子、制多迦童子像、さらにその両側に多聞天像、増長天像が浅い浮彫りされている。制作は室町時代中期ごろのものとみられているようである。(大分県の文化財)
玖珠町森には森藩の陣屋があったところで陣屋の遺構は残されていないが、藩主御殿庭園など旧久留島庭園として三島公園の一角に残されている。陣屋町並みには当時の面影を残した町家は殆ど見られないが、カネジュウ館、粕屋と表示され2棟並んだ町家は古い時代の面影を残した唯一のものである。街並みの中にかつて公の施設であったのだろうか洋風建物が1棟みられた。
当ブログ主は鉄ちゃんではないが玖珠町を訪れたので豊後森機関庫跡と2台の蒸気機関車を見物した。現在JR玖珠町駅近くに豊後森機関庫公園として整備されており、転車台と扇型の機関庫が残されている。機関庫棟には12両の機関車庫と付属施設があったようであるが老朽化が激しい。
敷地内には蒸気機関車があり看板表示によると大正8年(1919)に製造されたようで長崎本線や唐津線を走って昭和49年(1974)に廃車、福岡県志免町の公園に保存されていたが、平成27年(2015)に豊後森機関庫公園に移設保存されたようである。(29612)、もう一台は森藩陣屋跡の三島公園に保存されており、昭和19年(1944)に製造され北九州を走っていたようで、昭和46年(1971)に廃車となり三島公園で保存されたようである。(C11270)
先日紹介した石橋がある宇佐市院内地区を過ぎて玖珠町方面に向かっていると宇佐のマチュピチュと表示のある大きな看板があった。看板の上側に駐車場が設けられその上の高台には展望台が設けられていた。展望台から西推屋の集落方面を見ると(上画像)、よく画像でみるマチュピチュの山や遺跡と一寸似ている。展望台にはペルーのマチュピチュ画像(下画像)が表示されており、似ているからか宇佐のマチュピチュと称したようである。高台には売店や便所が設けられ紅葉シーズンには多くの観光客が訪れるのであろう。
今秋は台風でハゼの倒壊があったが、なんとか秋の収穫が終わったので例年の如く米俵を作った。稲藁の芯を使うためにアクタを取り除いて準備をし、俵の胴体部のコモを編む機具でヒモの上に藁をのせて紐を法則的に交差させ、藁の向きを交互にして必要目数まで順次編み上げていく。編みあがったコモを筒状に編み紐で結び、コモの端部分を折り曲げて紐で亀の甲状に編み上げていき、片端部を編み上げて袋状になったコモの中に米袋を入れて新米を詰める。
米を詰めてコモの上端を折り曲げて他端と同じように紐で亀の甲状に編み上げていく。胴部分の両端ケ所に横縄を二周回して男結びとし、2本の縦縄を十の字として端部の編み上げ端を通し、横縄部分で一回りして他端中央で飾り縄に紐で結び、横縄を中央部に回して男結びとする。突起の飾り縄部分に色紙を巻き水引で結んで完成である。 新米の米俵は今年も元気であった証としてしかるべき所に・・・
何度か紹介している陸稲の天日乾燥が終わったが脱穀機にかけるわけにもいかず、千歯扱ぎも無いので手で稲穂を取った。シイラ(実の無い穂)、小米が沢山あったが、来年用の種籾を残して籾摺し精米をしたら3合ばかり採れたので陸稲の新米をおいしく頂いた。
分寺橋
鳥居橋・富士見橋
鷹岩橋・荒瀬橋
御沓橋・櫛野橋
天ケ瀬温泉に行く途中の宇佐市院内町を流れる恵良川水系には広島地方では見られないような石橋が75ケ所もあるようで、その内の分寺橋、鳥居橋、富士見橋、鷹岩橋、荒瀬橋、御沓橋、櫛野橋の7ケ所を見物した。単アーチや2連、3連、4連アーチと川幅に応じた石橋がみられたが、道中であり撮影ポイントを探すことが出来ず逆光などでうまく画像を撮ることが出来なかった。
先日紹介した鷹栖吊り橋を渡った対岸の崖にある鷹栖観音堂で、立地は違うけれど鳥取県の三徳山三佛寺投入堂を思わすような垂直に切り立った絶壁の窪みに江戸期に建てられたという観音堂御堂がある。近くに大分県内最古の石橋「とくしん橋」があったが草が茂っており画像にならなかった。
宇佐市院内町を流れる恵良川には広島地方では見られないような石積みの橋が多く見られた。画像はアーチ橋の分寺橋である。帰宅して又紹介します。今日はどこにいこうか・・・
本日、早朝より豊後路を探訪した。愚妻の節目祝いに子供達より天ケ瀬温泉のプレゼントで道中をブラブラ探訪した。画像は珍しい鷹栖吊り橋。宿泊山荘よりタブレットで更新。
昨日、洞雲寺境内で雑貨屋、食べ物屋、古道具など様々なブースが並んでおり賑わっていた。この催しは5月8日の洞雲寺縁日と昨日開催されているようである。かつて洞雲寺の縁日(花祭り)には山陽本線脇の参道入口から鐘楼門前までずらりと露店が並んでおり植木屋露店が多いのが特徴的であったが・・・ 洞雲寺門前には違った形の賑わいが戻ってきた。
都市計画道路の畑口寺田線は佐方川の手前まで完成しており、現在佐方川を越えた以前の佐方フラワー通り沿いに高架橋梁の基礎工事が行われている。佐方川は天井川であり旧佐方フラワー通りは低い位置にあるのでスロープの橋梁が架かるようである。
洞雲寺の本堂横手にある金岡水囲い内部上部に「金岡水」扁額が掲げてある。筆者は当寺22世の圓巌瑞明である。また、入口上には圓巌瑞明代、明和2年(1765)に大興山濟法禅寺の蔵明禅師が記した「金岡水記」が掲げてある。(5月8日 洞雲寺縁日撮影)
洞雲寺の本堂裏手にある開山堂入口上に掲げてある「真常殿」の扁額で、筆者は宇治の興聖寺22世の奥龍玄楼(1720~1813)である。奥龍玄楼は諸国に遍歴したようであり、ここ洞雲寺にも立ち寄ったのであろうか。(5月8日 洞雲寺縁日撮影)