ゆめタウン廿日市の1階通路に置かれていた上画像の大けん玉が見当たらなくなったなと思っていたが3階のダイソー前に設置されていた。表示には「ゆめタウン廿日市・(株)タハラ共同企画」とあった。ウオーキング途中の倉庫内に雑多に物が置かれており、下画像の大きなけん玉が窓越しにみられた。けん玉には網目状がみられるので樹脂製のものであろうか。
子供の頃の遊び道具はニッサン・パッチン・マブロなどでけん玉とは言っておらずニッサンと言っていたが・・・
ゆめタウン廿日市の1階通路に置かれていた上画像の大けん玉が見当たらなくなったなと思っていたが3階のダイソー前に設置されていた。表示には「ゆめタウン廿日市・(株)タハラ共同企画」とあった。ウオーキング途中の倉庫内に雑多に物が置かれており、下画像の大きなけん玉が窓越しにみられた。けん玉には網目状がみられるので樹脂製のものであろうか。
子供の頃の遊び道具はニッサン・パッチン・マブロなどでけん玉とは言っておらずニッサンと言っていたが・・・
ウオーキング途中の伊勢神社から極楽寺山遠望すると綺麗に紅葉しているが、早くも伊勢神社の境内や参道には初詣の幟が立てられていた。中央の高い山は標高613mであり中世の星ケ城があったところで、右側の山は極楽寺参道沿いに標高518.36m、点名極楽寺の四等三角点があるところである。
以前、極楽寺山に向かう途中の道路脇で笹藪に埋もれつつある外車を紹介したことがあるが、現在は通りすがりよく見ないと見落としてしまうような状態となっていた。この車は米国ゼネラルモーターズのキャデラックのようであるが、レストアすればチョッとレトロな車で町中を走っていると振り向かれそうであるが・・・
羅漢渓谷の小瀬川沿いにあるカフェテラス北山の駐車場脇に見たことが無いような石像2体がみられた。両石像共に杓子を持っているのでネットで調べてみると他地方でこのような像が田の神として祀られているようであり片方はスリコギを持っているようである。
当地域では見たことが無い像であり石質も当地方で産出するものではないので他地域から移設されたのではなかろうか。
通常の注連縄は2本の藁束を捩じり綯っていき、もう1本の藁束を捩じり綯ったものであるが、少し変わった注連縄づくりに挑戦してみた。上画像は以前作っていたものであり2本の藁束を捩じり綯ったもの3組を次々と綯ったものである。下画像は2本の藁束を捩じり綯ったもの5組を次々と綯ったものであり、見たことがないような注連縄になるのである。
ウオーキング途中の民家に水車の一部残骸が現在も残されていた。中画像は昭和57年(1982)に撮影したものであるが当時もう可動はしていなかった、この水車は廿日市地域内で残存していたものでは最後のものであったものとみられる。下画像は遥か昔に伯父が作ってくれていた水車小屋の模型である。
先日紹介していた地域のold倶楽部の有志達による速谷神社の注連縄づくりで一昨日、飾り房の取り付けなど最後の仕上げをして拝殿前に新しく架け替え大小8本の注連縄や前垂れ飾りなど共に奉納した。
平良丘陵開発予定地内には極楽寺に参詣する廿日市参道があり、江戸期に廿日市町人の寄進で建立された里程碑がみられる。七丁碑は萬屋武吉、八丁碑・九丁碑は失われており八丁・九丁中間付近に四等三角点がある。点名は下平良で標高125.65mの三角点であるが笹藪に隠れ気味である。十丁碑は天明元年(1781)5月とあり樋上幸七、十一丁碑は失われており、12丁碑は辻 宮屋などの町人衆によって寄進建立されている。
平良丘陵開発予定地内には極楽寺に参詣する廿日市参道があり、江戸期に廿日市町人の寄進で建立された石仏や里程碑がみられる。石仏は宝暦13年(1763)に立石又兵衛、四丁碑は立石屋藤五良、五丁碑は木津屋平左衛門、(六丁碑には寄進者刻名無)などの町人衆によって寄進建立されている。
先日紹介した平良丘陵開発予定地内に昭和11年(1936)に築造された農業用の八ケ迫溜池がある。(上画像赤丸ケ所)この溜池の貯水量は7,000㎥であったが、弘法川下流域は早くからの宅地化などで農業用には利用されてなく、管理も行き届いてないようで溜池内には土砂が多く堆積しているのがみられる。
ウォーキング途中の原地区で、民家に車が衝突 ⁉ よく見ると民家の壁に切り取られた車の後部が取り付けられていた。見たことかないような車であり外車の後部であろうか。
大注連縄用のコモを3枚編んでコモで芯材を巻き込んだ3本を捩じりながら綯う作業が大仕事であり、拝殿に架ける大注連縄を作り始めてから今年で8回目となった。このほか斎館、儀式殿、注連柱などの注連縄と境内社の小さな注連縄、正月参道に架ける前垂れ飾りなどを手分けして作成した。房飾りなど最終仕上げは後日行う予定である。
今年も余すこと二十数日となり速谷神社では社殿などに架ける注連縄づくりが始まった。数日前に餅稲藁のアクタ取りを行って一昨日から大注連縄の薦編みを始めた。編み紐を巻き付ける鼓のような用具(下画像)を地方によりツヅラコ・コマ・カチコ・ツロロ・ツツラコ・ツツロ・ツツラなどと呼称されていたようである。
以前にも紹介したことがある架線用の鉄骨電柱に段付きレール(ステップレール)が使用されているものが宮島口駅構内で6基みられた。これらのレトロな電柱も今進められている整備工事によって取り除かれるものとみられる。
広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、以前に紹介した時より少しレールの敷設が進んでいるようである。線路列を跨ぐように巨大な駐車場進入路が築造されつつあり、スロープ部分はこれから築造されるのであろう。巨大な立体駐車場では外装工事が行われているようである。