かぶれの世界(新)

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今、何故「クリーンなタカ」なのか

2005-12-10 08:41:50 | 国際・政治
「2005年体制」の続編である。「2005年体制」を求める日本国民の民意をどう捉えるか、私の推測を交えて比喩的だが分かりやすい言葉で整理しておきたい。

冷戦下の日本政治のテーマは「平和主義と弱者救済」であり戦後日本の復興に大きく貢献した。基本的には国民は心情的に「総ハト派」であったと思う。所謂「55年体制」下で経済的には世界で最も成功した国になった。

しかし成功の過程で手に入れたお金(権益)は人々の心を曇らせ、やがてシステム全体を腐らせて行った。気が付くと国中の規律が緩み、あちこちで腐臭を放ち世界からの尊敬は消滅、アフリカの小国と同じ格付けを受けるほど恥ずかしい状態になった。

この「汚れたハト」は過去の成功体験からしか発想できず完全に自浄能力を喪失した。背骨や心臓となる官と金融機関は国中にバブルをばら撒き、健康なものまで腐らせてしまった。大阪など例に挙げるのは気の毒だが自ら選んでクソの中に住んでいるようなものだ。

概して地方のほうが状況は悪いようにみえる。施しを受けることを恥ずかしいと思わず、いつの間にか権利となり政治が歪んだ。「清貧」とか「武士は食わねど高楊枝」とかいう言葉は死語になってしまった。

そこへ「クリーンなタカ」が突如現れ既存体制をぶち壊すといって国民の圧倒的な支持を受けた。支持の理由は「クリーン」であって「タカ」ではないが、他に選択がないところまで追い込まれたのだ。つまり選択の基準は平和主義でも弱者救済でもなかった。このままではボツワナより下に格付けされてしまうという危機感であった。

そして、今退場しているのは「汚れたハト」であるが、官は中央・地方ともに既得権益を守ることに忙しく、言論人の殆んどは依然平和主義と弱者救済を主張している。官の悪行が毎日のように暴露されても実にしぶとく生き延びようとしている。

難しいのは、金融機関は腐っても日本経済の心臓であり潰せなかったように、官の背骨の役割を損傷すると国全体が麻痺するという大事態になるため、腐った臭い部分を残しながら治療するしかないことである。

日本人は歴史上自らを正すことが出来た民族であると思うが、どうにもならなく成った時しか出来なかった。世界大戦の総括も自ら出来なかった。アングロサクソンは乱暴だけどもっと早めに手術して背骨や心臓が酷くなる前に手を打てる民族である。更に言うと手を打つと直ぐに痛み止めを求めバランスを取る、サッチャーを放り出したように。

「2005年体制」はこのような状況から生まれようとしていると考える。選択はあくまで「クリーン」なのだが、古い世代の言論人が心配する「タカ」的要素が歯止めなく展開し、後世の人達が歴史的転換点であったと見る恐れがないわけではない。

「ハト」的には真に立派で見識があり尊敬できる人達も多い。しかし何故か「汚れた」ものに対する感覚がひどく鈍いと言わざるを得ないのである。今は国中の「金色をした糞」を清掃しないことには体中糞だらけになってしまう。既に血液に金色の毒が回った非常事態なのである。■


コメント
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