前例がないといわれるが、麻生新首相自身の内閣発表や、民主党に逆質問した異例の所信表明は、悪くないと思った。国民が知りたいことを聞いたからだ。参院で野党が過半数を占め、多くの案件で民主党が政府に代わって意思決定(をしないことを含め)してきたからだ。
私は小泉元首相の構造改革による「小さい政府」路線を支持してきた。麻生氏の政策は対極の「大きな政府」路線のようだが、自分流を貫く政治スタイルという点では小泉氏と似ている。両者ともに党の総裁選で圧倒的な支持で選ばれたが、国民の支持という点では大きな差がある。
国民の圧倒的な小泉支持に反して、マスコミは現在までずっと「小泉嫌い」と私は感じていた。小泉氏が従来とは異なる政治手法をとって国民の高い支持を得た頃から、マスコミは「小泉劇場」と呼び、巧妙に利用されていると認識し、マイナス面に偏って指摘しているように感じていた。
教育格差や所得格差などの拡大を、小泉政権が実施した規制緩和や行過ぎた市場経済が原因とする報道は、構造改革の影の部分にのみ焦点を当てて非難しているように私には聞こえる。だが、政治家の主張なら理解できても、このような報道姿勢は私には偏っており奇異に感じる。
何故、小泉元首相は長期間にわたって国民から圧倒的な支持を得たのか、しっかりと調査し論理的に分析することをメディアはやるべきだ。国民は愚かにも「小泉劇場に乗せられた」のだろうか、国民はそれ程馬鹿じゃなかったと私は思う。メディアにとって「小泉劇場」は、その先「思考停止」する合図のようだ。
小泉内閣は「聖域無き構造改革」を掲げ、郵政3事業及び道路公団を民営化、長年我国経済を停滞させた不良債権処理を断行して金融不安を解消させ、景気好転とあいまって株価を回復させた。私が最も評価するのは、改革の実行過程で、政官財の既得権益をベースにした政策決定プロセスを、経済諮問委員会を使い国民に開かれた透明なプロセスにしたことである。
この国のメインストリーム・メディアが「小泉嫌い」になったのは、小泉劇場の宣伝にうまく利用されたという苦々しい思いからだけではないだろう。実は、彼ら自身が従来の政策決定プロセスの中に既得権益を持ち、それが脅かされたからではないかという疑いが、私にはある。
しかし、考えて欲しい。誰が昔の既得権益でがんじがらめの、政官財の鉄のトライアングル主体の政策決定の時代に戻ることを望んでいるだろうか。勿論改革をすればするほど歪みが出る、常に見直しは必要だ。メディアには小泉構造改革の光と影をキチンと伝え、光の部分を守りかつ影に光を当てるバランス感覚が必要ではなかろうか。■