かぶれの世界(新)

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平均寿命世界一のコスト(続)

2009-09-20 17:18:16 | 社会・経済

「#$%&x!」女性の声がロビーから診察室からレントゲン室など病棟へ続く廊下に響いてきた。 声の方向に目を向けると、割と品のよい身なりの老婦人が自分の順番が遅いと看護婦に抗議しているようだった。品のよい身なりから醸し出される先入観と言葉の強さに違和感があった。

それは、私の住む市が40歳以上の市民に提供している無料健康診断を受けた時のことだった。毎年7-9月の3ヶ月間に実施されるが、9月に入り涼しくなった先々週あたりから受信者が急増したそうだ。定刻の9時半より10分前に病院に着いたのだが、既に待合室は受診者で一杯だった。

病院はある程度予想はしたものの、見た目には医者や看護婦が夫々の検査に並ぶ受診者の長い列の間を駆け巡って右往左往しているように見えた。世界に冠たる日本の製造業の効率的な生産ラインとは大違いで、あちこちにボトルネックがある非効率なものだった。

健診の為に前日夜9時から絶食してきた人の中には、11時頃になると空腹で待ちきれず苛立ってくる人が出て来るという。後から来た人より自分の順番が遅いと大声でクレームする冒頭の老婦人の一件が落ち着いた後、看護婦さんは慣れた口調で話してくれた。

私の健診が終った時は12時半頃だった。そういうこともありうると覚悟して本を持参した。こういう時受診者は文句を言うより余裕を持って笑顔で接したほうがいい。冗談を言って気分転換をさせ、大変だねと言ってハードワークに対し感謝の念を示すと、一生懸命やってくれポロッと病院の事情など話してくれる。お互いに気分が悪いまま物事を進めるよりよっぽどいい結果が期待できる。

今や医療はサービス産業で、消費者である患者はお客様という認識が行き渡っている。医者や看護婦もそういう雰囲気を出して仕事をしていたが、効率化という点では後発産業だ。この医療問題は種々指摘されているが、一方で患者側の問題で医療を劣化させている側面がある。

「お客様は神様」と言い黙っていても良いサービスは当たり前という、ビジネス論理が医療行為に持ち込まれて光と影の部分があると私は常日頃思っていた。こういう影の傾向は医療だけでなく教育・社会保障などの公的サービスの領域にも幅広く広がり、劣化させていると危惧する。

その中でも社会の安定剤となるべき老齢者世代の引き起こす社会の劣化が私には気になる。老人国になる日本で、その主要な部分の劣化が続く将来危機を恐れる。冒頭の健康診断で私にはやや醜悪と感じたシーンは、その一例を垣間見た気がする。彼等は単純に「待つ」ことが出来ないのだ。現実には「待たされる」という受動的な状態が犯罪になるケースが多いと報告されている。

昨今は社会全体に何かと政府に頼ろうとする傾向を感じる。中でも老人が苦境に直面し辛抱できなくなり、自己抑制や自力(近隣の助けも含め)で問題解決しようとしなくなったように感じる。それは介護や病気に苦しむ人達ではなく、いわゆる「すぐ切れる老人」達のことだ。近年の報道を見ると明らかに切れた老人世代の犯罪が多くなった。

メディアは目立つ若者の凶悪犯罪として個々の事件をセンセーショナルに報じるが、以前投稿したように若者世代の犯罪は戦後一貫して減少している。社会全体では改善してきているのだが。一方、高齢者の犯罪が過去10年急増していることが報じられてない。

平成20年度の犯罪白書によれば 、平成9年度から10年間で10代の一般刑法犯検挙人員は3分の2に減少したが、50歳以上の中高年検挙人員数は人口増加比率を上回る勢いで増えている。ざっと目の子で50代が倍、70代は4倍も増えているのだ。この増え方はどうにも異常だ。

私は今まで年金・医療費から交通事故まで高齢化社会のコストについて懸念を書いてきたが、どうも個別政策ではうまく対応出来ない、放置できない状況にあると危惧する。政府も当然気がついて手を打とうとして来たと思うが、今までのところ国民の共感を得る有効な手立てが無かった。

振り返ると個別対策より何か高齢化社会に対応した包括的なプログラムが欠けていたように私は感じる。多分それと並行して昔老人が尊敬された所以である知恵、辛抱とか自立心を取り戻して貢献する社会的運動みたいな雰囲気が社会全体に醸し出されないと難しいような気がする。

日本的文化の中では微妙な取り扱いが必要で、そこのところで今まではうまく行かなかった。日本軍隊では1日でも早く入隊した兵には服従するという極めて日本的な文化は今も続いている。総選挙惨敗後の自民党の総裁選で、老害全開の派閥のボスに退場を求めたのは始まりの始まりかもしれない。 

多くの若い議員が選ばれた民主党新政権にそれが出来るかまだわからない。個別対応は結果的にバラマキ政治の域を脱せず、いつか日本を夕張市化させることになる可能性がある。その恐れも無きにしも非ずだが、もう少し様子を見るべきだろう。■

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