東 |
京に戻る前に解決しておく問題が一つあった。梅雨の終りの暑い日、母の汗の臭いが酷くなったのに気がついた。水分不足による血糖値上昇を防ぐ為にヘルパーさんに麦茶を作ってもらい、いつでも飲めるようにペットボトルに入れてベッドサイドに置き、冷蔵庫の麦茶を切らさないようにした。水分を沢山取って汗をかくのは悪いことではないと最初思った。
だが、暑くなるに連れて母の汗臭くささは酷くなった。お風呂に入るよう何度も言ったが、一向に汗臭さは直らない。数日にわたり時間をかけて聞き、どうも風呂場で転倒したのが原因だった。早速ケアマネージャとヘルパー責任者、業者の方に来てもらい帰京前の週に対策会議をした。
母を加えて風呂場を見てシミュレーションし、湯船の底と洗い場に滑り止めマットを敷き、背もたれのある浴用椅子、出入り口と湯船の周りに手すりをつけることに決めた。その後ケアマネージャの手を借りて何枚もの申請書を作成、後日業者の見積もりを貰って市に申請したところで帰京した。
この後、介護保険の適用承認(多分7割程度)を得て、残金を支払う手続きは東京からやることになる。ケアマネージャに民主党政権になると良くなるのではと水を向けると、制度が変更されるといつも申請書の数が増え手続きが煩雑になるというクールな返事だった。
私が不審に思ったのは、何故母の汗臭さを朝夕介護してくれるヘルパーさんが気付き、風呂に入っていないと指摘してくれなかったのだろう。日常生活について母への問いかけをして変化の「気づき」をお願いしていたのに、やはり息子の私でないとダメなのかと思った。しかし、その翌週、つまり今週帰京後直ぐ、ヘルパーさんの助けがないと大変なことになる事が再発した。
食 |
事のカロリー制限をしている母のツマミ食いは常に頭痛の種だった。前回の血糖値急上昇事件の原因となったスイカについては、隣のオバサンに事情を話して食物をやらないでくれるよう念押しをした。まるで、動物に餌をやるなという注意書きみたいだがやむを得ない。
田舎にいる間、私が外出から戻ったっ時とか2階の書斎から降りて来る近づく足音を聞いて、冷蔵庫の前からそそくさと離れていく母の姿を何度か見た。最近は味噌汁用の豆腐から変更した「ふ」を食べている。ある時は、慌てたのだと思うが冷蔵庫の回りに「ふ」が散らばっていた。カロリーの少ない「ふ」なら良いとしても、味噌を舐めるのは問題なのでスティックの味噌に変えてもらった。
これで、やれることはやったと思って東京に戻ったら、3日も経たないうちにヘルパー責任者から異常な血糖値を伝える電話が入った。560以上あったというが、監視カメラの表示は260台だった。血糖値ボードは母が改ざんしたようだ。責任者も私も同じ心当たりがあった。
その日は母が2週間おきにかかりつけ医に診てもらう日だった。その後、徒歩でお店に行き食物を買って食べたと推測した。今回は放置できない。母の馴染みのタクシー会社に電話し、日誌を調べてもらった。往きは病院までだが、帰りは個人スーパーの前から乗せたことが分かった。病院とスーパーまでかなり距離があるが、食べ物の為になら母の足も強くなったようだ。
ちょうど母を乗せた運転手がいて、母の様子を教えてくれた。電話で事情を話すと、彼にも同じ病気の家族がいるそうで、良く分かると同情してくれた。しかし、だからといって解決にはならない。ケアマネージャとヘルパー責任者に調べた結果を説明した。その個人スーパーの店主は知り合いだが、事情は分かっても誰も母に食べ物を売るなとは言えない、対策も結論もまだ出てない。
2週間前に長男夫婦が祖母に顔見世に田舎に来てくれた時、家族皆で記念写真を撮った。その写真をパソコンに取り込んで全員にメールした時、見慣れている母の顔とあまりの違いにショックを受けた。まるで生きる屍みたいに肉付きが悪く色が抜けて生気が無かった。東京に戻る日の朝、母の顔はまだ血が通っており生気を感じたのが救いだった。2009年介護の夏は終った。■