前回投稿してからもう1ヶ月近くなる。退院してから母の様子は変わらないようだ。小康を保っているという表現は適切ではないかもしれないが、少なくとも見かけ上悪くはなっていない。バッドニュースは、私が傍にいると母は露骨に嫌がるようになった。
以前は少し我慢していたようだが、今は私の顔を見ると直ぐに帰れという。顔を見て5分だったのが、今では1分も経たないうちに帰れという。その時の母の顔が憎しみを帯びているように感じる。母が元気な時の私の思い出が表に現われているのだと思う。初めはショックだったが、今はもう考えないことにしている。顔を出すが、長居しない。
ということで、ホームに訪問するたびに相談員、介護士、看護婦といった人に母の様子を詳しく聞くことにしている。母は音楽会や塗り絵とかいったホームの行事には促されて参加するようになった。失禁も続いている。しかし、私を心配させるような事は積極的に言ってはくれない。
昔の仕事の経験でそういうことは有り得ると思っているので、現場に行って母の担当の介護士や食事係りにも様子を聞くことにしている。退院後も食欲の衝動は抑えられないらしく傍にあるティッシューまで口にし、母の身の回りから口にしそうなものを全て取り除いたそうだ。
バセドウ病の治療は進んでいた。以前担当医から聞いた2種類の薬を服用し、先週末に血液検査し白血球をチェックしたので、その結果を見ながら治療方法を変えていくことになるという。血糖値を抑えるための新薬はまだ投薬されてなかった。先ずはバセドウ病の治療ということらしい。ホームに看護士がいるので少なくとも医者がどういう治療をしているか直ぐ分かる。
総合すると小さなホームだが現場と事務の意思の疎通は十分あるように感じる。ホームは全国に展開されたチェーン施設の一つで、顧客満足度日本一を目指すという目標を掲げてオペレーションを改善しているという。よりよいものしていくという姿勢が見られ、いずれプラスに働くだろう。
先週1週間、大阪に住む妹が来た。春に息子の結婚式で会って以来だ。彼女は還暦を過ぎたが如何にも健康的だった。食事は質素で健康的、ポリシーを感じる。私は立派なことを言うが、やることは別で彼女ほど徹底できない。それが体型に現われる。だが私以上に能書きを垂れる。
彼女が実家に戻った翌日ホームを訪ねると、母は私に対して見せる憎悪のこもった表情を見せなかった。私は別の用事を済ませるために直ぐにホームを出て行ったが、後から聞くと妹も長居は出来なかったらしい。母の周りに誰かがじっといる感じが嫌なようだ。私だけでないと多少ホッとした。
妹を松山市内で拾って帰りの車の中で、義母は寝たきりでもう永くないと聞いているが、それでも何時会ってもとても気分が良い人だと、母の変化振りと結婚した頃を比べて思い出して言った。初めて家内の実家に行った時、手入れの行き届いた我が家と比べて驚いたが、出された食事の美味しさに感心した。
義母は大勢の家族に囲まれて幸せに暮らし、母は40年間寡婦で必死に生きてきた結果が表情に表れていると私は言った。そこで、妹が上手いこといった。「我が家はハード(入れ物)にこだわり、家内の実家は良いソフトを作った」のだろうと。何と的確な表現だことか、彼女の意外に的を射た発言に私は思わず唸った。還暦を過ぎた今頃になって彼女を見直した。■